第18話 帰路~忘れかけてた槍を添えて~
裏山に入った俺は最初の内はビクビクと警戒しながら歩いていたが、その内それが無用のものだと悟った。
なんというか、普通だな。
超常的なものは何も感じない。さっきまで、歩いても歩いても出られなかった時とは根本的に違う感じがする。
あまりにも普通過ぎて逆に何かあるんじゃないかと疑ったが、別に何もなかった。
「…………タクヤ?」
少し歩くと、芯の通った聞き心地の良い声が、不安げな色を纏って聞こえてくる。
俺のランタンの明かりがアリスさんの姿を捉える。
「アリスさん……良かった」
先程までと変わらない姿が見えて、俺はほっとした。
それはアリスさんも同じだったらしい。
「タクヤ!!」
俺だとわかるやいないや走って駆け寄ってくるアリスさん。そしてそのまま俺に飛びついてきた。
「うぉっ!」
「タクヤ!!タクヤ、良かった…………」
ちょっと心の準備が……とか言おうとしたところで、アリスさんが震えているのが分かり俺は口を噤む。
考えてみればアリスさんは、俺のことを自分の世界を救う英雄だと信じて、俺を守ると誓ってこの世界に来たんだよな。
仲間と一緒だ、と思ったら一人で、さらにはまさかの異世界までやってきたわけだ。凄い孤独感を味わった事だろう。しかし彼女はそんな状況の中も俺を守るという目的を果たすために全力だった。
今思えば彼女にとって、俺という存在が不安な自分の心を保つ唯一の支えだったのかもしれない。
うぬぼれているわけじゃない。だって自分に置き換えてみれば分かる。
ひとりぼっち訳の分からない中で、空間の神の力を持つという自分の信じる予言通りの人間がいたわけだ。それはもう心が不安に揺れる中、自分が間違っていないと信じるために、絶対に手放せない回答のようなものだったはずだ。
だけど、そんな俺がいなくなった。守るべき存在が、目の前から消えた。それがどれだけアリスさんにダメージを与えたのだろうか。
俺は馬鹿だ。
アリスさんに恥ずかしいところを見せたくなかった。
そのために凜とした笑顔が素敵だったアリスさんの顔を、こんなにもおびえさせてしまった。
…………俺は、アリスさんが好きだ。…………多分。
今まで一目惚れとかしたことないから、自分の感情の整理が追いついてないけど、
でも好きなんだと思う。
俺はアリスさんの肩を掴んで、顔を真正面から見据える。
……だとしたら、これは駄目だ。好きな人に、こんな顔をさせてはいけない。
「タクヤ?」
「アリスさん、心配かけてごめん」
俺がそういうと、アリスさんは頬を膨らませた。
「突然いなくなって、本当に心配したんだから」
でも、すぐに少し慌てた感じで続ける。
「で、でも、無事だったから許してあげる。それに悪いこと事ばかりじゃないわ。急に消えたのは、あなたが空間の神の力を使ったからでしょう?力を使えるようになるのはいい事だもの。それに辺りを包んでいた不思議な感じが消えたの。多分、同じ所をぐるぐると回る事はもう無いわ。そして一番いい事は、遠くからではあなたから溢れ出ていた神の力を感じなくなったわ。さすがにここまで近づけば少し感じるけど、でももう、あなたの力を狙う人に襲われる心配はしなくていいと思うの」
だから全然怒ってないわと、俺を安心させるように捲し立てる。
なんていい人なんだ、アリスさんは。
「…………でも一つだけ」
といって、アリスさんは俺に近づいてきて耳元で囁いた。
「もう私、あなたを離さないから」
その少し艶めかしくもある言葉に、俺はすごくドキドキした。
そして俺たちは、山を出て俺の家に向かっていた。
さっきの言葉が俺の頭を反芻する。
ーもう私、あなたを離さないからー
そこに含まれる意味を俺は理解している。
彼女は俺を自分の世界に連れて帰って英雄として世界を救って貰うために俺の元へやってきた。だからあくまで世界を救う事がアリスさんの最重要事項であって、それを達成するための道具として俺を離さないといっている。
例えるならば鍵のような扱いだ。
鍵を持っている誰しもが、鍵を持つことそれ自体に魅力を感じて持っているわけじゃない。鍵で開ける何かのために持っているわけだ。だから、鍵そのものに本質的に意味があるわけじゃ無い。
でも俺は、言葉に他意がある事を期待しちゃってる。
そしてそのせいで、なんだかすごくソワソワする。
当のアリスさんをチラリと見てみると、周囲を物珍しそうに眺めている。
「ねえタクヤ、あの葉が全く生えていない灰色の木は何?」
「あれは木じゃないです。電信柱といって、なんて説明すればいいかな…………まあ大雑把に言うと、人間の作ったものです」
さすがに電気の概念から説明するのは、頭がそこまで良くない俺にはすぐに出来ない。
いや待てよ、大剣で戦うアリアさんから勝手に想像しちゃったけど、アリスさんの世界はどの程度の科学力なんだろうか。もしかしたら電気もあるのかもしれない。
