偽計
「ちょっと!!」
「ふわ!?」
寝ていたグレアをタニスが起こす。
グレアが周りを見渡すと血統鑑定官と蒼天院のダン・ハロップ少佐。
そして糞虫の狩人が二人いた。
「うわあああッ!!」
グレアは、ベッドから飛び上がると仕掛け武器を取り出した。
半狂乱で叫び、この場から逃げようとする。
しかし血統鑑定官が素早かった。
彼は、左手首を、くるっと回す。
すると20cmぐらいの刃が迫り出した。
正確で手慣れた動作だった。
刃は、迷うことなくグレアの首筋に真っ直ぐ吸い込まれた。
切られた首から鮮血が吹き出し、グレアは、傷を抑える。
だが、そこへ血統鑑定官の取り出した巨大なノコギリ刃が振り下ろされる。
強烈な鈍痛。
信じ難い怪力で血統鑑定官は、グレアを滅多打ちにした。
もはや人間としての原形も残さず彼は、絶命する。
「ちょっと!!」
「ふわ!?」
寝ていたグレアをタニスが起こす。
グレアは、周りを確認した。
血統鑑定官、ダン・ハロップ、糞虫の二人組。
あの4人が彼の前にいる。
「…はあ、はあ、はあっ。」
グレアは、とりあえず気持ちを抑えた。
さっきまでのは、夢だ。
だが、このままでは、夢の通りになる。
あの二人組が自分に襲い掛かってくるのだ。
「あんたの血を調べたいんだって。
ちょっと、大丈夫?」
タニスがグレアの肩を揺すった。
血統鑑定官は、やや急ぐようにグレアに声をかける。
「君は、グレアスタン・セドヴィーク・ド・カルヴェルノ。
間違いないかね?」
「えっ…。
あの…、そ…それ………。」
グレアは、自分の両腕を自分で掴んだ。
血を採られたら殺されてしまう。
しかしそのしぐさが血統鑑定官を反応させた。
「…グレアスタン、本人ではないのかね?」
警戒する血統鑑定官は、腰の獣狩りの銃を掴む。
思わず、グレアは、息を呑んだ。
「ほ、本人じゃなかったら?」
などと思わず苦し紛れな事を言ってしまった。
血統鑑定官の表情は、変わらない。
まるで罪人を見るようだ。
「何を言っている。
君は、替え玉なのかね?」
「は、はいッ。
僕は、グレアスタン・セドヴィーク・ド・カルヴェルノではありませんッ。」
もう、こうなったらどうでもいい。
命が助かるなら…。
グレアは、出まかせをいった。
血統鑑定官は、目を細める。
「…腕を出して。」
「えッ。」
グレアは、ベッドの奥の方に後ずさる。
血統鑑定官から逃げるように距離を取った。
「…止まれ。
それ以上、命令に逆らうと、この場で殺害する。」
そう警告した血統鑑定官は、銃を取り出してグレアに突きつけた。
かなり大きな銃器で人間に使うような物とは思えない。
重い扉をも吹き飛ばしてしまえそうだ。
「女王から血統鑑定局に与えられた権限により、この場で血質鑑定を執り行う。
大臣と補佐官の命令書を確認したまえ。
並びに私の判断で本人鑑定も執行する。」
「あ、あう…。」
グレアは、考える時間を稼ごうと命令書を読むふりをした。
普通、血統鑑定官を前に、こんなことをする人間はいない。
しかしグレアには、落ち着く時間が欲しかった。
血統鑑定官もそれを許してくれるようだ。
「………。
あの…。」
グレアは、恐る恐る血統鑑定官に声をかける。
銃を一度、ホルスターに戻しながら彼は、応える。
「何かね?
