そして重なる[2]
しばらくの時間を置いて、マウロは宿を出た。
余裕で、とはいかないが、何とか財布の中身はエウフェーミアを送り届けるまでもったことにほっとする。
一昨日の晩、唐突に、彼をこんな場所へ放り出した二人の子供と、相変わらず頭から薄紅色のフードをかぶった少女が彼の前に現れたのだ。
部屋で他愛ない会話を交わしていたエウフェーミアも隣の部屋に戻り、マウロも眠ろうと思っていた、夜更けのことだった。
「迷惑をかけたね」
少女が言った。
この口調や声には、覚えがある。
誰だっただろうか。
気になって、少女のフードに隠された顔をじっと見つめたが、明かすでもなく覆うでもない少女の仕草はそれ以上をマウロに教えようとしなかった。
「ごめんなさいっ、違ったの、間違えちゃったの」
幼い女の子のほうが、泣きそうな顔でマウロを見た。
「だから、捜すのに時間がかかっちゃったんだ」
同じような表情で、男の子も言った。
「……間違えた?」
引き攣った表情で、マウロは女の子の言葉を繰り返す。
自分じゃない誰かを移動させたかったということか、それとも送り込む先の時間か場所を間違えたということか。
はぁ、と薄紅の少女が小さく息を吐いて額を押さえる。
何を間違われて自分がここに、十年前に放り出されたのだとしても。
マウロはそれを、間違いだったとも迷惑だったとも思わなかった。いや迷惑は迷惑だったか。……それでも、大事な人を知って、大切な時間を過ごせたと思う。
これが間違いだったのなら、その偶然に感謝したいと思う。
「……いや」
マウロは笑った。
「悪くなかった」
「そう」
少女は呟く。声色から、彼の返答をどう思ったのかは量れない。
「でも、もうあんたを元の場所へ連れて行かなきゃならない」
「……え?」
マウロは思わず聞き返す。
彼をこの場所に届けた力が目の前にあって、それが間違いだったと言うのなら、戻らなければならないのは道理だった。
でも。
「……どうしても?」
問う。
「どうしても」
少女が頷く。
「あんたはここにいるべき存在じゃない。あんただって分かってるんじゃないのかい?」
……解っている。
遠く、自分のことを何か言いたげな目で見ていた美女を思い出した。
それから、真っ直ぐに自分を見つめて笑う少女が浮かぶ。
「……」
マウロは目を閉じた。
そして、
「あともう少しだけ。俺が保護した女の子を、親元に送り届けるまで、待ってくれないか。そうしたら、必ず帰るから」
目を開けた。
「ねえ、そのくらいならいいよね!?」
「ねっ、お願い!」
子供たちが口々に少女にせがむ。
少女は吐息を漏らし、顔を隠す布の向こうからマウロを見た。
「……まあ、今更多少前後したところで大して変わりもしないか。仕方ないね」
少女は金色に光る小さな鈴を差し出した。
帰る条件を満たしたらこれを鳴らせと言われたその鈴が、今マウロの手の中にある。
それ以上は待たないと言われたから、きっとどこかで様子を窺ってはいるのだろうと思いながら、宿屋の裏手、人気のない路地まで来たマウロは鈴を鳴らす。
ちりちりと音色が響き、それの持ち主はすぐに姿を現した。
薄紅色のローブのフードを頭からかぶった少女、そして、子供たちの代わりに紺色のローブを、これまた同じように頭からかぶった恐らく男が、何処からともなく。
「行くよ」
何の説明もせずに、少女が宣言する。
「うん」
返した男の声も、どうしてか聞き覚えがあるような気がした。
ここに来る直前、子供たちがそうしたように、少女の右の掌と男の左の掌が合わさった。
遠く、軍船の汽笛が聞こえる。
そして一瞬の後には、マウロはフィクティラス砦の地下牢に向かう階段に立っていた。
等間隔に灯された炎が小さく揺らめくだけで、辺りには少女も男も、もちろんあの不思議な子供たちも、誰もいなかった。
あんないい女がバルダッサッレの愛人だなんて、世も末だ。
自分がどうにかなろうなんて思っちゃいないが、本当なのか確かめてみたくなった。
「いや……、バルダッサッレが彼女を愛人にしたがったのは本当のようだが、すげなく断られたって話だな」
「訓練で一緒になったことが何度かあったが、頭もいいしそこらの男なんかよりよっぽど腕も立つ。なのに地方の仕事を転々とさせられてるのは、そういうことなんじゃないか?」
「大体、あの人は新米の頃に野盗か何かに襲われたところを助けてくれた、名前も知らねえ男のことを、今でもずっと想ってるってもっぱらの噂だぜ」
「今時純情すぎるよな」
そう話した男たちの憧憬にも似た笑い声を聞きながら、少しだけ落胆したのを思い出した。
……ああ、でもそりゃあ、俺のことだ。




