SCENE 5『これから、終わりに向かう話をしましょうか』
――どうか、お付き合いください。
――めでたしめでたし。
と普通なら、ここで物語は閉じられるべきなんだと思う。
小さな少女チーサは、街での用事を難なく済ませて、一回り成長して村に帰ってくると、新しい家族たちと一緒に、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。
そういう安直なハッピーエンドで閉じた方が、綺麗なまま終わることが出来たんだと思う。
私たちの世界は、思っていたよりもずっと優しかったんだよって、幸せな気持ちのままでいられたんだと思う。
序盤の血生臭い伏線なんて、明後日の方角に放り投げられてさようなら。全ては万々歳。それなりのハッピーエンド。
そんな幸せな――夢の中に居続けることが出来たんだと思う。
でも、私にとってここは現実だった。曖昧な誤魔化しが可能な言葉の世界じゃない。解釈によって事実の書き換えが可能な認識の世界でもない。ただの圧倒的な現実だ。
だから、現実が続いていくのを止められない。
――何事もなく、終わると思っていたのに。
街について一息吐いて、薬草を買って、近くの食堂で人目を気にしながら昼食を終えた時に。
ガヤガヤ、と騒がしくも楽しげな人々の語り合いを音楽として耳を澄ませていた時に。
聞こえたのだ。
「――そういえば、聞いたか、行方不明だった×××××ちゃん見つかったってよ」
聞こえたから、私の耳がおかしくなったのかと思った。
空耳なんじゃないかって思った。
だってそうだ。私が捨てたはずの名前が、こんな場所で聞こえただなんて、そんなことがあるわけがない。なぜなら、私は頑張って過去の自分を捨てたのだから。
捨てることが出来たはずなのだから。
だから、そんな捨てた過去が、逃げ延びた私を追いかけてきたなんてことがあるわけ――。
「やっと見つかったってことは、新作出るのかな」
男どもが、何かを言ってる。
私が聞きたくない話を、他人事のように面白がりながら話している。時折挿入される無邪気な笑い声。なのに、私を嘲笑っているようにしか聞こえない。
あくまでも噂だぜ、と男は言った。
噂だけど誰も噂だって信じてないじゃねぇか、と別の男は言うと聞く姿勢に入った。
なんだなんだ俺も話に混ぜてくれよ、と外野の男が乱入し始めた。
俺×××××ちゃんの映像全部持ってるよ、と自慢げに語り始める誰かがいた。
噂話は会話になり、会話が語り合いへと変わっていく。
それは、まるで宴のように。
私の気持ちを踏みにじりながら、彼らの言葉は垂れ流しの水みたいになって海のように広がっていく。
「今でも伝説級のAV肉便器女優だったモンなぁ、×××××ちゃん」
「世界中にばらまかれたからな。本人は失踪してたけど、今でも爆売れだぜ」
「切断ショーは規制が入ったけど、素晴らしかったな」
「俺、その時のグロシーン、抽選に当たったから現場で見たぜ。やっぱAVはグロもエロも無修正に限るよなぁ」
「グロはねぇよ、どん引きだよ」
「俺は、×××××ちゃんが魔物と――」
「俺は、×××××ちゃんが汚いトイレで――」
「俺は、×××××ちゃんが奴隷市場で――」
「奴隷市場って潰れたんじゃなかったっけ?」
「あんな欲望の坩堝が潰れるわけないだろ? 今日も人身売買やってるさ。近いうちに、新しい商品来るらしいし」
「あんまりにも可哀想だって抗議してた人権団体あったよな、最近聞かなくなったけど」
「粛正されたってさ。馬鹿な連中だったよ、ははは。民意ってものをまるで理解していなかったんだから」
「そういえば、俺、貴族の友人に誘われてさ、×××××ちゃんとやれるパーティーに参加したことあるぜ。善人面したお偉いさん方も、一皮むければ人間だったんだな」
「見栄張って嘘吐くんじゃねぇよ」
「この人の言ってること嘘じゃないよ、販売に出されてた映像にちらっと出てたもの」
「ってことは、あれってイメージビデオじゃなかったのか」
「というか、×××××ちゃんが出てきたAVは全部本当にあったことだよ。イメージビデオなんて皆無」
「つまり、俺が前に見たハードコア変態プレイものは、本当にあったってことか……えっ、あのゴキブリ食わせたのも?」
「本物だよ。まぁ、俺としてはどん引きだったけどな」
「あぁっ、×××××ちゃん……!! 今度はカブトムシの成虫を食べてくれないかぁ!! ミミズを食べてくれないかなぁ!! アニサキスの山盛りとか食べてくれないかなぁ!! あぁっ、×××××ちゃん! 惨めで可愛い×××××ちゃん!!」
「誰だよ、発狂してるヤツ連れてきたの」
「×××××ちゃんに欲情するのは、人間にとって当たり前のことだよ。一部の機能が正常に動いているってことの証明になってくれる」
私は頭がおかしくなりそうだった。
いや、もうすでにおかしくなっているのかもしれない。何かを考えようとしても、次から次へと真っ白に漂白させられてしまう。上手く思考が回ってくれない。脳の回路が焼き切られているんだろうか。正常に動いてほしい。
――でも、正常に頭が回るようになったら、私はどうすれば良いんだろう?
私の頭が壊れそうになってる時も、男たちの数は増えて――たまに物好きな女性も混じって――言葉の応酬は、合唱曲かシュプレヒコールか何かへと変質していく。
「あたしはレズってたのが好きだな。あの好きでもない相手と無理矢理キスしてるってのがたまらんですたい」
「あの相手役の女の子どうなったんだっけ?」
「あー、新作の撮影中に死んじゃったよ。腹パンの最中に、間違って脳みそぶちまけちゃったらしくてさぁ」
「マジかよ、あー、ショックだなぁ。可愛かったのに」
「あの男優とっとと豚箱にぶち込めば良いのに」
「王都のギルド長な上に、前の戦争の時の英雄だからなぁ。政治的配慮ってヤツだろう」
「やっぱ、女は男の性処理道具であるに限る」
「違う、家畜だ」
「ペットにして飼いたいなぁ」
「ババァになったらどうするんだよ、そこまで面倒とか見られるのか?」
「飽きたら殺処分するから安心だよ。大丈夫」
「おまわりさーん! ここに男女差別主義者がいますよー、逮捕しちゃってくださいよー、げらげらげら」
「×××××ちゃんに人権はないから大丈夫だよ」
「あたしは女だけど、×××××ちゃんのこと奴隷にしたいって気持ちは本物だから。純粋な気持ちだから」
「男の子は男の子と、女の子は女の子とエッチすれば良いと思うの」
「動物でも魔物でも可」
「でも、女だと孕ませられないじゃん」
「ちっちっちっ、古いよ、その常識。最近は男根を生やせる技術とかあるんだよ。人類は進歩する生き物なんだぜ」
「ムカデ人間」
「ちくわ」
「誰だ今の」
(おビール様ください)
「こいつ直接脳内に……」
「でもさー、結局、×××××ちゃん孕んじゃったじゃないか。しかも女じゃなくて男に」
「せっかく、女優に生やして犯させたのに、その前にやったゲスト男優で妊娠しちゃったっぽいからなぁ」
我が子のことを言われて、ますます頭がおかしくなる。
彼らは何を言ってるんだろう。あの子がなんだって言うんだ。あの子は私の子供なんだ。本当なら産みたくなかったけど、今なら愛せそうなくらいに好きになりつつある存在なんだ。
母親になりたいと思うんだ。
だからもう、何も喋らないでくれ。
口を閉じてくれ。
何も聞きたくない。
あの子を穢すような言葉を――空気中にばらまくように言われるのは、とても嫌なんだ。
でも、彼らは言葉を止めてくれない。
「――たしか、あの時のゲスト男優って、この国の王様じゃなかったっけ?」
「そうそう。つまりはだ、×××××ちゃんは王様の子供を妊娠したのかもってことなんだな」
「ちゃんと調べたのか?」
「もちろん、性病検査の際についでに調べたらしいぞ。結果は本物だったそうだ」
「×××××ちゃんすげーよな、王様に孕まされた肉便器だなんて世界初じゃね?」
「大出世したよなぁ……応援した甲斐があったぜ。げらげらげらげら」
――彼らは何を言ってるんだろうか。
王様? 私を犯してきた男の一人が? 私の子供が、彼との血を受け継いでいる? そんな馬鹿げた話があるんだろうか?
