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龍の謡の響むるを  作者: 北条槇子
第二章 天継の舞
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(四)思惑

「おはようございます、美璃(みり)(ねえ)さま」


 舞楽寮の朝礼を終えてすぐさま、那梨は前に立つ女官の背中に声を掛けた。


「あら、今日も元気でよいこと、那梨」


 まろやかな微笑みとともに振り向いたのは、那梨よりも少し年上の女官。立太子の儀を終えるまで、那梨の指導係として面倒を見てくれる舞子の先輩だ。


 宮中の舞子をつかさどる舞楽寮では、女の先輩を姉さまと呼ぶ。最初は呼ぶ度に緊張していたのだが、美璃は、那梨が呼びかけるとふくよかな頬をあげてにっこりと返事をしてくれる。手厳しい教官を想像していた那梨は拍子抜けした。つい何度も呼びかけたくなるので、姉さまという響きもすぐに馴染んできた。


「さあ、今日も天継(てんけい)の四人舞の練習よ」


 美璃が両手を打ち合わせると、舞楽寮の広場に朱貴、春陽、蘭華とそれぞれの指導係の女官が集まってきて輪になった。


 美璃の言うとおり、那梨たち選抜試験の合格者は、天継の四人舞と呼ばれる特別な演目に取り掛かっている。

 立太子の儀の舞は、この四人舞から始まり、最後には総勢二十人超えの団舞となる。団舞は王の即位式よりも小規模だが、天継の四人舞自体は同じもの。

 この四人は、即位する御方の前で一度も舞ったことのない初穂の乙女であることが慣わしで、そのおかげで那梨は舞楽寮に入る機会を得られたのだ。


「手に帯を取り付けて」


 初日に配られた細長い薄布を懐から取り出し、手首に括りつける。


「この前教えたように、この帯は龍神さまとその一族の形代なの」


 龍神といえば、風真国の北に連なる天嶺てんれい)山脈に棲む龍で、龍の眷属を従える頭であられる。

 街のあちこちに立つ廟には、龍神が雲をまとった細長い体躯をうねうねとくねらせている絵姿がある。


「女神の血筋を受け継がれた太子殿下は、龍神さまと深い結びつきをお持ちでいらっしゃるのよ。この舞に織り込まれている意味を常に頭において演じるようにね」


「はい!」


 演者四人が声を揃えて応えると、美璃は笑った。肉付きのよい頬が丸みを帯びる。


「まずはお手本。昨日よりも先の振付まで舞うから、よく見てて」


 指導係の四人が輪になって広がった。

 美璃が腕を振り上げると、帯は真っ直ぐ空中に打ち上がる。続いて腕が振り下ろされると、ゆったりと波打つ。

 左右交互に打ち上げ続ける様は、天を飛び交う龍を見立てたもの。優雅に跳ねる白い布地は青空に曲線を描き、目に涼やかで美しい。


 ──立太子の儀は夜に行われるというから、篝火の中ではどんな風に見えるのだろう。


 まだ習いたてで、ろくに踊れもしないのに、那梨の心は本番に向けて逸る。


 今度は那梨たち演者が輪になり、四人揃って布を打ち上げる練習に移った。


 遮るもののない広場で腕を上げ続けていると、じりじりと照る日差しに晒されて汗をかき、疲れてくる。


 揃っていた四人の動きから蘭華が遅れを取り始めた。もともと布を打ち上げる所作に手こずって高さが足りなかったところへ、拍子もずれ込んでくると粗が目立つ。

 蘭華をちらりと盗み見ると、眉は歪み、額から大粒の汗が飛び跳ねている。


「やめ! その場で少し休憩しなさい」


 美璃の合図に四人は立ち止まって肩で息をする。

 まもなく再開される練習に向けて、声を出すのも惜しい。と思っていたところへ、美璃が慌てて声をあげた。


「──寮主さまに呼ばれたから外すわね。ここで待っていて」


 美璃たち指導係が広場を出ていき、四人だけになったとたん、我慢し切れないように蘭華が土の上にしゃがみ込んだ。


 蘭華のやり方では疲ればかり溜まってしんどいだろう。もっと力を抜いてやれば、綺麗に打ち上がるし、遅れにくい。

 那梨は膝を折って座る蘭華に歩み寄った。


「蘭華、帯の打ち上げ方、教えましょうか?」


「──えっ、今?」


 蘭華の声は震えていた。


「ええ、今なら時間もありそうだし、ちょうどいいかと思って」


「姉さま方が戻ったら、また練習なのよ? そんな疲れることできるわけない……!」


 蘭華は涙交じりの声色で叫んだ。思ってもなかった反応に、那梨は打ち消すように両手を振った。


