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動かない世界の中で変わるもの  作者: 唐草カナタ


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共に在れる世界[1]

 朝、顔を合わせたゲルハルトは、ルドミラを見て嬉しそうに駆け寄ってくると、少しだけ困ったように笑った。

「部屋に行ったら、もうみんなして質問攻めで……」

「だろうね」

 うんざりした顔で、ルドミラも頷く。

 質問攻めにされたのは、こちらも同じだったからだ。

 それでも「良かったねぇ」と言って泣いてくれたリータや、他の人たちの温かい反応を嬉しいと思った。彼女もゲルハルトと同じ説明をしたはずなのに、何が「良かった」のかはよく分からなかったけれど。

 ──リータさんたちは泣いて、オルネラさんは「どうしてあんたが」って、怒ってたよ。

 ルドミラが死んだ世界の事を、そう、ゲルハルトから聞いていたせいだろうか。彼女たちと話ができる事に何だか泣きたい気持ちになった。多分それは、気のせいじゃない。

 悲しませたくないと、そう思った。

「あんまり眠れなくて……」

 ふわぁ、とゲルハルトは欠伸を噛み殺す。

「昼には発つって話だよ」

 こちらも寝不足気味の声で答え、ルドミラが食堂へ向かおうとした時だった。

 近くの階段から、くすんだ金髪の男、『エジステンツァ』の頭目が下りてくる。

「……お」

 顔を合わせたマウロは、どこか吹っ切れたような顔をしていた。

 砦に乗り込んでからの彼の様子は知らない、でもこの戦に加入する前からずっと一緒だった仲間が死んだだろうと聞かされてからの彼は、口数も減って常に沈鬱な表情のままだった。

 それが完全に消えたわけではないだろう、でも、妙にすっきりした様子で、隣に立つ銀髪の女性をどこかへ案内しようとしているようだった。

「お……、おお!?」

 そのマウロは、ルドミラの隣を歩いていたゲルハルトに目を留め、仰天したように凝視する。

 実は、とゲルハルトは、繰り返した偽りの事実をまた口にする。

 マウロがそれを信じたのかどうかは、分からない。

 ただスタンはどうにも信じていないような、それでいて納得したような不思議な反応を見せたことをルドミラは思い出す。

 そうだったのか、とだけ返すマウロの、茶褐色の瞳が何故だかじっとこちらを見ているような気がして、ルドミラは彼を見返した。

「何?」

 すると、

「あ……、ああ! ルドミラ!」

 妙に納得したような顔で、マウロは左手の人差し指で彼女の顔を指す。

「……何が?」

 ルドミラは思わず彼を睨んだ。

 マウロが彼女を見て何を思ったのか、ルドミラには分からない。

 隣でゲルハルトも、不思議そうに首を捻っている。

 何故かぽかんとした後、マウロは笑った。

「いや、こっちの話だ」

 じゃあな、と言ったマウロは、ルドミラを指していた左手を開き、そのままひらひらと手を振って女性と共にいなくなる。その掌に、大きな傷痕が見えた。

 ……あんな傷、あっただろうか?

 少しだけルドミラは考えたが、ゲルハルトが死んでからの出来事などほとんど覚えていない。他人のことを気にしている余裕なんかなかった。だから、きっと砦での戦いでついた傷だろう、と勝手に解釈する。

 その割には、魔法で癒したにしても何日か経っている傷痕だったような気もする……。

 一昨日の戦いで受けた傷ならバルナバの傷のほうが古いはずなのに、そっちのほうが新しく見える気がするのはどうしてだろう。

「……あれ、マウロさんの隣の、あの人」

 ゲルハルトはゲルハルトで、マウロの側にいた女性の存在を訝っているようだ。

「フィクティラス砦の守備隊長の人じゃなかったかな?」

 名前は覚えていないけど、と付け足す。

「……ああ、確か、エウフェーミアとか何とか」

 ゲルハルトが彼女の名前を耳にしたのは四年も前の話だっただろうが、ルドミラはつい先日聞いたばかりなので記憶に残っていた。

 ゲルハルトは不思議そうに右手の指で自分の顎に触れ、呟いた。

 行き交う人々でさざめく砦の中、壁の側に寄って首を傾げる。

「あの人、自殺したんじゃなかったかな……」

「は!?」

 ざわめきに紛れ、ルドミラ以外の耳にはゲルハルトの呟きは聞こえていないようだったが、その不穏な内容にルドミラは思わず声高になった。


**


「馬鹿な事を言うな!!」

 少し離れた場所から怒声が響いた。

 大切に布に包んだ、もう二度と戻らないルドミラの亡骸を抱え、壁を背に座り込んでいたゲルハルトはのろのろと顔を上げる。

 ルドミラを除く全ての死者の弔いが終わった夜。

 ゲルハルトはオルトローサの元へ彼女を送り届け、そしてそのままこの軍から姿を消すつもりでいた。スタンにはオルトローサの所へ向かうことだけを説明しておこうと、彼を待っていたのだ。

