取り残される外側で[2]
過去でようやくマウロを発見した時には、既に時間の流れが変わってしまっている事を、知っていた。
「仕方ない」
そう答えたけれど、無理にでも連れ帰るべきだったのだろうか。
どのみち、マウロと出会おうが出会うまいが、エウフェーミアが無事にグルビナに戻り、軍の中で身を立てる事は最初から決まっていたのだ。
それでももう変わってしまっていたから。
変わってしまった流れを再び自分の手で「変える」ことが怖くて、ならば大差はないだろうとマウロの願いを受け入れてしまった。
マウロと出会ったことがきっかけになったのだろう。エウフェーミアは生真面目ながらも柔軟な思考と内面の女性らしさを併せ持ち、それに憧れる兵士は男でも女でも多かったらしい。ズィールがおかしい事を知っていながら兵士として戦い続ける彼女は、部下に逃げても構わないと言ったそうだ。だがほとんどの者が彼女の側に残った。
マウロはエウフェーミアと結婚し、グルビナでズィールの兵士長の補佐を務める彼女と共に暮らし、自身も商売をしながら生きている。
もう長らく会っていない。
変わる前の流れでは、彼は王都に出て、そこで仕事を見つけたはずだった。
時の流れの外側にいるルドミラやゲルハルトは、その事を覚えている。
でも、同時にグルビナで生きる二人のことを知っている。二人の間に生まれた女の子のことも。
二つの記憶が同時に存在し、理解しながら混乱している気がした。
エウフェーミアの自死の騒ぎで部屋を飛び出したゲルハルトのことも覚えている代わり、翌日にマウロと歩く彼女を見て不思議そうな反応を見せながらも安堵していたゲルハルトも記憶にある。
ゲルハルトが未来からやって来た時とは状況が違う。もしかしたら、この記憶もいつか塗り替えられてグルビナで生きる二人のことしか覚えていなくなってしまうのかも知れない。
両方を覚えているのかも知れない。
「ルルー」
ゲルハルトが呼んだ。
手には温めたミルクを注いだカップを二つ、持っている。
「過ぎてしまったことだよ。もう考えたってしょうがない」
そう言って、穏やかに笑う。
「……過ぎた事を諦められずに足掻いてここへ来た、君がそう言うの?」
ルドミラは呆れたような笑みを浮かべてそう答える。
「これが原因で直視できないような事態が起こるなら、その時考えるよ」
あなたと子供たちのためなら何度だって時の流れを変えると、ゲルハルトは言った。
そんなのきっと、いけない事なのに。
カップを受け取り、ミルクを口に含んだ。……甘くて、温かい。まるでゲルハルトのようだ。
「ねえ、ルドミラ」
ゲルハルトが名前を呼んだ。
彼がこうやって呼ぶことはほとんどない。そしてこうやって呼ぶ時は、何か重大で真面目な話をする時だった。
黙ってルドミラは、彼の顔を見つめる。
ゲルハルトは笑った。
「もし、……もしも、僕が、こうやって時間に閉じ込められる事を知っていて、あなたを捕まえたんだとしたら」
そこで言葉を区切る。
気が付いたのは、あの戦が終わって何年もの時間が経ってからだった。
時が止まっていると認識した時、ルドミラだけでなく、ゲルハルトも恐慌を来たしていた。
知っていてやったなどと、思うわけがない。でももしかしたら、と、言われてそう思わなくもない事に、ルドミラは気づく。
それでも、とルドミラは思う。
手の中で鈴が光る。
マウロがもし、どこかへ身を隠しても、この鈴だけは探し出せる。
そう確信していたから、あえてこれを預けた。
マウロは逃げも隠れもしなかったけれど。
不意に、あの夜を思い出した。
今側にいるゲルハルトと、初めて出会った夜。
触れたのは、自分の右手と彼の左手。
願ったのは。
……ああ、もしかしたら、これは罰でも何でもなかったのかも知れない。
ゲルハルトはそれに、気がついたのかも知れない。
でも、それも分からない。
ただ目の前にゲルハルトがいて、子供たちがいて、それから。
ルドミラは口を開く。
戦の終わりに自分がスタンに言った言葉。
つい数時間前、マウロから聞いた言葉。
いい事ばかりでもないけれど、確かに自分は幸せだと胸を張って言える。
ルドミラは笑った。
「悪くないよ」
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