第16話 自称強敵
「さて、では参るぞ?」
そういったケントは目をつむり、両手を広げる。それと同時に周りの空気が変わっていく。
重たくなった。俺はなんとなくそう感じた。
これはまずい気がする。
「させない!」
アリスさんも同じように考えたらしく、まだ目をつむったままのケントに向かっていく。距離は数メートル。アリアさんは一瞬で詰めると、大剣を縦に振るう。
ケントの脳天を直撃するコースーーしかし、攻撃は当たらなかった。
「なっ!!」
ケントは瞬きの間に、俺の前まで接近していた。ケントの後ろには彼の残像が見える。先程までケントがいた場所から、こちらを振り返るアリアさん。しかし彼女は剣を振り切った直後で、こちらの援護には間に合わない。
「さらばだ、平塚拓也。小僧の力は儂が有効に使ってやるから安心して逝くと良いぞ?」
そういって、俺の首めがけて、手刀が飛んでくる。その手は空間がゆがんだようにぼやけて見える。恐らく風の刃を纏っているんだろう。
これを食らったら、俺は死ぬ。
そう考えたとき、俺の中でけたたましく警鐘が鳴った。
「タクヤ!!」
アリスさんの声がすごく遠くに聞こえる。
なんとかしないと。でもどうやって?この状況から入れる保険とかないですかね?
…………いや、回避する方法が一つある。
力だ。神の力。それさえ使えれば。
手刀が俺の首と胴体を分かつまで、後、コンマ何秒だろうか。
考えろ、いや、考える余裕はない。時間がない。
「おおおおおお!」
手が俺の首に触れる。
駄目だ。間に合わない。でも…………
「ふん、手応えのない小僧だ」
ケントの手刀が完全に振り抜かれた。死体を見る趣味はないとばかりに、背を向けるケント。
ギロチンで処刑された人間は少しの間、意識があるという話を聞いた事がある。首が処刑台から転がる間、視界を保った景色を見ることが出来るらしい。しかしそれが事実かどうかは、斬首された人間にしか分からないことだ。
俺が答えよう。意識はあるみたいだ。
よし、これで一つ世の中の疑問が解消されたな。もっとも俺は、これを他の人に伝えられない訳だから世の中的には疑問のままだろうが。
そうして俺の視界は、俺の首が重力に従って落下すると共に、落ちていく。
…………落ちていく。
…………。
…………あれ?
視界は何も変わらない。
え、なんで?確かにケントの手刀は俺の首を通り過ぎていった。
でも、何も変わらない。意識も遠のく様子はない。
いま、どういう状態?
あれかな、だるま落としみたいに綺麗に上にのったままなのかな。
そう思って首を落とそうと俺は体を揺らす。
なんともない。てか体動かせるじゃん。
手を動かして、首を触る。
ぺたぺた。
うん。傷一つない柔肌だ。
うーん?