 怒鳴ったのは『エジステンツァ』の頭目、マウロだった。

 その前に立ったスタンは、大儀そうに目を閉じ、吐息を漏らす。

 他にも数人が一緒に階段を下りてきたらしいのだが、周りを囲んだ人々はおろおろと二人を眺めるばかりだった。

「あいつは……あいつらは、俺の仲間を殺した! そんな奴らと仲良く戦えるかってんだ!!」

 叫んだマウロの言葉は、ゲルハルトにも痛いほどよく分かった。

 自分だって、ルドミラを殺したこの砦の兵士たちと一緒に戦いたくなんてない。

 だがスタンは言い放った。

「寝ぼけてんのはお前だ、マウロ。今までにだって人死になんて出ただろう。それでも同じ目的のために、他の奴等は歯ぁ食いしばって我慢してるんだろうが!? 甘ったれた事を言ってんじゃねえ、それが『エジステンツァ』の程度か!」

「……っ!」

 言い返せず、マウロは声を呑み込む。

 ゲルハルトはヴィオミークが初陣だったが、それまでには敵も味方も死者が出た事があったのだと聞いた。それでも、あちらに仲間を殺されたこちらの人間も、こちらに同僚を殺されたあちらの人間も、それを押し隠して共に戦ってきたのだと。全てはバルダッサッレの支配を断ち切るために。

「とにかく、牢に捕らえてある兵に話を聞く」

 それだけ言うと、スタンは地下牢へ続く階段を下りて行ってしまう。

 スタンやマウロと共に地下牢に向かっていたらしい他の者たちもスタンに続き、大きな舌打ちを残すとマウロもその後を追って行った。

 でも、どうでもいい事だ。

 ゲルハルトはルドミラの体を抱え直す。

 膝から下を失った、それでなくとも軽いその体は、今はずっしりと重い。

 しばらくするとスタンが階段を上がってきた。彼を追って階段を下りて行った何人かも一緒だった。

 声をかけようとしたのだが、疲れ切った様子に一瞬怯んだ隙に、スタンは歩き去ってしまっていた。

 後を追おうか少しだけ考えていると、今度はマウロと、地下に残っていたらしい何人かが一緒に階段を上がってきた。

 マウロの顔には、喪失感からくる怒りや憎しみ、そして疲労が色濃く滲み出ている。

 スタンや他の者たちから見れば、自分たちは勝手なのかも知れない。けれどその時には、ゲルハルトも、そしてマウロも、そんな事に気づける余裕は持っていなかった。

 わざわざ『エジステンツァ』の名を出したのだって、その名が示す存在を、その意義やそうである事へのプライドを思い出してほしかったのだろう。

 でも、分からない。心には届かない。

 茫然とマウロの姿を見ていると、突然地下牢から何人もの声が響いてきた。「開けてくれ」「誰か、止めてくれ」という悲鳴のような声は、すぐに本物の悲鳴に変わった。

 ゲルハルトは、腕の中のルドミラの亡骸を、強く抱き締めた。


**


「……真面目すぎるくらいに真面目だったんだと思うんだ、あの人。スタンさんが味方になるかって訊いた時も、一人頑なに頷かなかったって。それで、他の砦の兵が説得しますって言って、マウロさんたちが上がってきた後、責任は命で償うとか言って」

「……」

 淡々と語るゲルハルトの言葉に、血の気が失せる。

 理解できない。

 誰も多分、そんな事を望んではいなかった、なのに。

「牢屋の中にあった桶を割って、あの人はその破片で自分の喉を掻き切った」

 あなたを失って茫然自失だった僕が覚えてるくらいだから、それは痛ましい騒ぎだったよ、と眉根を寄せてゲルハルトは小声で語る。

 ルドミラも声が出ない。

 でも、確かにあの、エウフェーミアという女性は側を通り過ぎていって、その表情にそんな気配は感じられなかったように思える。そして彼女の少し後ろに、同じ軍服に身を包む兵士たちが見守るように付き従っていた。

 何かが、変わったのだろうか。

 ゲルハルトがこちらの世界に来たことで、他にも何かが。

「……何でかな?」

 首を傾げながら、ゲルハルトはルドミラを見た。

 彼も、自分の知る結末とは違っている事を不思議に思っているようだった。

 ルドミラは答える。

「知らないよ。わたしに聞かないでよ」

「でも……、良かった……」

 安堵したように笑ったゲルハルトを見ていると、ルドミラもほっとしたような心持ちになった。

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