「アリスさん。電気って知ってますか?」
「電気?雷神の力の事?」
うん、一朝一夕で埋められる程、二つの世界の隔たりは狭く無さそうだ。
「そういえばフェデリコ叔父さんが使っていた武器は、雷神の力を持った神器なの。タクヤ、知らない?」
「あ、それなら俺の自宅にぶっ刺さってますよ。なんか知らないけど、家まで勝手に付いてきたんですよね」
俺は考えることを放棄していた物理法則ガン無視槍を思い出した。
それを聞いて、アリスさんは目を輝かせる。
「付いてきた?それって、持ち主として認められたって事じゃない!タクヤはやっぱりすごいわ!」
隙あれば俺を褒めてくるアリスさん。俺調子乗っちゃうからやめてくれよ。
ますます好きになるぞこの野郎。
照れを隠すように俺はアリスさんに聞く。
「持ち主として認められたっていっても、あの槍俺の言う事なんて聞いてくれないですよ。ぽいって捨てたら勝手に飛んでいくし」
「神器をぽいって捨てたら駄目よ。でもそうね。多分……タクヤ、名前を呼んでいないでしょう?神器はとても賢い武器なの。名前を呼んで命令すると、出来る範囲で持ち主に答えてくれるわ」
「名前って言ったら……ケラウノスだっけ?」
そう口にした瞬間だった。俺は自分の中に、なにか異物のようなものを感じた。
それは見えないひものようなもので体の外にある何かに繋がっている気がする。
そして今この瞬間に、何かが反応して動き出した。
俺はその反応がある方向を見る。俺の家の方角だ。
「なっ!?」
そちらを見ていると、何かが空へ飛び出した。そしてそれは点となって、こちらに向かって来る。
点じゃないとすぐに気付いた。あれはまっすぐこちらを目指している槍だ!
空に雷鳴が轟く。なんでだよ。今日は晴れていただろ。どっから鳴っているんだ?
そうこうする内に、槍は一直線に俺に向かってくる。
やばい、このコースだと確実に俺が一刺しになる。
俺は直前、目をつぶって片足をあげて、腕は円形にシェーのポーズ。
「嘘だろぉぉぉ!」
グサッ!
…………それは俺の体に刺さった音ではなかった。俺の股の間に突き刺さる一本の槍。やっぱりそこに刺さるのね。ビビらせやがって。
「なんでこいつは、こんなに心臓に悪い登場しかできないんだ」
「ケラウノスね」
アリスさんはとても落ち着いている。こんな光景を過去に見たことがあるのだろう。
いや、よく見ると落ち着いているわけじゃない。目がキラキラしている。
「やっぱりタクヤはすごいわ!ケラウノスは物凄く気難しい武器で、数百年誰も使うことが出来なかったの。フェデリコ叔父さんも何年も戦ってやっと使い手に選ばれたのよ。それをこんなにすぐにものにしてしまうなんて」
俺に尊敬の目を見せてくるアリスさん。ちょっと待て、なんか言い方的に、フェデリコさんは槍そのものと戦ったみたいじゃないか。やっぱりアリスさんのいた世界がファンタジー過ぎて困る。
「俺、別に何にもしてないんだけど…………」
俺はケラウノスを見る。刃の部分は刃こぼれも無く綺麗だが、柄の部分はボロッボロで装飾も特になく、そこまですごい武器には思えない。しかしこの槍は、投げれば自動的に敵に向かっていき、雷を落とし確実に敵を殺しに行く。そして名前を呼べば手元に戻ってくる。まさに神話に出てくるような武器だ。
「てか、名前呼ぶたびにこんなにビビらされるなら、迂闊に呼べないじゃないですか」
文句を言う俺に、アリスさんは自慢げに答える。
「ふふ、大丈夫よ。ケラウノスは賢いの。ちゃんと人の言葉を理解できるから、こうしてああしてって頼めば、ちゃんと答えてくれるわ」
なんかペットの躾け方みたいな説明をされて、俺はなんといっていいか分からなくなった。
とりあえず、試してみるか。
「ケラウノス、お前は俺を使い手として選んだのか?」
傍から見れば槍に返事を求めて喋りかけるやばい奴。しかしこの槍は普通じゃない。
ケラウノスはぼわわんと光ると、何度か明滅した。
「イエスってことか?」
また点滅する。
「これは……すげぇ」
シンプルに感心してしまった。この槍は生きている。
「ええっと、じゃあ、先に家に戻っていてくれないか?」
俺がそう言うと、地面に刺さったケラウノスはずるずると迫り上がると、遂には宙に浮き、向きを変えた。刃先は俺の家の方を向いている。そして予備動作もなく、一瞬でトップスピードに達し飛んでいった。
「…………なんかかわいく見えてきたな」
意思の疎通が可能となると、突然愛着がわいてくる。
「ケラウノスはすごいのよ」
アリスさんは大きな胸を張っている。自分の事のように自慢げな顔するアリスさん、可愛い。
なおこの後自分の部屋に戻った時、合計三回もケラウノスに突き破られ夜空が綺麗に見えるようになった天井を見て、俺はその考えを改めることになるのだが。