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龍の謡の響むるを  作者: 北条槇子
第三章 東宮殿の奥庭
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(八)異形

 タンタカタン、タンタカタン。──細い撥が発する小気味良い音が流れる。


 ダンダカダン、ダンダカダン。──続く大太鼓に合わせて足を踏む。


 下手を打てば足がもつれて転んでしまいそうな複雑な動きを韻律に乗せる。唸りながら地面を這う木笛の声に腕を振りあげて応えると、手首に括り付けた細長い帯が宙を舞った。それが落ち切る前に、また打ちあげる。群れた龍が互いに飛び交っているかのように、両腕の薄布が交互に宙へ伸びる。


 ダンッ、という一際大きく踏みつける音が一拍。

 トントントン、と軽やかな歩みが三拍。

 何度もくり返される抑揚に心臓が呼応して高鳴り、全身が突き破られそうな衝動に揺さぶられる。このまま、衣を破り捨て天にまで昇っていけそうだ。 朦朧としていく意識の中で、自分で息をしているのか、舞が息をさせているのかの区別すら付かなくなってきた。

 ダンッと踏みしめる一拍は、人の子らを睨みつける龍の怒りの鉄槌、それに続く小気味よい三拍は、荒ぶる龍を前に天地のとりなしを請うて舞う鎮めの巫女の足取りなのだという。

 いつしか舞は穏やかに調子を変える。ふんわりと打ち上げた帯がゆっくりと落ちて地に(ひだ)を重ねていく。落ち切って動きを止めるまで、微動だにせず顔を地に伏して待つ。これは人の子らを統べる者が定められ、地上に泰平の世が開いた徴である。

 左へ、右へ、腕を広げて、この地上をぐるりと指し示す。

 那梨は、伸ばした手の先をふと見遣って、己の指先から鱗が生え始めているのに気づいた。しかし、舞を止める気にはなれない。くるくると回りながらも、胸の前で重ねた手の甲にまで達した鱗が、肘まで生えあがってくるのを皮膚越しに感じる。額から何かが生え出しくるのも分かった。爪も伸びて尖り始める。

 そんな身体の異変も何もかも暴発させながら、那梨はとにかく身体中で韻律を刻み続けた。もはや、自らに御神が舞い降りて乗り移ったかのような空恐ろしくて奇妙な心地さえしてきていた。


 その先の記憶は途切れて、もうない。



 * * *



 突如意識が戻った那梨は泣いていた。

 眦から零れ出た涙は耳朶に落ち、後ろ髪へ吸い込まれていくのが分かった。瞼を開けると、最近見慣れてきた板天井が目に入る。


 (夢の中で、再びあの舞を踊っていたのだわ)


 那梨はぼんやりと理解した。

 東の方から鐘の音が聞こえる。神殿が司る時鐘は、日の出から日没まで決まった間隔で鳴らされる。聞き間違えたのでなければ、今は正午だ。

 立太子の儀の後は夜通しの祝宴が張られたため、官人には勤務免除の恩情がくだされている。精魂尽き果てた後の疲れと興奮に加え、一口つけた酒のせいもあってか那梨が寝付いたのは夜明けの刻。まだ寝足りないくらいだ。

 まだ心臓がどくどくと鳴っている。那梨は目を閉じて息を吐いた。篝火の中で己の身体が躍動していたのを鮮明に思い出せる。天地と一体になって、風のように駆け抜ける感覚。時の流れさえ超えて、五つの時のわたしのもとへ辿りつけただろうか──。