本当にそんなことが?
正直言うと、覚えていない。
私を犯してきた人間なんて、星の数と同じに思えるくらいにいっぱいいたから。でも、さすがに王様はないよ。
王様が私という女の子を嬲り者にしました、だなんて、ノブレスオブリージュを掲げていたあの王家が、そんな。
そんな、私を嬲り続けてきた暴力団と手を繋いでた、みたいなご都合主義みたいなこと、あるわけが――。
――あはは。
そうか、これはきっと話を盛り上げるための法螺話なのだ。だから、私を孕ませたのか王様だなんて狂ったセンスが出てくるのだ。不愉快だけど笑えるね。ははははは。だから早く冗談だよって言ってくれ。早く早く早く。早くって行ってるんだから早くなんだよ、ははははは。
――誰も、冗談だって言ってくれないの?
ご都合主義そのものみたいな話なんだよ。もしこの世界が物語だとしてもリアリティがなさ過ぎる。こんな残酷なことだけが偏っているだなんて、普通ならあるはずないんだ。
世界はもっと、優しさとか思いやりとか恋だとか愛だとかで動いているものであるべきで――。
「しかし、可哀想だよなぁ、あの村の連中。×××××ちゃんと王様の子供を内緒で匿ってたんだろう? それで全員皆殺しか」
――そんなわけが、なかった。
おかしいなぁ。
どうして、私はこんな世界に期待なんか残していたんだろう。希望なんか抱いていたんだろう。馬鹿みたいだ。
本当に、馬鹿みたいじゃないか。
自分自身に失望していく。
何もかもが、嫌になっていく。
――私は何をしているんだろう。
「可哀想じゃねぇよ。だって、×××××ちゃんを匿っていたんだぞ。その見返りにいっぱいエッチなことしてたに決まってる。×××××ちゃんに酷いことしない人間なんているもんか」
「そうじゃなかったら?」
「不能者の集まりなんじゃねぇかな」
げらげらげら、と下品に人々が笑う。
会ったことも知ったこともない村の人たちを、自分たちの想像に当て嵌めて妄想した上で嘲笑している。彼らは何を言ってるんだろう。気持ち悪い。
村の人たちは、本当に優しかった。
全てから逃げてきた私たちを受け入れてくれた。ちょうど良い距離感で接してくれた。暴力なんて振るわなかった。
それだけで、私は救われた。本当に救われたんだ。嘘じゃない。強がってもいない。真実なんだ。
でも、この世界は――彼らが間違ってるって言う。
「今回、国は本気だぜ。村人粛正した後は、それをバックにAV撮影するってよ。大々的に予告してやがる。たまらねぇぜ」
「×××××ちゃんをAV女優に貶めた伝説のゲストも登場だってよ」
「×××××ちゃんが産んだ子供ってことは、王様の子供でもあるってことだろ? どうするつもりなんだ?」
「不義の子供みたいなもんだから人権剥奪するってさ。処刑されると思うよ」
「まぁ、肉便器の子供に人権なんかいらねぇよなぁ」
「にしてもよ、あの村って質の良い薬草が採れるんじゃなかったっけ。あそこでも採れないのがあるとか。村人殺しちゃったらどうすんだ?」
「そんなもんより×××××ちゃんのAVの方が金になるからなぁ、大丈夫だろ。エロは偉大だよ。色んな人が幸せになれる」
人の命を何だと思ってるんだろう。
私には彼らの倫理観が全くわからない。脳を解剖して研究してしまいたくなるほど不可解だった。
みんな狂ってる。
いつから、この世界は人間の形をした化け物が我が物顔で生きていけるような場所になったんだろうか。
わかんない。
「――もうそろそろ、先発隊が村に向かい始めたところかな」
そこで、私は少しだけ正気を取り戻した。
まだだ。
まだ諦めるのは早い。
帰らなくちゃ。
化け物たちから、大好きな人たちを守るために。
――私の故郷に帰るんだ。
「……っ」
席を立って、走り出す。
財布から多めに金を取り出しながら、騒音を撒き散らす有象無象を横切って、カウンターに金を叩き付ける。
「お客さん、多すぎますよ――」
「――お釣りいらないッ!!」
そのまま、私は食堂を出て走り出す。
村へと帰るために、全速力で。
まだ間に合うんじゃないかと信じたくて。
「ん? 今のって、顔焼け爛れてるけど……ひょっとして――×××××ちゃん?」
ふと、どこかで誰かが呟いたのが聞こえる。
なぜか、私はもうどこにも逃げられないと言われた気がした。
――街に向かう時に乗った馬車は、使えなかった。
いつも村と街を往復している馬車が貸し切りになっていたとか、個人所有用の馬車を買い切る金がなかったとか、そういった理由がいくつかある。
でも、いつも馬車を操縦していた、顔見知りの御者がとても心配そうに声をかけてきたからだ。
「ヤバそうな奴らが上司から馬車を借りていきやがった。嫌な予感がする。命が惜しかったら、ここからも逃げた方が良い。チーサちゃん、危ないことは止めるんだ」
心の底から、私の身を案じるような言葉。
少しだけ嬉しかった。
この街にも、まだまともな人がいるんだなって。
そのせいか、もっと村のことが心配になってしまった。
私が好きな人たちがいっぱいいる、第二の故郷と化したあの村が。心配してくれる人がいるあの場所が。
だから、私は走っていた。
――弱音を吐きたくなるくらいに、ずっと。
(間に合わない……このままじゃ、本当に)
頭の中で、弱々しい本音が反響している。
何も無意味な気がして。
そうだ。全てが遅すぎたのだ。どうしようにもないほど手遅れ。今から行動したって無駄足にしかならない。
そう思う。思ってしまっている。
根拠も確証もないのに、心のどこかで確信している。
私には何も出来ないんだって。
(でも、立ち止まってなんかいられない……まだ、諦めたくない、まだ、まだ、私はっ)
なのに、私は今も走り続けている。肉体が限界を迎え、疲れ切っているのに、諦め始めているのに、性懲りもなく。
村に向かって、足が千切れても構わないと駆けている。
止められない。
頭の中ではもう間に合わないかもしれないって思ってるのに、まだ身体の方は諦めていないのだ。
手段を選ばなかった結果、諦めなかった結果、私は走っている。ずきずきと痛む足を痩せ我慢しながら。靴擦れを起こしていたり、血豆が出来て潰れたりしているに違いない。
魔法で身体能力を底上げしたが、それでも無理をしたせいか、もうそろそろ限界だ。筋肉や関節が悲鳴を上げている。
飛行する魔法は使えない。以前投与された劇薬のせいで、発動するために必要な神経を焼き切られてしまった。それをどうすることも出来ない以上、走る以外に手段はない。
(くそっ、くそっ……なんで、こんなっ)
息切れを起こしながら、自分自身に対して舌打ちをする。思考が曖昧になりながらも、ハッキリと今も無力感だけは感じられる。気持ち悪いくらいに。
私にはもっと力があるはずだった。自分自身の手で取捨可能な選択肢が、確実なものとして数多くあったはずなのだ。
でも、今となっては数えるほどしかない。奪われてしまったり、潰されているうちに、この有様だ。
私じゃ誰も守れない。
(早く、早く、早く……!! 早く、着いてっ……間に合え、私っ!! 私に、守らせてっ!!)
