第17話 ダイナミック帰宅
俺は死地からの生還を果たした。
好きな子の膝の上でしょんべんを漏らすという死地から。
危ねぇ。何が何だかよく分からないけど、助かった。
正直ケントに首を切られかけた時より焦ってた。
あっ、出る。
…………。
うん。すっきりした。
さて、何が起きた。何故自宅のトイレにいるんだ。なにより俺のズボンとパンツは何処いった。
とりあえず、トイレを流す俺。
はぁ、どうしたもんかね。
俺がフルチンで途方に暮れていると、階段を勢いよく駆け下りる音が聞こえた。トイレは一階にある。音はトイレの前までやってきて、
「たっくん?」
妹の咲だ。
「さ、咲、ただいま」
扉を一枚挟んで答える俺。下半身丸出しの時に喋りかけられると、謎の罪悪感がある。
「…………何でトイレにいるの」
「そりゃトイレがしたいからだよ」
「ちがくて…………いつ帰ってきたの」
おっと、不審がられているぞ。
「えっと、さっき……まぁ、深いことは気にするな!」
「…………」
無言の圧力が怖い。咲は適当な奴しかいない家族の中で唯一真面目だ。こんな適当な回答じゃ許してくれない。なので俺は質問をしてごまかすことにした。
「て、てか、よく帰ってきたこと分かったな」
「たっくんの気配がして、耳を澄ましていたらトイレを流す音がしたから」
気配を当然のように察知するな。お前は剣豪かなにかか。
「あ、そ、そう……てか、それより俺のズボンとパンツ持ってきてくれない?」
「なんで?」
「なんでっていわれると困るけど…………今穿いて無くて」
「…………あっ」
「え?」
「わかった、今持ってきてあげる」
パタパタと、足音が離れていく。ちょっと待って、あっ、てなんだよ。
なんかすごい誤解が生まれた気がする。
すぐに戻ってくる咲。
「たっくん、ドアの前に置いておくね」
急に優しくなった咲。
「うん、ありがとう。でも、なんか勘違いしてないか?」
「……別に勘違いしてない。大丈夫、トイレの掃除は私がやっておくから、ズボンとパンツは自分で洗ってね」
「ちょっと待て、漏らしてないから!俺、漏らしてないからな!?」
「……うん、分かってる」
「分かってないだろ!違うんだって、どっかに忘れてきちゃっただけだから!家に帰って、気付いたらフルチンだっただけだから!」
「そっちの方が酷いと思うわ」
本当だ。フルチンになって家に帰ってくるって、普通に警察案件だった。
…………もういいや、漏らしたって事で。
俺は咲が持ってきてくれたパンツとズボンを穿くと、トイレを後にした。
今考えるべき事は、アリスさんの事だろう。
あの山に残してきてしまった。急いで戻るべきだろう。急に一人になってどうしていいか分からないはずだ。
壁の時計を見ると時刻は二十時になろうとしている。今から裏山まで走っていけば、十分以内には着くだろう。おっとそうだ。ライト持って行かなきゃ。確か物置にランタンがあったはず。…………うん、あったあった。
ランタンがちゃんと使える事を確認して、俺は玄関に向かう。そういえば靴も履いてないじゃん。
シューズボックスから、一足取り出して履いていると、トイレに掃除道具を持って入っていったはずの咲がやってきた。
「たっくん、トイレ汚れてなかった」
「うん、だから漏らしてないんだって」
「…………出かけるの?帰ってきたばっかなのに」
「おう、ちょっと出てくる…………もしかしたら、えっと……友達連れて帰るかもしれないから」
「友達?」
「うん」
アリスさんの事をとりあえず友達と仮定する俺。
「…………露出狂になったのと関係あるの?」
少し考える素振りを挟んで、咲がとんでもない結論にたどり着く。待ってくれ、そんな目で俺を見るな。
「いや、ホントに説明が難しいんだけど、違うから。俺そんなんじゃないから」
「…………」