「ごめんなさい、そういうつもりではなく、もっと楽なやり方がいいと思って」


「そりゃあ、あなたにとっては楽なんでしょう?」


 蘭華は眦に涙を溜め、きっと睨んできた。息が荒く、肩が上下している。


「なんで私が選ばれたんだろう……。どうみても、この中で釣り合いが取れないのに」


 顔を覆って泣き始めた蘭華に、那梨は掛ける言葉が出てこず、朱貴と春陽を順番に見回した。口元に手をやって那梨を見つめ返すだけの朱貴の横で、春陽が一歩前に出た。


「たしかに、あなたは四人の中では最も技術が低い。けれど、上から四番目の成績だったから選ばれたのでしょう」


 春陽の声は色味のない一本調子で、何の感慨も感じられないのが傍から聞いていて恐ろしく冷たい。


「なぜ泣くのです? 何の解決にもならないのに。私には到底理解できませんし、見苦しい」


 突如始まった春陽の非難に、那梨は選抜試験のときの喧嘩を思い出した。

 春陽は素晴らしい舞ができるというのに、他の子たちと馴染めない質なのか突き放す物言いをする。


「ちょっと」


 固唾を呑んで見ていた那梨は、二人の間に割って入った。


「さすがに言い過ぎじゃないの」


「那梨、あなたが舞い方を教えると申し出たから始まったことでしょう。わたしを責める資格はないんじゃありませんか」


「それは、天継の舞を四人で綺麗に仕上げたいから提案して──」


「だから、何のために?」


 春陽は起伏のない面持ちで問いを投げかけてくる。


「良い舞をしたいからよ。貴重な機会なのだから、完璧にやりたいもの」


「要は、立太子の儀で女官に引き上げてもらうためでしょう?」


 繰り返される問いに那梨は苛立ちを覚えた。舞楽寮に女官として入宮して舞子になりたいのは当然だけども、その前に良い舞をしたいから。まずは、目の前のことに集中したいだけなのに。


「そうよ。たしかに、わたしは、まずは女官になって、それから舞を磨いていきたいと思ってるけど?」


「はあ──見当違いも甚だしいのでは。蘭華、あなたは何のためです?」


 ぐすんと鼻を啜って、蘭華は恨めしげにその場に立つ三人を見上げた。


「……何のためも何も、わたしは親に言われてやってきただけ。本当は試験も受けたくなかったし、宮に入りたくないけど、逆らったら酷い目に遭うから、舞はお咎めがない程度にやれればいいの──」


 どこか憐れみの混じった声で蘭華は続ける。


「那梨、あなたは女官になりたいのかもしれないけど、わたしは宮の外に将来を約束した人がいるから」


 蘭華の吐露に那梨は面食らった。大して歳の変わらないように見えるこの少女には、想いを通じ合っている男性がいるというのか。


「あらまあ、蘭華」


 ぎすぎすとした空気に、朱貴の朗らかな声が響いた。


「それじゃあ、練習に身が入らないのも当然ですわね。でも、大丈夫、安心して。あなたの願いはきっと天に通じますわ」


 朱貴の細い人差し指が、蘭華の目元に溜まった雫を掬い、大きな粒がぽろりと溢れた。


「なぜなら、わたくしたちは蘭華よりもいい舞を披露しますから。あなたが選ばれることは絶対、無いですわ」


 言っていることが破茶滅茶だ。那梨は目をしばたたいた。


 朱貴は、ぽかんと見上げる蘭華の両手を包み込むように握った。


「それに、あなたが自分で言っていたように足を引っ張って、女官召し抱えのお話自体が立ち消えになったら、わたくしも那梨も全身全霊で恨みますわよ。だから、協力してくださらない?」


 脅しを述べる口元はにっこりと弧を描いている。


「それに、四人揃って綺麗に舞えば、きっと晴れやかな気持ちで宮を去ることができますわ」


 朱貴は、ちらりと那梨の方を見ると、片目をつぶって見せた。


 ──朱貴は分かってくれている。


 那梨は直感した。


 彼女は、一点の曇りもなく美しく踊り終えた後の心地よさを知っているのだ。


 那梨が確信めいた心持ちで頷き返したとき、広場の入口が俄かに騒がしくなり、美璃が小走りで駆け寄ってきた。


「あなたたち、今日は解散。急遽広場を空けなきゃならなくなったから、各自一旦宿舎に戻って。今日は自学してなさいね」


 早口で捲し立てて踵を返す。


「何があったのかしら」


 こんなに美璃が急いでいるところを見たことがない。


「──早く行きましょう」


 突っ立っていた那梨の手を朱貴が引っ張った。

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