結局...
長いだけで大した意味を持たない卒業式の間、僕は矢張り彼女の綺麗な横顔を眺めていた。うっすらと涙を浮かべる彼女の瞳を見て、成程そんなものなおかと思いながら長ったらしい教員の話を聞いている。教員には心を込めて我々に話しかけているのかもしれないが特有な高飛車感が否めないので素直に感動する事ができない。そもそも、今目の前に立っている”先生”と皆が当然に読んでいる人間というのは”先生”と呼ぶに値するのであるか。”先生”と呼べるほど誠実で聡明なのであろうか。否、確かに二人ほどそう言った”先生”は存在するがそれ以外の人間は”先生”という敬称をつけるに値しない人物だ。
卒業式を執り行った蒸し暑い体育館からアリのような行列を作りながらゆっくりと自らの学び舎たる場所に戻る。参加した親たちが涙を浮かべながら拍手をしている。
体育館から出てとき雨のフリが入った時より強まっていた。僕たちは急ぎ足で校舎内に入った。
いつもの教室に戻ってきて高橋の元へと歩み寄る。
「おう、長かったな、純一」
高橋が言う。
「お前、卒業式の途中で笑わせんのやめろよ」
僕が笑いながら言うと彼も笑った。
しばらく話し合っていると教師が入ってきた。僕は仕方なく席につき、教師のつまらない感動話を無心で聞いた。みんな静かに聞いていたが心の中では、早く終われ、と願っているに違いない。
教師の話が終わり皆一斉に教室の廊下に出た。この地獄の教室とも今日でおさらばと思うと清々しい開放感が身を包んだ。外へ出る間、高橋のと肩を組んで歩いた。しかし高橋の方が遥かに背が高いのでいつも僕の肩が疲れてしまう。そして今も肩が無理な角度にある。
「で、お前行くの?」
高橋が急に何かを聞いてきた。行くって一体どこへ。
「え」
僕が戯けたようにそう聞き返した。
「え、じゃなくて。何かこの後みんなでどっか行こうって言ってたじゃん」
「ああ、俺は行かんかな。面倒くさい」
なんであんな奴らと、と言ってはあいつらが可愛そうだがいくらあいつらが僕のことを友達だと思ったところで僕の友達は残念ながら高橋しかいないのである。あんな奴らにのために時間を割くのであれば家に帰って借りて来たフェリーニの映画を観る。そっちの方がよっぽど僕の人生にとって大切である。
「高橋は?行くの」
高橋はちょっと考えていた。
「多分行くと思う」
僕はただ頷くだけにとどめた。
外は土砂降りなことに変わりはなかった。みんなこぞって傘をさし最後であると他人を押し除け友人同士て写真を取り合っている。僕も親に見つかってしまい雨の降りしきる中、高橋と二人で写真を撮った。皆あちらこちらで泣いているようだ。馬鹿みたいである。なんの為にまた、誰の為に泣いているのか見当もつかない。会いたいならば会えるであろう。まして情報技術が発達した今日において連絡を取り合うことなど直に会うことよりも容易であろうに。それともそんなにこの学校での生活が楽しかったのか。僕には理解ができない。高橋と土砂降りの中皆が集まっている場所へと移動した。大して仲も良くない人間が僕と一緒に写真を撮りたがっている。一応応じるがその写真はすぐに捨てるだろう。と思いながら何も考えてなさそうな親のカメラに得意の戯けを発揮して応える。
土砂降りの中、高橋に傘を持たせてたたずむ。そして歓喜に満ち溢れたあたりを冷静に見渡す。
僕の自然は必然的に彼女を捉え釘付けになった。楽しそうに彼女は彼女お友人と話していた。ああ、綺麗だ。いつ見てもどんな時でも彼女は美しい。しかし僕は彼女に何もできなかった。それをいつまでも悔やんでいる。
「なに見てんの」
高橋がそう尋ねてきた。僕は顎で彼女のいる方をさした。すると高橋はその先へと視線をやった。そして高橋が一つ大きなため息をついた。
「お前まだあいつの事が好きなのかよ」
僕はただ頷いた。
「6年間片想いってどんだけ執念深いんだよ」
「だから、絢音も僕のこと好きなんだって」
と僕は抗議の目を高橋に向けた。
「両想いだろうがなんだろうがお前があいつに何もしない限りはそんなものはないと同じなんだよ」
僕は返す言葉がなかった。確かにその通りだ。
「ほら、お前最後のチャンスだぞ。俺が行って話してくれるように頼むからお前自分の気持ちを伝えてこいよ」
僕にはそんな勇気はないことを高橋は知っていながらそんなことを言った。高橋がキュに走り出したので僕は彼の腕を思いっきり引っ張った。
「いて」
「いいよ。そんな事しなくたって」
高橋は歩みを止めて僕の右方を見た。
「本当に良いんだな。絶対後悔しないな」
僕は黙った。本当は良くないのだ。彼女を思わない日は一時もなかった。
「うん」
僕はそう言って雲の切れ間から微かに漏れる日の光を見た。そして漠然と彼女と二人で過ごしていたはずのもう一つの人生を思った。
「そうか。そこまで言うなら仕方ないな」
高橋が誰かに呼ばれ向こうへ行ってしまった。彼の後ろ姿を見て、ああ、僕は彼がいないと何もできないんだなと痛切に感じた。そして取り残された。通い慣れた校舎の出口に。僕は一人で振り返り伽藍とした薄暗い下駄箱を眺めた。
絢音が小さな手で僕の肩を優しく叩く。そして僕は振り返る。
「純一」
彼女は上目遣いで僕の方を見てそう呟く。彼女の行動一つ一つに胸を打たれてしまう。
「もう、卒業だね」
彼女がはにかみながらそう言う。
「うん」
彼女が少しばかり僕に近づいてくる。そして薄く弱々しい手で僕の手をとる。
「私、ずっと純一の事が好きだった」
彼女の澄んだ瞳に涙を浮かべている。僕はそんな彼女を愛おしく思い本能的に彼女の薄い体を抱きしめる。そして耳元でこう呟く。
「僕も好き」
そして僕たちの頭上では七色の虹が架け橋のように架かる。
と云う妄想。
僕は踵を返し歩き始めた。もはや誰もいなくなった道を。雨の降りしきる中ただ一人、格好良く死ぬ為に。