足を止めていなかったせいか、気が付くと村に近い場所にいた。あと数分くらいで辿り着く。
もうすぐだ。
村に着けば、なんとかなる。
全部なんとかなるはずだ。どうにか出来るはずなんだ。火の粉を振り払うことが出来る。まずは生き残ることが出来るんだ。そうすれば、選択肢が増えてくれる。
幸せになる道筋が、残るはずなんだ。
だから、もうちょっとだけ頑張らないと――。
(――――)
――そんな気持ちは、すぐに裏切られた。
絶句する。思わず足が止まる。息が出来なくなる。自分自身の正気を疑いたくなる。
胸の奥をきゅっと締め付けられた気がした。苦しい。痛い。目眩がする。ぐるぐる世界が回ってるみたいだ。足に入れていた力が抜けて、その場で膝をつきそうになる。
私は、白昼夢でも見ているのだろうか。
だとしたら、これは最低な夢だと思った。
ふざけるな。
「………………」
視界に入るものに対して、何も言えなくなる。
声を奪われたみたいだ。頭の片隅に冷静な部分が残っているのに、それを言葉にすることが出来ない。
ああ、でも、何かを言わないと。
――本当に、おかしくなりそうで。
「………………ち、くしょう」
心の底から吐き捨てて、再び走り出した。
死ぬほど悔しくてたまらないのに、まだ涙は流れてくれない。それがますます悔しくて泣きたくなる。
もうちょっと。
もう少しだけ我慢しないと。
――村の方角から、大量の黒い煙が上がっていた。
第二の故郷は、血の海に沈んでいた。
村の出入り口から奥に続いて、人間が血を流して転がっている。ピクリとも動かないのもあれば、凍えているみたいに震えて痙攣しているのもあった。
――入り口の前には、馬車が止まっている。
「…………」
私の身体は、苦痛だらけだった。
そこに転がっている死体らしきものと、あんまり変わらないんじゃないかなって現実逃避みたいに思う。
肺は潰れたように痛み、新しい酸素を取り込もうと必死だ。頭は酸欠のせいで、金槌で小突かれているみたいに痛い。足は限界のまま走り続けたせいで、千切れてしまったみたいに感覚がない。
死にそうだ。本当に死んでしまいそうな苦痛だ。
でも、足は止まってくれずに、村の中へと入っていく。
ぽちゃり、と一人目の血だまりを踏む。
――気持ち悪いくらいに、血の臭いがした。
「…………」
頭部に矢が刺さっている死体は、狩人のおじいさんだった。クロスボウを構えた状態で事切れている。死相は引き締まっている。引き金を引く前に撃たれたらしく、それを認識する前に死んでしまったらしい。
甘いお菓子が好きな人で、よく買いに来てくれたっけ。本人は恥ずかしそうにしてたけど。
「…………」
二人目の血だまりを踏む。
刃物か何かで上から下へと一刀両断にされ、真っ二つに転がっている死体は、酒好きのおばあさんだった。
どんな酒でも美味しそうに飲む人で、それに引っかかって不味い酒にあたってしまうこともあった。旦那に先立たれてからは、死ぬまで酒を楽しむことにしていると言っていたっけ。
今度オススメのお酒を教えて貰う約束してたのに。
「…………」
そのすぐ近くに、頭部をかち割られて脳を剥き出しにしている死体が転がっていた。おばあさんとよく飲み比べをしていたおっさんだ。
あの二人は、仲の良い友人だったと思う。年齢の差はかなりあったけど、ウワバミという点で繋がっていた。子供みたいに馬鹿騒ぎを楽しむ人たちだった。
どうやら、おばあさんは咄嗟に彼を庇って死んだらしい。でも庇いきれずに、まとめて頭を切られたという感じだろう。
「…………」
酒場の中を覗き込むと、数ある死体に紛れるように、酒場担当の美人店長が死んでいた。先ほどまで強姦されていたのか全身が汚れている。
死体は全裸だった。近くに下着と寝間着らしきものの残骸が落ちている。風邪で寝込んでいたところを襲われたらしい。
店長は、綺麗な人だった。性格は残念なところがあったけれど、いつも自信満々で、気高くあろうとしていた。
その彼女が首を絞めて殺されている。とても苦しかったはずなのに、死に顔はまっすぐに誰かを睨み付けたままだ。純粋に怒ったまま事切れている。
彼女を強姦した連中のことだ。反応が悪くなったという理由で首を絞めたんだと思う。そういう悪癖は変わってないらしい。私の時もそうだった。
「…………」
歩く。
血だまりを踏みながら、先へ進んでいく。
見渡す限り村人の死体ばかりだ。それ以外の死体はほとんど見当たらない。
このミンチらしきものは、村長さんの死体だろうか。服の切れ端に見覚えがある。徹底的に潰されていた。
村長さんは良い人だった。
村の外からやって来た、怪しい子連れの女を温かく出迎えてくれて、住む人のいない空き家を貸してくれた。おかげで今日まで生きてこられたと思う。本当に良い人だった。
なのに、良い人は殺されてしまった。
街で聞いたことが正しいのなら、先発隊と呼ばれていた連中の仕業だろう。どうやらあの王は、私を連れ戻すために過剰な暴力集団の力を使うことにしたらしい。
狂ってる。
私という女が、いくら金になるとはいえ、色んな人間の弱みになったとはいえ――そのために、こんなに血を流すのか。
私が性暴力に潰される映像が、途方もない金になったからと言って、ここまで余計な巻き添えを出す必要があるんだろうか。
いくら考えてもわからない。わかりたくもない。
「…………」
農家のおじいちゃんとおばあちゃんらしき焼死体が転がっている。ほとんど炭と化しているが、抱き締め合っているような格好であるのがかろうじてわかった。