…命令書が本物か確認するというのなら、好きにし給え。
しかし血は、採らせて貰うよ。」
そう言って血統鑑定官は、注射器を取り出す。
そして有無を言わさぬ態度でグレアから採血した。
血統鑑定官は、簡易鑑定と本人鑑定を始めた。
二つの器具に血を入れ、目盛りを調べている。
「…血質122。
簡易鑑定によると血質は、3回とも122だよ。」
血統鑑定官は、ダン・ハロップにそう告げる。
ダン・ハロップは、腕組みして唸る。
「では…。
本人鑑定の結果次第では、竜心院に失格を報告することになるな。
これじゃ、カルヴェルノ家の継承は、認められない。」
「そうなりますな。
しかし本人鑑定は、時間を要します。
しばらくお待ちを。」
血統鑑定官は、そういうと精密な検査にかかる。
もともと血統鑑定局は、売血のために鑑定書を発行していた。
血液から作る宿礼院の血液製剤の原料となるからだ。
有意な血液として鑑定されれば、高価に取引される。
竜心院の狩人を吸血鬼と呼ぶのも領民から血を集めたことに由来する。
彼らは、宿礼院とは、別に独自の血液製剤を作っていた。
狩りの傷を癒し、血統を維持し、高い血質を得るために。
だが血統鑑定局にも、前身がある。
竜心院が古くからある狩人の秘密結社であるように。
彼らは、古い血統主義を狂信する魔術師たちだったという。
一等人種という概念も彼らが持ち込んだ。
彼らが定めた血質から外れた人間を抹殺し、民族の血統を───
───純血を維持するため。
それは、神祖アルスの子供たち。
地上で目覚めた最初の人間である。
はるかな7つのピラミッドが輝くザトラン王国。
その墳丘墓に眠るファラオから採血した死血を頼りに一等人種は、規定される。
この血の番人を自称する魔術師たちは、教会から異端視される存在だった。
しかし組織は、巧みに秘匿され、純血を守るために暗躍した。
罪のない人を大勢殺し、狂った自分たちの正義を掲げ続けて。
しかしいつの間にか血統鑑定局と名を変え、今や立派な国の機関に化けた。
闇に蠢く狂人が、公認された処刑人になったのだ。
やがて番人から鑑定官に。
それが判事に変わるまで時間を要さなかった。
彼らが血の価値を決め、強いては血の持ち主の生き死にも決める。
恐ろしい。
グレアは、改めて確信した。
彼らは、狩人の騎士団に加盟していない。
にも関わらず、仕掛け武器や獣狩りの銃、あらゆる狩り道具の技術と知識を持つ。
その上、糞虫や金剛院以上の魔術の知識まで独占している。
国に認められる以前からだ。
ひょっとして彼らこそ、獣以上に危険な敵では?
そう考えていたが、それがまさしく真実だった。
「………間違い?」
血統鑑定官は、独り言を呟いた。
「………なんですと。」
グレアは、独り言を話す血統鑑定官を、ジロジロと見た。
さっきから壁と話している。
なんなんだ?
「…はい。
…分かりました。」
血統鑑定官は、グレアたちに向き直る。
ダン・ハロップも糞虫の狩人たちも不審そうに血統鑑定官を見ている。
「君は…。
君は、生まれて一度も血統鑑定を受けていないようだ。
君は、何という名だね?
…父親は、フィジット・ダンコ。
母親は、メリナ・ネッリ。
二人ともシエラウッド州のコーンワークで存命だ。
確認するが、間違いないかね?」
血統鑑定官の言葉にグレアは、目を丸くした。
「………え?」
話を誤魔化そうと自分がグレアスタンではないと言ったのは、自分だ。
しかし血統鑑定官は、何を言った?
「カルヴェルノ家が買った奴隷。
君は、替え玉なんじゃないかね?
そう、自分で言っただろう。」
「いや、あの…ッ。
あ、あれは、気が動転して…ッ。
嘘、嘘なんです…ッ。」
グレアがそう訴えると血統鑑定官は、眉を吊り上げる。
不快感と理解を越えた行動に戸惑っているらしい。
「…嘘?