「これで儂の目的は達せられたが、ついでじゃ。小娘、お前の力も貰っておくとするかの。神の力はいくらあっても困ることはないからな。ふぁあっはっはっは!」
ケントが俺の異変に気がつかず、アリスさんに向かって喋りかける。対するアリスさんは俺の方を向いている都合上、俺とバッチリ目が合っている。
手を振ってみる俺。あっ、唖然とした表情のまま手を振り返してきた。可愛い。
「……何をそんなに呆けた顔をしておる?小僧が死んだのがそんなに衝撃だったのか?もしやお主らは男女の仲だったか。そうだとしたら悪いことをしたなぁ。だが安心せい。すぐに同じ所へ送ってやろう。…………どうした。何故手を振っておるのじゃ」
そういってアリスさんの視線を追いかけて俺の方を振り返るケント。
目と目が合う。
近所の人と道ばたですれ違うかのごとく会釈をする俺。
「…………なんか、大丈夫でした(笑)」
「…………」
「…………」
「はぁぁぁぁぁ!?なんっ……ど、どういう事じゃ!!」
大混乱に陥るケント。だが、俺も混乱している。アリスさんも混乱している。皆混乱している。
「儂は確かにお主の首を切った!!首の端から端までちゃんと切った!!なのに、何故何事もなかったかのようにピンピンしておるのじゃ!!何故じゃ!?」
俺に聞かれても。
「…………確かに、少し違和感があった気が……首を切ったにしては手応えがなさ過ぎた。うん?……小僧まさか!!儂の腕を空間の神の力でーー!?」
「やぁぁぁぁ!」
「がっぁ!今…………話してた、とこ…………」
血しぶきを上げながら倒れるケントの後ろに見えるのは、大剣を振り切ったアリスさん。
いや、だからアリスさん。この展開さっきも見たよ。敵がなんか重要そうな事言ってる時は、切っちゃ駄目だって。
「タクヤ!やったわ!!」
そ、そんなとびっきりの笑顔で見つめられても、やっちゃいけないことが……
うん可愛い。判決、無罪。
後ろからだまし討ちしたアリスさんが向日葵の様に花咲いた笑顔でこちらに近づいてくる。
アリスさんてすごくまっすぐな性格をしていて、正々堂々と戦いそうなのに、実際の所圧倒的に卑怯なんだよな。先手必勝の奇襲攻撃か、背後からの闇討ちの二パターンしか見てないぞ。
まあでも、可愛いは正義だよね。何でも許せちゃうもの。
そんなアリスさんが俺の目の前まで来て、いきなり首を触ってくる。
「なっ、ちょっ、ちょっと!」
ひんやりしたアリスさんの手が優しく俺の首を撫でる。俺が抗議の声を上げると、
「ごめん、ちょっと待って、じっとしててね」
と子供を諭すように優しく言う。そんな言い方されたら言うこと聞いちゃうじゃないか。多分その言い方でお金ちょうだいとか言われたら、全財産あげちゃうぞ。借金してでも貢いじゃうぞ。
「…………うん。傷もない。確かに切られたのに」
どうやらアリスさんは、ケントの手刀でチョンパされたはずなのに繋がっている俺の首の確認がしたかったらしい。
なんだ、無性に俺に触りたくなったのかと思った。
まあ確かに俺も気になっていた。確かにケントの腕は、俺の首を通過したのだ。であるならば、俺は首から上と下でセパレートされてなきゃおかしい。物理的に、腕がすり抜けるなんて、空間を歪めたりしなきゃ出来ない話だ。
…………うん、多分空間を歪めたんだろう。なぜなら俺は、
「空間の神の力ね」
アリスさんの言う通り、俺には空間の神トピカさんから貰った力がある。どういう仕組みか分からないが、それがなければ間違いなく死んでいた。
「でも、何で使えたんでしょうか」
「多分、命の危機に面したからだと思うの。神の力を死にかけの人間が発現する事はよくあるわ。私の世界では神の力を使うための修行法として、自ら死地に飛び込んで覚醒を促すというのは一般的だわ」
一般的なのかよ。異世界は修羅か。修羅の国なのか。
「タクヤ、使った瞬間の事を思い出して。何か変な感じとか、不思議な感じはなかった?それを掴めば、神の力を使えるようになるわ」
アリアさんが期待した目でこちらを見てくる。これは期待に応えなければ。
「えーと、そうですね…………今思えば、なんか、空気が変わった気が………」
「空気が?」
「重くなったっていうか」
ていうかケントが力を使った時も、二条の時もそう感じた。
俺が答えると、アリスさんがテンションを上げる。
「その感覚を掴んだのなら、すぐに使えるようになるはずよ!本当は何年も修行してたどり着く境地だけど、タクヤは才能があるわ!」
ウッキウキのアリスさん可愛い。自分のことのように喜んでくれるところとかマジ天使。
…………あれ、ちょっと待てよ。俺は一つ、何か重要なことを忘れている気がする。
力をすぐに使えるようになるって事は…………
「ちょっと待った!!キスは!?キスはどうなるんですか!!」
「ふぇっ!?キ、キス?そ、それはもう必要ないと……ちょ、ちょっとタクヤ!どうしたの!?」
突然膝から崩れ落ちた俺に何事かとアリスさんが駆け寄ってくる。
「こ、これは、精神的ダメージがでかすぎる…………」
「嘘!?もしかして新しい敵!?」
そういって、周囲を見渡しているアリスさん。
違うんです。キスの話が無かった事になったからです。一度鼻先にぶら下げられた果実を、強引にもぎ取られた結果です。
くそぅ。キスしたかった。どうしてこうも上手くいかないんだ。
「敵はいない…………そうか、疲れが溜まっていたのね。ごめんなさい。私、少し焦ってしまっていて、タクヤのことをちゃんと考えてあげられてなかったわ」
勘違いしたアリスさんはそう言うと、ちょこんと正座をした。
そして自分の太ももを指で指すと、
「おいで?多分あのケントという人を倒したから、しばらく敵は襲ってこないでしょう。少し、休みましょう?」
と言ってきた。
何……だと……!?