死ぬなら二人一緒がいい、と世間話の中で聞いたことがある。そんな仲の良い老人夫婦だった。
「…………」
どうして、私は見つかってしまったのか。
記憶をほじくり返してみると、数日前の光景が蘇ってきた。脳裏を過ぎるように再生される。
私と少年が結ばれた雨の日。
慌ててやって来た男性客。
彼は私の顔を見るなり、強ばった。
ああ、きっと、あれは私の火傷に驚いたんじゃない。私という人間がいたことに驚いたんだ。
そしてもう一つ、今更ながらに思い出す。
あの男は、かつて私を犯した人間の一人だ。私という少女にのしかかって、必死そうに腰を振っていたことがある。いつも通りの苦痛として流した存在だった。
どうして、今まで忘れていたんだろう。忘れてなかったら対処できたかもしれなかったのに。いざとなれば、殺して口封じすることだって出来たはずなのに。
それも、今更な話だ。
忘れたいと願ったのは、私なのだから。
「…………」
年端もいかない少年が死んでいる。
彼は両親の仕事の邪魔にならないようにと、農家を営んでいる祖父母の家に遊びに来たはずだ。この村に朝着いたばかりだと聞いている。
少年の死体は痙攣していた。口から泡を吹いたらしき形跡がある。近くには吐瀉物のようなものも落ちていた。
死に顔は、苦しみに歪んでいた。枯れそうなほど涙を流して、痛みの中で死んだことがハッキリとわかる。
何があったかは想像付く。
吐き気がした。
でも、吐けなかった。
そんな自分がとても気持ち悪くて、悔しかった。
「…………」
まっすぐに、雑貨屋に向かっているはずだった。
村に着いてから、真っ先に一番大事な人たちがいる場所に帰らなければ、という思いで、いっぱいなはずだった。
でも、不思議だ。
気が付けば私は、道ばたに転がっている死体を通りすがるたびに、つい集中して視線を向けてしまう。
その人たちが死んでしまう前のことを、思い出してしまう。思い出さないようにしても、勝手に湧き上がってくるのだ。
どうしてだろう。
もう私にはわからないよ。
「…………」
雑貨屋の近くにある、私の家が燃えていた。
薬草や作りかけのポーションなどがある、ほとんど薬の精製や寝るためだけに使っていたような家だった。
雑貨屋で過ごした時よりも、そこで過ごした時間は少ない。
でも、愛着がある家だった。
この家があったからこそ、私は雑貨屋の人たちと程よく距離感をおけたんだと思う。落ち着いて仲良くなっていけたんだと思う。少しずつでも。
だけど、もう全部燃えている。
この様子だと、私が精製したポーションは全滅だろう。仮にまだ生き残っている人がいたとしても、どうにも出来ない。その場しのぎさえ出来ない。
――私は、本当に無力だと思う。
「…………」
そうして、私はその場所に辿り着く。
見慣れた場所。
私が愛していた人が住んでいた店。
村の人たちが愛していた、ごく普通の雑貨屋。
「…………あぁ」
その店の前で、店長さんと奥さんが死んでいた。
店長さんの死体は、全裸のまま地面に転がっていた。全身を延々と嬲られたような細かい傷跡が点在している。
死なない程度に剣で切られたらしい。私にも覚えがある。徹底的に人を苦しめるやり方だ。すっぱりと殺してくれずに痛みが蓄積される。その痛みのあまりに死んでもおかしくない。
店長は痛みに耐えられなくて死んでしまったようだった。死に顔は壮絶に歪んでいる。他の死体でもよく見た、苦しみと痛みでひび割れた表情だ。誰も救ってくれないと絶望した時の表情だ。見ていられない。
その近くに、店長が着ていた服が転がっていた。泥まみれになるまで踏みにじられている。見せしめで殺されたんだ、と思った。
奥さんの方は、全身をグチャグチャにされて死んでいた。服の模様でかろうじて本人とわかったが、それ以外に面影はどこを探しても見つかりようがない。
猟奇的に破壊されている。
ふと周囲を見渡してみると建物や地面に、陥没と血痕と肉片らしきものが、至る所に見受けられる。
死体の足に、誰かが握り締めたような紫色の痣があることから、足を掴まれて振り回されたようだ。そして、滅茶苦茶になるように叩き付けられた。
奥さんの顔は、完全に潰れきっていた。いつも見慣れた愛嬌のある顔立ちは欠片も見つからない。目も鼻も、唇も、耳さえも消えてしまっていた。
かつて彼女は自分のことをあんまり美人ではないかもと言っていた。たしかに私もそう思うくらいに平均的な顔だったと思う。でも、私は好きだった。奥さんの笑う顔が好きだった。
――なのに、あの男たちは好みじゃないから殺した。
「…………」
現実は私が思ってた以上に最低だった。
物語における伏線もなしに、不条理はやってくる。まるで災害みたいに。
いったい、私の何が悪かったというんだろう。何を間違えたら、こんな結果になったんだろう。
胎児と一緒に逃げたからだろうか。それとも二度目の人生を送ろうとしたからだろうか。薬屋で食い扶持をどうにかしようとしたからだろうか。優しい雑貨屋の人にお世話になってたからだろうか。幸せになろうとしたからだろうか。
――少年のことを好きになったから、だろうか。
何もわからない。
私の何が悪かったんだろう。何をどうすれば、こんなことにならなかったんだろう。わからない。本当にわからないんだ。考えても考えても、ちっとも、これっぽっちも、全然わからない。どうしてだろう。どうして、わからないんだろう。
――どうして、こんな目に遭わなくちゃいけないんだろう?
