連れ出す手[3]
「……先生だって、どう言うか」
先生、というのは彼女の育ての親であるオルトローサのことだ。オルトローサは様々な魔法に精通しており、ルドミラは彼女に師事して魔法を学んでいる。育ての親とはいっても母親ではないし、ルドミラは彼女をそう呼んでいた。
オルトローサを話に挙げたのは最後の手段だった。実際、彼女もルドミラが森に閉じ籠もった生活を続けることに特に何も言ってくることはなかったからだ。
だが、
「いい機会ですから、少し外の世界を見てくると良いのではないかしら」
食堂の入口から声がした。
振り返るとオルトローサが穏やかな微笑を浮かべ、そこに立っていた。
オルトローサは年齢不詳だ。緩やかにうねるレンガ色の長い髪もチョコレート色の瞳も穏やかな表情も、十年前、ルドミラがここに預けられてから何ひとつ変わっていないように思う。薄紅のローブを身にまとい、同じ色のベールをゆったりと頭からかぶっている。ルドミラとの生活が始まってから、オルトローサが彼女の前でそれを取った事はない。きっとルドミラの心を騒がせないようにとの心遣いなのだろう。それを知っていながら、ルドミラも黙ってそれに甘えていた。
「……先生」
不満げに、ルドミラは呟いた。
行きたくない、と言っているのに行ってきてもいい、と言うとはどういうつもりだろうか。
もしかして、オルトローサは自分の事が邪魔だったのだろうか、もしそれならそうで仕方ない……などとルドミラが考え始めた時だった。
「私は常々考えていたのです、ルドミラ。このままずっと森で生きていくのもいいけれど、外の世界を知らずにそう決めるのは早急なのではないかと。今まで機会もありませんでしたし、流石に貴女を一人で森の外に出すのは不安もありましたし……」
オルトローサは静かに言った。
「……その機会が戦ですか」
ルドミラが冷静に突っ込む。
オルトローサは僅かに眉を寄せて、苦みを飲み込んだような表情を浮かべた。
「危険は重々承知です。けれど、このまま手をこまねいていても戦に巻き込まれる可能性があるのなら、早いうちに手を打ったほうが良いとは思いませんか? 私にはお役目がありますので、共に行けないのは心配ではありますが……」
オルトローサは魔法や薬草の知識を活かして、近隣の住民に対して医者のような役割を担っている。その収入で食糧や衣服を用立てていたので、ルドミラも直接近隣住民と関わることはしなくとも、薬草集めなどで師の仕事を手伝ってはいた。
民を守るために協力者を募っているという話なのに、医者が土地を離れるのはおかしな話ではあるだろう。
オルトローサは今度は微笑んだ。
「折角学んだ魔法を試すにもいい機会ではありませんか? 魔法など、通常あまり使う事などないものですよ」
「それはそうですが」
確かに、森で暮らしていたって魔法を必要とするようなことなどほとんどない。が、ルドミラは別にする事がないから魔法を学んでいるだけであって、魔法で何かをしたいとか、自分の魔法の実力を試したいなどと思ったことは一度もないし口にしたことだってもちろん一度たりともない。
師は時々、意外と物騒な事を言う。
「オルトローサさま、僕もあんまり世間の事を知ってるわけじゃないですけど、ずっと旅をしてきましたし、僕がルドミラさんを守ります! 安心してください!」
何故かゲルハルトが胸を張ってオルトローサに向かって宣言すると、オルトローサもにっこりと笑った。
「そうですね。ゲルハルト、ルドミラをお願いしますね」
「任せてください!!」
力強く頷きながら、ゲルハルトは拳で軽く自分の胸を叩いた。
「……」
ルドミラは呆れ返り、溜め息を吐く。
無愛想な自分との二人暮らしが長かったせいか、オルトローサは人懐っこく明るいゲルハルトをいたく気に入っているようだった。
「……つまり、行けとおっしゃるわけですね」
ルドミラが視線を向けると、オルトローサは笑顔で頷いた。
「そりゃ助かる!」
成り行きを見守っていたスタンも嬉しそうに声を上げた。
……はぁ。
ルドミラは、また溜め息を漏らす。
「そうと決まったら、早速準備して、明朝にでも発ちたいんだが」
スタンが言った。
「それで、あんたもそれまでこの館で寝泊まりする、と」
冷ややかにルドミラがスタンを見ると、オルトローサが頷いた。
「良いではないですか。部屋ならまだ余っていますし」
「わたしは旅支度をしなくちゃならないんだから、部屋の準備も食事の支度も全部あんたがやってよね、スタンさんとやら。……全くとんだ厄病神だよ」
返事を待たずにそう言い放ち、ルドミラは立ち上がった。最後の呟きの時にちらりとゲルハルトに視線をやると、彼はにこりと笑った。……嫌味のつもりだったが全然通じていないらしい。
はあぁ。
最後に深い溜め息を残して食堂を後にしようとしたルドミラの背に、オルトローサが声をかける。
「でも、ルドミラ。戦が終わって、その時にやっぱりこの森がいいと思ったのなら……、もちろん帰っていらっしゃいね」
「……はい」
とりあえずスタンの目的が達成されるまでは、帰りたいと思っても帰ってきてはいけないらしい。
やれやれ、とんでもない事に巻き込まれた。
ルドミラは憂鬱な気持ちで自室へと戻っていった。