じゃあ、君は、自分がカルヴェルノ家の人間だというのかね。」
「はいッ!!」
狂ったようにグレアは、叫ぶ。
ダン・ハロップや糞虫の狩人たちは、気味悪がり始めた。
「父親は、シヨルドア・セドヴィーク・ド・カルヴェルノ。
母親がドルシーニ伯の娘ミルダーユ。
兄は、二人。
ヴィアバード・セドヴィーク。
フラスアン・セドヴィーク。
…そうだと?」
そう血統鑑定官がいう。
グレアは、檻の中の犬のように怒鳴った。
飛びかかりそうな勢いで。
「はいッ!!!」
だが血統鑑定官は、冷たい表情で告げる。
「…事情は、察するに余りある。
伯は、家の継承を騎士団に認めさせたかった。
だから子供を買って来たのだろう。
どうやって17年間も偽装できたのか。
おそらく竜心院には、血統鑑定をすり抜ける方法が伝わっているのだろう。
ともかく誤魔化し通して来た。
しかしその子供の両親は、血統鑑定の記録が見つかった。
フィジット・ダンコとメリナ・ネッリだ。
彼らには、他に11人の子供がいる。
この13人の鑑定記録と君の血を比べればほぼ確実だ。
少々、驚いたが少なくない事件だからね。」
「………そ、そんな………。」
血統鑑定官の言葉にグレアは、凍り付いた。
空が落ちてくるとは、こういう時に使うのだ。
そう思ったぐらいだ。
「どうだろう。
話は、ややこしいことになったが…。」
血統鑑定官は、ダン・ハロップに向き直っていう。
彼も米神を2本の指で抑えながら答える。
「私は…。
私のやることは、変わらんよ。
竜心院の長、クヌート公に報告する。
…買った子供を自分の息子と偽った件だが?」
「それは、我々と竜心院の貴族たちの問題だよ。」
そう話すと血統鑑定官とダン・ハロップは、退室していった。
特に血統鑑定官は、これから忙しくなりそうだという顔をしている。
残った糞虫の狩人たちは、顔を見合わせる。
今のグレアは、動揺して逃げるどころではない。
「どうする、ロッシーニ?」
「貴族のガキをブチ殺せると思ったが…。
…いや、いい。
こうなったら貴族のガキに変わりねえやな。」
「そうだな。
伯爵の息子じゃなくても貴族として育ったことは、変わりねえ。」
ウイルソンとロッシーニは、おもむろに武器を取り出す。
タニスは、大きな悲鳴をあげて逃げ出した。
「ちょっと!
こんなところで止めとくれよー!!」
糞虫の狩人たちは、呆然としたグレアに襲い掛かる。
いや、グレアの目が違う。
彼の中でしっかりと闘志が立ち上がっていた。
例え、血質が違おうと。
あるいは、血統が違おうと。
今日まで父や兄らと訓練を重ねてきた。
「がッ…あう!」
「ぎゃん!!!」
竜心院に秘伝される独自の踏み出し。
並みの狩人を凌駕する技術、精妙な斬撃、体運び。
それは、糞虫の狩人二人では、相手にならなかった。
「…もう分かった。
獣を狩って家に帰る。
それが僕のたった一つの道だ。」
グレアは、血の広がる床に仁王立ちして呟いた。
バジルソースパスタの残ったソースをフォカッチャで掬う。
缶詰のオイルサーディンを開け、その上に乗せて食べる。
とどめに簡単な豆料理を胃袋に納める。
タニスの用意してくれた食事をグレアは、黙々と平らげる。
「あんたは、そんな料理、はじめてじゃない?」
意外にも文句を言わずにグレアが食べるのでタニスは、面白がった。
グレアは、腹に入る分だけ食べた。
血と体力を充実させるためだ。
「ありがとう。
これで僕も、狩りに出られる。」
グレアがそう言うとタニスは、テーブルに肘をつき、手の上に顎を乗せた。
そして目を細めて言う。
「…そう。」
彼女にとって名誉のために死ぬのは、理解できないことだ。
ここシャディザールでは、誰もが犯罪を繰り返し、アグー神に悪徳を捧げる。
アグー神を祀る人々にとって名誉より若さ、長寿が大事だ。
それにタニスにとってグレアたちは、蝋燭の灯のように短い生涯だ。
「そんなに名誉が大事?
どうせ、100年も生きられないのに。」
「…うん。」
グレアは、疲れたように項垂れた。
タニスは、話し続ける。
「覚醒世界でシャディザールが滅びても、こうして夢で生き続ける。
シャディザールは、不滅だし、私たちも不滅よ。
あんたたちが縋っている美徳は、仮初じゃない。
あなたたちのように、いずれ老いて滅びるのよ。
聖ウルスの力も嘘っぱちだしね。」
ただ、タニスは、話しながら分からなくなった。
自分は、この青年を説得したいのか。
それとも単に自分たちを理解して欲しいのか。
グレアは、半ば眠ったように呟いた。
「確かにそうだ。
けど、僕には分からない。
…バカだから。」
とにかく、寝直そう。
グレアは、そう考えて無理にでも眠った。