「…………」
雑貨屋の中に足を踏み入れる。
人の気配はない。
いや、あるにはあるが奥の方――プライベートな場所にだ。誰かが不法に侵入している。それも複数人が。固まって行動しているらしい。
この村を血の海に変えた元凶は、全部そこにいる。
そして、そこには――もう一人。
まだ生きている。生きているはずだ。
だから、行かないといけない。まだ生きているのだから。まだ間に合うのだから。早く。死んでしまう前に、早く。
でも、私は泣きたくて仕方ない。
「…………あぁ、あぁぁ」
泣いた。
泣いてしまった。
泣いちゃ駄目だと思っていたのに、泣いている場合じゃないってわかっているのに、身体が勝手に泣き始めてしまった。
私は、子供みたいに泣く。
壊れた感情が悲鳴みたいに口からこぼれ出た。
「ああああぁ、あぁぁぁ、あぁ……」
かつて愛した少年が、転がっている。
血の海に沈んで、唇を閉じて。
――悔しそうに唇を閉じて、眠るように死んでいた。
――もうこれ以上、嫌なことは起きないと思っていた。
いや、本当はわかっている。現実なるものは、そんなに優しくはない。世界は残酷なもので出来ている。
優しさなんてどこにもない。
あったとしても、それは擬態されているだけだ。一皮剥けば、不条理が姿を見せる。そして、人を押し潰す。
現実とはそういうものなのだ。
物語よりも異常なものなのだ。
天然ものの狂気――その集合体。
だから、わかってたんだ。
――もっと悪いことが起きるって、わかってたんだ。
「――やぁ、×××××ちゃん、久しぶりだね。元気してた?」
――そこに、その男はいた。
雑貨屋の奥にあるリビングキッチン――かつて、私たちにとって憩いの場だった空間に。
「随分みたいうちに、凄い顔になったね。敢えて嬉しいよ。ぐへ、へへへへっ」
覚えている。
忘れたかったけど、忘れられないくらいに覚えている。
「どうして逃げたんだい? ひょっとして、僕たちのやってることが怖くなっちゃったのかな。あははは。それで逃げちゃうなんて可愛いね。身の程知らずなくせに」
この男は、私の純潔を奪った男だった。
罠にかけて、奪って、徹底的に汚して嬲ってきた。
やがて、仲間を呼んで、多くの人を巻き込んで、裏から手を回して、私を貶めることに全力を注いできた。
ようするに、人間のクズだった。
――そして、そのクズは徒党を組んでやって来たのだ。
「よぉ、×××××。俺様から逃げられると思ってたのか? 心外だな。今日からたっぷりと躾直してやるから覚悟しとけよ」
別の男が声を上げる。
徹底的に鍛え上げられた体付きをしているその男は、この国でも一二を争う傭兵だ。覚えている。
この男は、逃げ惑う人間を後ろから切り付けることと、首を絞めたり腹を殴りながら女を犯すことを趣味としていた人間だ。その悪趣味さはよく知っている。
――こいつが、店長さんや奥さんを殺した。
「へっへっへ、顔は焼けてるが、まだ体付きはエロいまんまだなぁ、×××××ちゃん……新しいクスリも用意したから、いっぱい試してあげるよ」
またまた別の男が、注射器を片手に声を上げる。
研究者風の細い体付きのその男は、国家直属の魔術師だ。医療用の魔法を研究する一方で、一般流通用の媚薬を研究していた。彼も覚えている。
この男は、致死量の媚薬を投入して、瀕死になったところを陵辱するのが好きな人間だった。また研究と称して、魔物との交尾を強要させてきたことがある。狂っている。
――こいつが、村人でもない、祖父母の下に帰省していただけの少年を殺した。
「何言ってやがるんだ、×××××は俺の奴隷に決まってるだろう。こいつは俺のもんだ。俺が決めたんだから、そうなるのが当たり前だ。なぁ」
クロスボウを持った別の男が、声を上げる。
ボロ布で覆っただけのような格好の男は、有名な盗賊だ。国家ぐるみの犯罪には、基本的に彼が関わることが多い。このクズのことも覚えている。
この男は、人権を剥奪した奴隷を用いた特殊なプレイを好んでいた。何人が殺されただろう。何人が自殺しただろう。死んだ方が良いくらいに最低だ。
彼から火薬の臭いがする。
――こいつが、色んな人を殺した上に、私の家を焼いた。
「慌てない慌てない。どうせ、たっぷりやれるんだからね。今までやれなかった分を、たーっぷりとね」
私の純潔を奪った男は、他の連中をなだめるようにそう言った。以前からそうだったが、今回もリーダーとして行動しているらしい。
この男が、一番最低な生き物だった。ここにいる他のどの男たちよりも、アブノーマルな性癖を数多く持っている。具体的に思い出したくない。
ああ、でも、覚えているよ。
何度死ねば良いのにと思ったことか。何度殺したいと思ったことか。何度消えてくれと願ったことか。
私は、この男が心底嫌いだった。
――大嫌いだ。
「それにしても、×××××ちゃんはさぁ、罪深い人間だよねぇ。僕たちから逃げようとするなんて。うふふ……しかも、村人たちに匿って貰うなんてね。ねぇねぇ、一体どんな風に、その身体で支払ったのかな?」
男は、沈黙した私に一方的に語りかけてくる。人の感情を逆撫でして反応を確かめたいらしい。相変わらず悪趣味だ。
あの村人たちは、私に身体を求めることはなかった。セクハラじみた発言がなかったわけじゃないけれど、妄想と現実の区別が出来る人間ばかりだった。
――お前とは違う。
「ひょっとして、誰も×××××ちゃんとセックスしてないのかい? それは可哀想だねぇ。本当に可哀想だよ、あはははは。×××××ちゃんのせいで死んじゃうんだから、一回くらいは犯しておけば損せずに済んだかもしれないのに」
男の言葉に腹が立つ。
村人たちを貶めるような発言ばかりだ。聞いてるだけで耳が腐っていくような気がしてくる。
――もう二度と喋るな。囀るな。
「――×××××ちゃんのせいだよ。×××××ちゃんが逃げたりなんかするから、この村に匿われたりなんかしたから、ここにいた罪のない人たちは死んじゃったんだよ。自覚してる? ぜーんぶ、×××××ちゃんが悪いんだ」
少し自覚はしている。
確かに私のせいだと思うことが多々ある。私がこの村に逃げなければ、匿われなければ、村の人たちは死ななくても済んだかもしれない。殺されなくても済んだかもしれない。
もっと幸せに生きていられたかもしれない。
だから、私なんかがこの村に来なければ良かったのにと思う気持ちがある。私は罪人なんだ。私が悪いんだ。
でも、どうしてだろうね。
――あんたたちには、絶対に言われたくなかったよ。
「ねぇ、×××××ちゃん。僕たちの下に帰っておいでよ。みんなが×××××ちゃんの帰りを待っているんだよ。みんなが×××××ちゃんをエッチにいじめたくてたまらないんだ。大丈夫だよ。僕たちは優しいから、×××××ちゃんを殺したりなんかしない。永遠に飼い殺しにしてあげる。喋る家畜として大事にしてあげるよ」
耳障りな声が聞こえる。
人間の形をした化け物が奇声を上げている。
気持ち悪くてたまらなかった。耳を閉じてしまいたかった。自殺してしまえば楽になれそうな気がした。
だけど、私は必死に堪えている。
一つだけ聞かないといけないことがあるんだ。それを聞くまでは、どうにもならない。
本当は嫌だ。言葉を交わしたくない。
――人を害することしか知らない醜悪な怪物と、誰が会話なんてしたいと思うだろう。
「――だからね、お帰りなさい、×××××ちゃん」
ああ、ところで。
どうか、私の頭がおかしくなる前に教えてくれ。
重要なことなんだ。
――お前、私の子供に何してるんだ?