これは、あれか?俗に言う、膝枕というやつか?
俺は言われるがまま、ふらふらとアリスさんに近づく。
そうして俺がアリスさんの真横に座ると、アリスさんが手を伸ばして、俺の頭を抱え込み、自分の方へ寄せる。
俺は完全に脱力し、されるがままで倒れ込む。
頭の下には柔らかい感触。周りの匂いが心なしか甘い香りに感じる。
ここが桃源郷か。
俺は頭を撫でられながら、少しずつ意識が遠のいていき、そして、ついには深い眠りの中に落ちていった。
…………事はなく。
アリスさんの膝の上に頭をのせて、前を見ると、
「すいません、アリスさん。めっちゃ目が合っているんですが」
袈裟斬りにされたケントの頭が、俺の目の前にあった。
「…………あ、忘れていたわ」
トピカさんの謎空間にあった、フェデリコさんがいた戦場でも死体を見たがさすがにこんな近い距離で見たわけじゃないから、初めてまじまじと生の死体を見る。
死んだ人間の顔って怖いんだな。瞳孔が完全に開いて、口は苦悶にゆがんでいる。そして穴という穴から、何かしらの体液が出ている。
やばい、ちびりそう。てかこれは漏らしていい案件だろ。世界一怖いホラー映画があったとしても、この光景よりはましだと思う。そういえば朝から一回もトイレ行ってなかったな。
うん、これはしょうがない。はーい、漏らしまーす。
そう思ったときに、今自分が置かれている状況を思い出した。
一、自分が一目惚れした女の子に膝枕をされている。
二、そして今からその上でビビって失禁。
…………ない。それはない。そんなの、死んだ方がましだろ。マジでそれだけはないって。止めよう。
…………。
やばい、一回出すと決めたせいで、もう引っ込みつかなくなってる。既に出すという選択肢しか無い。
マジでなんとかしないと!
「タクヤ!?」
アリスさんが切羽詰まった声で叫ぶ。
気付けば、俺の周りの空間がゆがんでいた。
なんだこれ!?いや、でもそんなこと考えている余裕が俺の頭と膀胱にはない。よし、なんだか分からないが、出来るのならやってしまえ。切羽詰まっているのは俺も一緒だ。もう俺の膀胱に溜まったものは、尿道への直通運転を開始している。
絶対ここで出すわけにはいかない。でももう止められない。だったら離れないと。
何処でもいい。ここではない、どこかへ。
空間の歪みが大きくなり、景色がぐにゃんと回っていく。アリスさんもケントの死体も、周りの木々も、真夜中の漆黒も。
すべてが混ざり合い、区別がなくなる。
そして一度それぞれの境界線を失った景色は、逆再生のように元に戻り始める。いや、再構成されると言うべきか。
それが終われば、景色は現実の世界のものとなる。
「え?」
気付いたら俺は、下半身裸になって、自宅のトイレに座っていた。