第1話②
そんな親子を、城の高いところの部屋から見つめる男がいました。
「また仕事をサボって、国王は何をしているのだ。しかも王子ときたら、また何か仕出かしたな……。二人のおかげでいっこうに公務が進まん」
深呼吸をそのまま出したようなため息で悪態をついている男は、この国の大臣であるレオパード。先代の国王から城に仕えている彼は、線のように細い目に鷲鼻の、いかにも憎まれそうな顔立ちをした初老の男性です。国王であれ誰であれ、いつも偉そうな口調で嫌味を言っているので、城の中には居場所がありません。それが理由で毛髪が薄くなったとは言い切れないのですが。
「おい、すぐに国王を連れ戻せ。今夜のパーティーの準備はまだ終わっていないとお伝えしろ」
部屋の入り口で待っていた従者を顎で追い払い、再び自分の仕事に取りかかりました。
口を開けば憎まれるレオパードですが、仕事をしていればきちんとしているようです。
ピピピ、ピピピ……!! 「ッ!!」
突然の音にも関わらず、レオパードはすぐに反応しました。引き出しの奥に隠してあった通信機を取り出すと、机の下に体を隠し小さな声で話始めました。
「はい……」
『ゼールスに到着した』
通信機の相手は、低く少し尖った口調の男でした。
「了解しました。シャルル様は……」
『まぁなんとかな……』
「夕方にはこちらに着けるとお伝えください」
『大丈夫なんだろうな?』
「もちろんです……!ここまで私がどれだけ力を尽くしたと思ってるんですか……!!」
『うるせぇな……。ならいい、切るぞ』
強引に切られた通信。レオパードは舌打ちをしながらも、静かに通信機を机に戻しました。
「ようやく、ようやくだ……。シャルル様が帰ってこられる……」
悪い顔で小さく笑うレオパード。先程は仕事はできると言いましたが、撤回しなければなりません。
アクエリアスに、危機が迫っています。
夕方になりました。ブルーノは部屋でパーティーに準備をして……いませんでした。
不安そうに部屋中を歩き回るブルーノは時々止まっては考え、時には座ってみたり、時にはベットで寝てみたりと終始落ち着きがありませんでした。
理由はもちろん、メイのことです。
昼間は心配ないと聞いていましたが、少し前にロバーツからパーティーに参加できないと言われ、不安になっていたのです。
トントン。
ドアが開かれ、ロバーツが入ってきました。
「失礼します。ブルーノ様、そろそろ……」
しかし、ブルーノの準備はまだできていません。
「ロバーツ……」
「ブルーノ様、心配なのはわかりますが大丈夫です。大事をとって参加しないだけなので、メイ様はピンピンしております」
「本当に?」
ロバーツは力強く頷きました。
「ごめんロバーツ……」
「……心配しすぎだぞ?」
突然、ロバーツの口調が砕けたものに変わりました。
「メイは昔から体が弱かっただろ?それにあんなに心配すると、逆にメイが萎縮するかもしれないぞ?メイがいつも弱々しくてもいいのか?」
「それも困るけど……」
「だったら元気出せよっ」
ロバーツはブルーノの肩をポンっと叩きました。
通常の執事と王子の関係なら、この行為は失礼にあたるでしょう。ですが二人は違います。彼らの関係は主従ではなく、家族なのです。
ロバーツはブルーノ生まれる前から父であるジャックと一緒にいたとブルーノは聞かされていました。なんでも、みんなで旅芸人をしてたんだとか……。
物心つくころには傍にいたロバーツは、ブルーノにとって兄のような存在でした。時には一緒に遊んだり、時には勉強やマナーを教えてくれたり、時には一緒に怒られたり……。
頼もしく、格好いいロバーツがブルーノは大好きでした。ロバーツのようになりたいとまで思っていました。
しかし今は、その存在がとても遠くに感じています。
「それに、二年前の怪我は治ってる。ポーラが言うんだから絶対だ。嫌味を言われたいのか?」
そして、ブルーノがなぜこんなにも妹を心配しているのか。その理由が二年前にありました。
少し昔話をしましょう。あれは、二年前の事です。当時のブルーノは、今とは正反対の性格をしていました。元気で明るく、即断即決。どんな年齢の人でも臆することなく話していける。そんな男の子でした。
そんなある日。あれは冬の寒い日の事です。その年は特に気温が低く、予報によると海が凍ると言うのです。
星の8割を占める海が凍る。一生に一度あるかないかのことにブルーノが興味を持たない訳がありません。城から一番近い高台に見に行こうとしたのです。
しかしその日は風が強く、高台は崖になっているため危険だと言われ、外に出ることさえ禁止と言われてしまいました。
ただ、ブルーノの好奇心は抑えられません。秘密の抜け道を使って見に行こうとしたのです。
行こうとしたその時。ブルーノは声を掛けられたのです。妹のメイに。
兄と同じく好奇心の強かったメイは、ついていくと言うのです。危ないからダメだと言ったのですが、連れていかないと泣いて邪魔をしてやると言われ、仕方なく連れていくことにしました。
そしてブルーノは見ました。海が凍っている。高台から見える海全部が絵に描いたように止まっていたのです。
ブルーノは興奮しました。こんなにも自然はすごいんだと肌で感じたのです。
しかし、同時に自然は牙を剥いてきました。メイが風に煽られて足を滑らせてしまったのです。
咄嗟に手を伸ばしましたが掴めませんでした。崖の下に落ちていく妹を見るしかできませんでした。
なぜ妹をずっと見ていなかったのだろう。なぜ連れてきてしまったのだろう。なぜ外に出てしまったのだろう。なぜ行きたいと思ってしまったのだろう。
たくさんの自責がぐるぐると頭を回り、何も考えてなかった自分に怒り、そんな考えでこれまで生きてきた自分を子供ながらに一瞬で否定してしまったのです。
幸い、こっそり後をつけていたロバーツ達がメイを救ってくれたので大事には至りませんでした。怪我も大したことはありません。
しかしそれからというもの、ブルーノはその時の罪悪感から、自分を好奇心を押さえ付けるようになってしまったのです。
「そうだね……。ポーラに怒られちゃうね……」
未だ心に傷が残るブルーノ。一つ息を吐くと、ようやくパーティーの準備を始めました。
そんなブルーノを見てロバーツも手伝い始めました。執事であり、友であり、兄であるため、ブルーノの力になりたいと思っているのです。