 そう思考しているところへ、水浴びを済ませたらしい朱貴が部屋に入ってきた。ひととき開いた戸の隙間から差し込んだ陽光は燦々と輝いていた。


「おはよう、朱貴、いい朝ね」


 布団の中から声をかける。


「那梨、起きてらしたの。そうね、陽射しが気持ちのいいお午よ。あなたも清めてきてはいかが。気持ちがいいですわよ」


 さりげなく朝を午に直され、那梨は苦笑いした。掛布から這い出て、行李から洗いたての衣と布を出す。ついでに楊枝も使おうと、がさごそと引っ掻き回して見つけ出した。

「いってきます」と、挨拶して戸を開けようと手をかけたとき、その戸が勝手に開いたので那梨は目を見張った。濃紺の上衣が現れたので慌てて退き、礼の形をとる。


「顔をお上げなさい」


 おしなべて常に高飛車な上級女官の物言いが柔らかい。ひっかかりを覚えながら上を向くと、初めて見る頬高な顔をした女官が、手に巻物を持っていた。


「本日付けの東宮命により、次の者を正五位の女官の位に叙す。礼朱貴」

「拝命つかまつります」


 間髪をいれず、嬉しさを抑えきれない調子で朱貴が答えた。


「楊那梨」

「はい」


 名を呼ばれて那梨は反射的に返事をした。沈黙が場を支配する中、隣で朱貴が息を呑む声がした。那梨が懸命に息を詰めて次の言葉を待っていると、女官から笑みが漏れる。


「貴下も女官に任ぜられたということですよ。楊那梨さま」


 その言葉を聞いて、那梨はやっと事態が――叙官の命を受けたことが呑み込めた。


「慌ただしくはありますが、二刻後には女官としての修養が始まります。準備を整えてお待ちください」


 女官は那梨と朱貴に礼をして、部屋を出て行った。


「わたし、女官になったのね! しかも朱貴と一緒なら心強いわ……!」


 那梨は居ても立っても居られず、朱貴を抱きしめた。


「おめでとう、那梨。あれほど、なりたいと願っていましたものね」


 朱貴は、そう言うと那梨を支えて立たせた。


「早く沐浴を済ませた方がいいと思いますわ」と言って、朱貴は乱れた裳裾を払って直した。


「指導係の女官の官位は従五位ですけれど、だからといって、目を付けられたら大変なことですわよ。修養がてら、いびられてしまうかも」


 こういうときでも朱貴は冷静だ。助言の内容に妙な説得力を感じた那梨は大急ぎで行水を済ませた後、里宇を探しに出た。


 正確な場所は知らないが、当たりをつけて歩いている内に、里宇が属する炊膳寮の宿舎に行き着いた。西宮の食事を司る部署ゆえ、この時間は忙しいのだろう。辺りには人の気配がない。

 すぐに会えるとは期待していなかったが、里宇に知らせたい気持ちが逸る。

 喧騒のする方角を頼りに歩を進めるにつれ、金物同士が触れ合う音や、指示を飛ばし合う声が近づいてきた。倉庫の陰からそっと覗くと、井戸のそばで一様に薄青の衣を着た少女らが色とりどりの野菜を洗っているのを見つけたが、里宇の姿はない。

 火を焚いている奥の官舎を見ようと額に手をかざし、目を細めて身を乗り出したとたん、肩を叩かれて那梨は飛びあがった。 これだけ怪しげな行動をしてきたからには、振り向いて顔を晒すのは躊躇われる。じっとしていると、素っ頓狂な高い声がした。


「お嬢さま? なぜここにいるんですか。ここは炊膳寮の炊事場ですよ。支度が忙しくなってくるこの時間に誰かに見つかったらどうなることか! 皆ぴりぴりしてますから否応なしに叱られてしまいます」


 少女の長い口上。それは、那梨が物心ついた頃から何回も聞いてきたあの調子だった。


「里宇!」


 那梨は勢いよく振り返った。


「わたし、明日から女官なのよ」


 那梨が告げたのを聞いて、里宇が持っていた葱の籠が滑り落ちた。口をあんぐりと開けて立つ里宇の代わりに、那梨は素早く屈んで散らばった葱を拾い集める。根元に泥が付いているから、これから洗うところだったようだ。


「はい、里宇」


 籠を渡してやると、里宇は眉毛を極限まで八の字にしていた。


「お嬢さまぁ……ほんとに、ほんとに女官になってしまうなんて! 掌主さまにどう報告すればよいのか、里宇には分かりません。里宇は、昨日のお嬢さまの舞を遠くから見ただけですけど、魂が抜けるかと思いました。昨日の夜にやりきったのだと思ったのに、それでは満足じゃないんですか」

「そうね。満足はしたわ。だけど、これで終わりだとは思ってないの」


 口に出してみると、ますますそうだという気になった。舞に魅せられ舞を追いかけてきた。ここまできたら高みを目指したい。その先には何あるのかと考えるだけで胸躍る。


「里宇は家に帰りたいでしょう? わたしがお母さまに書簡を出すから、あなたからも頼んでみるのよ。わたしのことは大丈夫だから」


 図星だったようで、里宇は言葉を詰まらせる。しかし、すぐさま反論が飛び出してきた。


「いえ。里宇はいつだって那梨さまの傍で過ごしてきました。だから、お嬢さまが宮に留まるなら里宇も一緒に残ります。それが里宇のやるべきことで里宇にできることのすべてなんです。だから、里宇を厄介払いしないでください……」


 語尾がすぼんでいく。那梨は思わず里宇を抱きしめた。舞で鍛えている那梨と違って、ずっと柔らかくて、たやすく折れてしまいそうな細い身体だ。


「あなたが居てくれて頼もしいったらないわ。ありがとう」

「な、那梨さまぁ」


 里宇は感きわまって泣き出しそうな顔をしている。昔からこの子は優しくて泣き虫なのだ。


「里宇」


那梨はよしよしと里宇の背中をさすりながら、我儘な主人でごめんなさいと心の中で呟いた。

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