「それはそうと、×××××ちゃんの赤ちゃん――死体よりも、ちょっと気持ちよかったよ」
――ぼとり、と赤ん坊の死体が床に落ちた。
もう動かない。
ぐずらない。泣かない。呼吸もしない。
今となっては、小さくて血まみれな肉の塊だ。頭らしきものは綺麗なまま残っていて、そこから下は潰れたりへしゃげていたりしている。手足らしきものは折られていた。
もう愛しても届かない。
――少し遅れて、私の全てが弾け飛んだ。
「――!!」
気が付けば、身体が動いていた。
拳を握り締めて、無詠唱で魔法を展開しながら、視界の中で標準を合わせて攻撃を開始しようとする。
まずは誰でも良いから一人目を――。
「駄目だよ、×××××ちゃん。そんなことしちゃ」
――命令に従うかのように、私の身体が静止した。
「ぐっ……く、こ、このっ、このっ」
悪足掻きするみたいに藻掻くけれど、びくとも動いてくれない。自分の身体なのに。
やっぱりか。
やはり、私の行動は無意味な悪足掻きにしかならないのか。
「久々に使ったけど、まだまだ効果あるね。×××××ちゃんにかけられた洗脳魔法。いやー、本当に便利だ。まだ効果が切れてないなんて、超使い勝手が良すぎる」
男は、制止した私を見て、にやにやと笑っている。
自分よりも弱い虫けらを見つめているみたいだ。羽を毟りたくてたまらないとでも言うみたいに。
「くっ……」
私には、人を洗脳して思い通りにコントロールする魔法がかけられていた。男たちはこれを陵辱に用いていた。
拒否する身体を操作して奉仕させたこともあれば、大通りでの露出を強要させたこともある。
彼らから遠く離れていれば、魔法が解けているのではと期待していた。解けていなくても、薄まっていれば良いと思っていた。根拠もなく祈るみたいに。
それが、この有様だ。
洗脳魔法は健在で、私の全ては彼らの思い通り。
――結局、私は何も出来ない。
「ぐっ、く……う、うぅっ」
「おやおや、ひょっとして×××××ちゃん、泣いちゃった? ご主人様を裏切ってごめんなさいって、謝りたくなってきて泣いちゃった? 最高に可愛いよ。あはは。後でたっぷりと罰を与えてあげるからね。ありがたく思うんだよ」
私は泣く。
男たちは笑う。
結局私の人生は、どうしようにもないほど理不尽でしかなかった。運命からは逃げられない。
死にたい。でも、死なせてくれない。
あとは、何もかも諦めるしかなかった。諦めてしまえば、全てがどうでも良くなってくれるだろうから。
だから、私は悔しさも、怒りも、悲しみも、胸の奥に大事に仕舞い込もうとして――。
「――あの粗チン坊やより、僕たちの方が気持ちよく出来るからね、安心して良いよ」
――今、なんて言った?
「あの子も可哀想な子だったねぇ。×××××ちゃんのこと、チーサさんだなんて言って、子供を守ろうとして。欠陥品の分際で、僕たち人間様に逆らうだなんて気持ち悪いヤツだったよ」
なんて言った?
お前、彼のことを今なんて言ったんだ?
欠陥品?
人間様に逆らった?
気持ち悪いヤツ?
本当に何を言ってるんだろう。
誰のことを話しているんだろう。
「あれだけ×××××ちゃんは、僕たちの家畜だって言ったのにさぁ、違うだなんて言いやがって。これだから真実が見えてない人間は、不愉快極まりないよ。まったく」
違う。
違うのは、お前の発言の方だ。
少年は、間違ってなんかいない。
私は、お前たちの家畜なんかじゃないんだから。
正しい人だったんだ。
そんな彼を殺したのは誰だ。誰なんだ。
そいつの方が不愉快だ。
「おまけに刺したら、すぐ死んじゃったしさぁ。弱いくせに本当に何様のつもりなんだよ、まったく」
お前か。
お前が少年を殺したのか。
私を愛した人を、私が愛した人を、殺したのはお前か。
私の子供を殺した上に、恋人になるはずだった人を、夫になるかもしれなかった人を、私が選んだ人を、好きだった人を、愛していた人を、愛してくれた人を、お前が殺したのか。
殺したんだ。
お前が、お前程度の生き物が、彼を殺したのか。そんな権利がお前にあったというのか。あるわけない。お前に何の罪もない人間を裁く権限も、資格も、どこにもあるはずがないんだ。なのに、お前は何だ。何様のつもりなんだ。
神にでもなったつもりだったのか。
――人殺しの分際で。
「ところで、ねぇ、×××××ちゃん」
気が付くと、私の頭の中はスッキリしている。
まるで自分を押さえつけていた何かが砕け散ったみたいだった。今ならなんだって出来るような気がする。人を生き返らせること以外なら、どんなことでも。
こんな気分は産まれて初めてかもしれない。
ああ、なんだかとっても嬉しい気分だ。
あんまりにも嬉しすぎて、ちゃんと泣けそうな気がする。誰にも邪魔されずに、人を殺したいほど憎んだり出来そうな気がする。感情の思うがままに、やりたいことが出来そうだ。
あはは。あはははは。
さて、最初はどうしようか。何も考えてないや。これだと初動で詰まっちゃうかもしれない。困ったなぁ。
なんてね、冗談だよ。聞いてみただけ。
やりたいことは、決まっている。
「――ひょっとして、怒ってるのかい?」
ほら、目の前にいる男が、不思議そうな顔で私を見ているよ。私が笑っているのがそんなにおかしいのかな。おかしいと思ってるんだろうなぁ。腹が立つね。
彼は、私が笑っている理由がわかっていないんだ。怒りと憎しみを突き詰めたら、笑うしかないってことがわかっていないんだ。頭が悪いんだね。可哀想だね。
仕方ないから、教えてあげよう。
どうして私が笑ったのか、二度と忘れられないくらいに徹底的に教えてあげるんだ。脳みそに刻んであげよう。
何も知らないみたいに問いかけてきた時に。
彼らに、自分たちが犯した罪を突きつけてやるんだ。
ああ、そうだ。
私は、今、本当に怒っている。
――よくも私の男を殺したな、って怒りのままに殺し尽くしたくてたまらなかった。
「――え、あれ? ×××××ちゃん?」
殺す。
殺そう。
殺さないといけない。
だって、私が決めたのだから。
――彼らは殺した方が良いんだって。
「ちょ、ちょっと待って、なんで? ねぇなんで? どうして、動いているの?」
身体が動いた。
動く。
思うように、動かしたいと願ったように、私の身体は私の望む通りに動き始めてくれた。