ジト目で見つめてくる。でもいい言い訳が思いつかないんだもの。瞬間移動したんですよ、って言ったところで信じてもらえる訳無いし。病院紹介されちゃうよ。
「…………たっくんの部屋に刺さってる、あの槍と関係あるの?」
無駄にピンポイントで真相に近づいてくる咲。今の今まで忘れてたよ、あの槍のこと。
普段はほとんど喋リかけてくれないのに、こういう答えずらい時だけやたらと質問してくるのやめてください。お兄ちゃん、困っちゃう。
俺は靴を履くと、質問に答えず逃げるように玄関を開ける。
「とにかく、行ってきます!」
そういって家を飛び出し、裏山の方向へ走り出す。
時刻は二十時、外は暗かった。だけどあの裏山の中で感じた程は暗くない。
やっぱり何かおかしかったんだな。
裏山には木々が生い茂っているからここより暗いというのは分かるが、だとしてもやたらめったらに暗すぎたと思う。
そもそも裏山の頂上からでも木々の隙間から街の明かりが見えるはずなんだよな。あの裏山はそれほどまでに狭い。でも見えなかったっていうことは、何かしら視覚的な障害があったのだろう。
多分、それがケントの言っていた結界ってやつなんだろう。俺が無意識に張ったらしい結界。なんでも外から中へ入れるが、その逆は出来ないという欠陥使用。
それは今、どうなったんだろう。
まぁなんにせよ、裏山に向かおう。とりあえず一刻も早く、アリスさんと合流したい。
裏山の入り口まで、走って五分程度でたどり着いた。入り口と言っても、肩幅二人分ぐらいの獣道の前に、車両通行止めのポールと、何とか城跡と書いてある古い看板があるだけだ。城の名前は掠れて読めなくなっている。この反対側の入り口にはなんか小っちゃい神社があったはずだ。
ちなみに裏山の周囲には普通に住宅があって、家庭によっては今が夕飯時だろう、ほとんどの家に電気が点いている。
俺は走った事で荒くなった息を整えながら山の方を見上げる。
…………明らかに違和感を感じる。
こう、空間に膜みたいなものがある。それは裏山全体を覆うように、ドーム状になっている。山に蚊帳を被せたような感じ。異様な光景だな。
これがケントの言っていた結界ってやつか。
外からは入れて中からは出られないとの事だから、この先に入ると戻れなくなる可能性がある。
とりあえず俺は結界に手を伸ばす。危ないかと思ったけど、俺が作ったものなら俺に危害を加えてこないんじゃないかと思った。
まぁ、大丈夫でしょ。
えいっ。
最初はごく小さい変化だった。結界は、おれが触れた場所から波紋のように揺らぎ始める。
おっと、これ大丈夫か?
怖くなった俺は一歩後ずさる。その間にも波はどんどん大きくなって、強風に煽られる旗のように大きく揺らめく。
いつの間にか、山を覆っていたはずの結界は俺の周りを取り囲むように迫ってきていた。
揺らぎに任せて、俺の後ろにも回り込む結界の膜。今にも俺を押し潰さんとしている。
「おいおい、まじかよっ!」
俺に危害を加えないだろ、とか軽はずみに考えた俺を殴りたい。
どうしていつも俺はこんなに後先考えずに行動するんだろう!
そして俺は、全方位から迫ってきた結界に取り込まれた。
「うぁぁぁぁ!!…………あれ?なんともない?」
もう駄目だ、と思ったけど杞憂だった。気付けば結界は跡形もなく消えている。
周囲を見渡す。いつも通りの住宅街だった。時刻は八時頃、ここは住宅街の端っこ。家に帰宅して今まさに家の門を開けようとしていたサラリーマンが、大声をあげた俺を怪訝そうに見ている。
あの人には見えなかったのか?あの結界が。
サラリーマンは俺と目が合った瞬間に、逃げるようにして家の中へ逃げていった。
彼からすれば、俺は突然奇声を上げるちょっとヤバ目の奴だ。思えば俺の今の格好も、上は学校用のYシャツに、下はスウェットというファッションとしてレベルが高すぎる格好だ。
滅茶苦茶恥ずかしくなってきた。
いたたまれなくなった俺は、アリアさんがいるであろう山の方へ入っていった。