かけられていた洗脳魔法の気配はない。完膚なきまでに粉々に砕け散ったような気がした。当たり前だ。今の私は何でも出来そうなくらいに怒っている。
拳をぎゅっと握り締めて、足をバネのように縮める。
魔法を詠唱する。
今だったら、ここにいる男たちを全員殺すことだって出来そうな気がする。一人残らず皆殺しだ。
私がそう決めた。
そう決めたから、私の身体は――弾丸のように駆け出した。
「抵抗するか、生意気な!! それならたっぷりと調教師し直してやるよ!! 手足落としてや――――ブュ」
まず最初に私は、身体強化で硬くなった拳で傭兵の頭を殴り飛ばした。トマトみたいに弾け飛ぶ。トドメの決め台詞も一緒に彼方まで消えていった。
ワンパンだった。
思ってたよりも、弱すぎる。
手加減しなかったせいかもしれない。
初めての人殺しは、思った以上に呆気なかった。
「あ、あ、し、死んだ……? ま、待ってっ! き、気持ち良いおクスリあげるから、待って……!! お願い待ってっ!! ねぇ、待ってぇッ!!」
感慨に耽る間もなく、攻撃はやってくる。
凄く遅いけど。
続けて、研究者風の男から媚薬を盗み取ってから、命乞いする口に突っ込んでやる。注射針で舌にぷちゅっと。おクスリの時間ですよ。
「い、痛いっ、痛い痛い、いひゃいっ、やめて、やめっ」
なんか悲鳴を上げているけど、無視することにしている。
もちろん止めてなんかあげない。たまには注射される人間の気持ちになってみれば良いのだ。
「あへっ」
少し遅れて痙攣し始めた。
顔面は崩れて、俗に言うアヘ顔みたいになっている。
あ、失禁した。
汚いね。
「お、俺様が悪かった。悪かったから。謝る。反省する。だから、俺様だけは許してくれ……!!」
その次は、命乞いを始めた盗賊に魔法をかけてあげた。頭の部分だけ火達磨にしてあげる。
じたばたとのたうち回り始めた。
危ないなぁ。他のものに引火しちゃうよ。もっと静かに諦めて死んでくれないかなぁ。そうすれば許してあげるよ。
「も、燃える! 俺の身体燃えちまうぅ! 消えろ、消えろ、消えてくれぇ!」
けれども、彼は諦めが悪かったらしい。みっともなく喚き散らしながら、どったんばったんと床の上を転がっている。火を消そうとしているみたいだ。
どうせ無駄に終わるのにね。
私が普通に引火すると思っていたのかな。消そうと思えば消せると思っていたのかな。馬鹿だね。
馬鹿すぎて可哀想になったので、許してあげようという気が、ちょっとだけ湧いてきちゃったよ。嘘だけど。
気が付くと、死に損ないの身体のほとんどは炭になりつつあった。もうすぐ死ぬらしい。見物だね。
「あ、熱いっ、い、いやだぁぁ、死にたくないぃっ! やだやだぁ、ああ、あぁぁぁ! あつい、あついよぉ……あ、ああぁ、あっ、あっ、あ……」
あ、死んだ。
ピクリとも動かずに静かになる。
うーん、やっぱり許してあげない。
思ってた以上に、つまらない死に様だったよ。
「ちょ、ちょっと待って、待って、待ってよ、×××××ちゃん、待ってって、待つんだ、待って」
最後に一人だけが生き残った。
私の初めてを奪った男が、両手を突き出して、待ってくれと時間を欲しがっている。充分な命乞いを考えたいらしい。どうせ無駄に終わるのに、哀れな生き物だ。
それにしても、他の男たちを皆殺しにしたことが、なんだかとても呆気なかったように思える。
想像していたよりも、簡単に殺せてしまったというか。もうちょっと嬲り殺しに出来ると思ってたら、力加減をほんの少し間違えただけで即死に至ってしまったというか。
こんなものだったんだろうか。
私の人生を滅茶苦茶にしてきた男たちは、こんなにも弱かったんだろうか。殺そうと思えば容易く殺せるくらいに、無力で無能な存在だったんだろうか。
もしそうだったら、もっと早く殺しておけば良かった気がする。先手必勝で出る杭は打ち、芽は摘んでおく。そうすれば、こんなにも犠牲者は増えなかった。
――こんなヤツらを、殺しておかなかったから。
「×××××ちゃ――イ、ギィッ!?」
私は、最後の男を殴り飛ばした。右頬を貫くように拳を振り抜き、上顎と下顎の奥歯と親知らず周辺を巻き込んで粉砕する。彼の歯が飛び散って、口の中で跳弾のように暴れ回るのが伝わってきた。あ、吐血した――と思ったら、取れた歯も混じってる。
痛そうだね。可哀想だね。そのまま死ね。
殴られた衝撃に耐えきれずに、男の身体は床の上を盛大に転がった。経験したことがなさそうな痛みにのたうち回っている。苦しそうだ。痛そうだ。泣いていそうだ。
ねぇ、今どんな感じ?
痛い? どれくらい痛い? 死にそうなほど痛いのかな?
私に教えて欲しいな。
えっ、ひょっとして、教えようにも教えられないのかな。なるほど、痛みでそれどころじゃないのかもしれないね。
うんうん、わかるよ。
私の時もそうだったんだもの。
じゃあ仕方ない。
人に教えることが出来るくらいに、もっと痛みというのをわからせてあげるよ。ほら、こうすれば万事解決でしょ?
「イ、ギッ、ギ、ギァアアアアアァアァ!!!!」
痛みに悶え苦しむ男に、何度も蹴りを入れていく。
爪先で跳ね飛ばすような動きじゃなくて、踵で踏み潰すような動きで、乱暴に――というか、雑に痛みを与えていく。
床に転がっている顔面を蹴り上げた。鼻骨が砕けて潰れる感触が爪先越しに伝わってきた。そう言えば、こいつは臭いフェチの傾向もあったっけ。これで、もう臭いとかかげないね。ごめんね。でも、まだ許してあげない。
ほら、理解したでしょ?
これが、あなたが私に与えてきた痛みというものなんだよ。これで苦しいって気持ちがわかったでしょ? 人生最後の勉強に相応しいと思わないかな?
足を踏み下ろす度に、何かが折れるような感触が足裏を伝わってきた。骨が折れる音だ。これは肋骨かな。
それにしても、耳障りな悲鳴だなぁ。汚い男の悲鳴なんだから、耳障りなのは仕方がないことなんだけど。まったく最低な気分になっちゃうよ。もっと静かに死ぬってことが出来ないんだろうか。お前に言ってるんだよ欠陥品。
――お前みたいな欠陥品が、少年のことを悪く言うなんて身の程を弁えてないにもほどがある。くたばれ。
蹴り続けながら、頭の中で同じ言葉を繰り返していた。気が付くと声に出している。
くたばれ。
くたばれ。
くたばれ。
くたばれ!
くたばれっ!!
「くたばれってんだよッ!!」
良い気分だった。
死にたくない、死にたくない、と自分が犯した罪から目を背けて命乞いをする人間に、呪詛を降り注ぎながら嬲るのは。
――いや、嘘だ。
本当はちっとも良い気分じゃない。好きな人たちはみんな死んでしまった。愛した人も死んでしまった。私が彼らを殺してしまったようなものだ。
私が暴力を振るっているのは、自分の気持ちを少しでもマシにしたいからだ。一番悪い人を暴力で罰して、裁くことで、自分が正義の味方になったって格好を付けたいだけ。
――無力だった自分を、許したいだけなんだ。
「が、あ……あ……こひゅー……ひゅー……うぅっ」
気が付くと、男が虫の息になっていた。
床には新たな血だまりが出来ている。私に蹴られているうちに、かなりの血を失ったようだ。
彼の身体は、壊れた人形のようにあらゆる箇所がへし折れたり、粉々に砕けたりしていた。折れた骨が内臓を傷付け、内側から皮膚を突き破っている。筋肉や血管には骨片が突き刺さっている。皮膚を剥ぎ取られた箇所の筋肉が、ミンチのように叩き潰れていた。
ほとんど死んでいるといっても良い。
でも、まだ彼は死んでいなかった。
苦しそうに呼吸をしながら泣いている。両目は潰れているので、流しているのはもっぱら血の涙だ。
「ご、ごほっ……い、いだいよぉ……いだいよぉ……」
強烈な痛みによって精神年齢が下がったのか、彼の口から弱々しい言葉がこぼれ出てきた。
肺に肋骨が刺さって吐血しているのに、痛いよと子供みたいに泣いている。喋るとますます痛みが増すはずなのに、それでも声を上げているのは、本能的にそれを言わずにいられなかったのかもしれない。
――或いは、無意識的な命乞いだったかもしれない。
「――――」
だから、私は許せなかった。
自分の快楽に殉じて、色んな人の全てを壊して、私の愛を奪って潰したこの男を。
命乞いした人たちを殺していったこの男を。
許さない。許したくない。
――もう二度と、彼を許さないために殺さないといけない。
「あ……あ……ご、ごべん、なさい……ごべん、なざいぃ……ころさ、ないでっ……ごぼっ、ごぼっ、お……ご、ごろざないべぇ……こひゅー……こひゅーっ」
男は、まだ命乞いをする。
私は、彼の首を両手で包み込む。
そして、私は少しずつ腕に力を込めた。
あ、崩壊した鼻の穴から血が垂れてきてる。うわ鼻血が手に付いちゃった。ばっちいね。汚い。気持ち悪い。
まったく、最期くらいは綺麗に死ねば良いのにね。
「あ、あが……がっ、あぁ……」
苦しみ始めた。
まだ苦しむだけの感覚が残っていたんだなぁ、とちょっとだけ感心しながら最後の力をかけていく。
相手の抵抗の意思はない。手段はあらかじめ全部潰してしまった。両腕をへし折り、足の関節は砕いた。
あとは、無抵抗の人間を殺すだけ。
「ご、ごろざないで……ご、ごろざ……」
最後の命乞い。
諦めずに、生きることにしがみつくように。
垂れ下がった蜘蛛の糸に手を伸ばすように。
「――そう言ってた人を殺したでしょ?」
でも、私は許さない。
「や……や、べ、て……」
止めて、と彼は言おうとした。
私は止めなかった。
「やなこった」
そして、私は首の骨をへし折った。
それは道端に落ちている木の枝みたいに、笑えてしまうくらいに折れやすかったような気がした。
「――――」
首が折れた死体から手を離す。
ごとん、と肉の塊が地面に転がった。ぴくぴくと痙攣している。もう喋ることはない。
これでこの村には、私以外に生きている人間はいない。いなくなってしまった。
「あはは……」
私は笑った。
笑うしかなかった。笑う以外にどうすれば良いんだろう。この村には、もう何も残っていないのだから。
「……」
ふと、部屋の窓から空を仰ぐ。
遠くからワイバーンの群れが迫ってくるのが見えた。調教された竜に武装した騎士たちが跨がっているのが、うっすらとだけ見えた。
国直属の飛行部隊だ。先発であるクズどもから、少し時間を置いて死体などを処分しにやって来たんだろう。
ワイバーンの口から放出される炎は、建物や死体などを焼却処分するのに便利だ。そのことは獣姦させられた時に、身をもって知っている。あの時は火傷で死ぬかと思った。
だから、嫌でも理解できた。
――彼らは、この村を消しに来たのだと。
「ははは……」
本当にもう、笑うしかなかった。
わかっていたけれど、この世界は本当に狂っている。一人の女を徹底的に食い物にするために、国の総力を挙げている。なんだか価値観が壊れているみたいだ。
王の不義の子を殺すために。
私を取り戻して嬲り者にするために。
私を匿ったという村人たちに、正義の鉄槌という名の裁きを下すために。
たかがと思える、そんなことのために彼らはここまでやったのだ。やれるから実行に移したのだ。
――まともな人間のすることじゃない。
「…………」
逃げなきゃ、と思った。
いくら彼らを殺すことが出来るほどの力を取り戻した――手に入れたとはいえ、集団で来られると他人に無勢だ。
それに、ひょっとすると私をどうにか出来るような人間を連れてこられるかもしれない。
そうなったら、どうなるんだろう。
わからない。
ただ、不安だけは残っている。
私は、生き残らなくちゃいけない。
――思い出したことが、あったから。
「…………」
私は、腹部をさする。
女という生き物が子供を宿す器官がある場所を、まだ膨らんでないその場所を、一縷の望みを託すみたいに。
あの日、私と少年は結ばれた。
結ばれて身体を重ねた。
だから、ひょっとすると。
「…………」
自分でも現実逃避だとわかっている。
でも、ほんの少しだけは逃避なんかじゃ無くて、本当に信じていると思う。
何もかも、全てを失ったような私ではあるけれども。
まだ繋がっているって思いたくて。
少年から託されたんだとも思いたくて。
――もうちょっとだけ、希望を信じていたかった。
「孕んでいたら、産んであげるからね……少年」
そして、私は走り出した。
死んだ我が子も、お世話になった奥さんと店長も、愛していた少年のことも、そこそこ気を許していた隣人も、腐れ縁みたいになりつつあった知り合いも、会ったこともないけど話に聞いていた他人も、何もかもから背を向けて。
迫り来る運命から逃げる。
走る。駆け出していく。
足が千切れても止まらないでいようと決めて。
今度こそはと逃げ切って見せようと。
「――ッ!」
村を出る直前に、一度だけ振り返った。
段々近付いてきているワイバーンの群れが、夏場に繁殖した黒蠅のようだ。
こいつらが村を焼くのだ。
全てを燃やして、なかったことにしようとする。
死骸に群がる虫けらのように。
そんなの、認められるわけがない。
――だから、私は魔法を唱えた。
「――――――!!!!」
叫ぶように、喚くように。
ひょっとすると、子供みたいに泣き叫んだのかもしれない。
唱えた魔法は、今この瞬間の感情と同調したみたいに、思っていた以上の力で放出された。
巨大な炎が、ワイバーンも、竜騎士も、死体も、村も飲み込んでいく。
私が愛した人たちが、これ以上誰の手にも汚されることがありませんようにと。
――村を愛していた私が、燃やすのだ。
「う、あ……あ、わああああああああんっ!!」
綺麗に燃える様を見ながら、私はもう一度泣き叫んだ。
子供みたいに泣きたいと思ったから泣き喚く。ギャンギャン叫んで、感情をばら撒いた。
子供というよりは、赤ん坊のように。
「ああああああああああっ!!」
一生分泣こう。
泣いたら、もう一度歩きだそう。走りだそう。
もう泣かなくても良いように、運命の手の届かない場所まで逃げるために。
ワイバーンが蚊のように落ちていき、あらゆる建物が焼け落ちていき、死体が大蛇のような火に飲まれていく。
彼らの命と引き替えに、何もかもが帰って来てくれたらどんなに良いだろうと思う。生き返ってくれたら良いのにと思う。思えば叶うようにと願う。祈る。
でも、どれだけ願っても、どれだけ祈っても、あの人たちは帰ってこない。もういない。
愛した人たちは、全員どこか遠い場所に行ってしまった。行き先がどこかを告げずに、別れの言葉もなく。
どれだけ手を伸ばしても届かないような場所に、生きている人がいない場所に、行ってしまったのだ。
だから、いつかは。
いつかその場所に行きたいな、と私は泣きながら思う。
――今ある涙が涸れるまで、ずっと思っていた。