扉を開けて[5]
食事を終え、ルドミラは薄いコーヒーに口をつけた。すっかり冷めている。
「これも、多分君に聞いても分からないんだろうけど、……そんな事になったら困るけど」
うん? と、同じようにコーヒーに口をつけていたゲルハルトが目を上げて先を促す。
「どうして、昨日までここにいたゲルハルトが死んでしまったのに、君は生きていられるんだろう?」
う~ん、とゲルハルトは唸った。
自分でも、それは不思議に思っていたのかも知れない。
やがて彼は、口を開いた。
「逆に、僕がこの世界に来てしまったことで、この世界の僕が死んでしまったのかも知れない……」
どういうこと、と目で問う。
「うん、同じ人間は一つの世界で生きられないんじゃないかって。僕はあなたが死ぬ前のこの世界には来られたけど、帰る方法なんて知らなかった。つまりあっちの世界の僕も、結局いなくなってしまった」
もしかしたら、あっちの世界なんてものはなくて、自分がこの世界でルドミラを助けたことで時間の流れが変わり、未来はこの世界の先にしか存在しないのかも知れないけど。変わった世界の先に、僕が帰れる場所なんて存在しないのかも知れないけど。ゲルハルトはそう言い添える。
ともかく、一日前までは、ゲルハルトという同じ人間が二人、存在したことになる。
だから均衡を保つために、死に近かったこの世界のゲルハルトが消える対象として選ばれたということなのだろうか。
選ばれた、誰に、何に。
死ぬはずだったという自分が生きていて、代わりに死んだ彼も違ったかたちで存在して、それはその、決める誰かが許したことなのだろうか。
「それとも、接触してはいけなかったのかも知れない。その先に起こる事を、教えたらいけなかったのかも知れない」
続けたゲルハルトの言葉に、そうなのかも知れない、とルドミラも思った。
難しい顔をして考え込んだルドミラの側に、背が高く大人びて、髪の短いゲルハルトがやって来る。
ルドミラの座っている椅子の隣にしゃがみ込み、瑠璃色の瞳で彼女を見上げた。
「でも、僕も答えなんて知らないし、要らないんだ」
知っているものよりも低い、でも同質の声が囁く。
「あなたが生きていてくれたらそれでいいんだ。隣に僕がいられるのならもう何も要らない。僕は両方を手に入れた」
ゲルハルトの手がそっと、ルドミラの帽子を外した。
緊張のあまり心臓がぎゅっと縮んだ気がしたが、下ろしたままの長い髪の上にぴんと立っている獣の耳を見た彼は、甘い笑みを浮かべる。
耳の付け根の辺りを撫でられると、こそばゆいのと同時に何だか心地がいい。
いつもは、万が一にも帽子が脱げてしまった時のことを恐れて三つ編みで耳を押さえ込んでいた。でも、自分がケルブの血を引いているという事実を知っても受け入れ、求めてくれた彼の前では、いつまでも隠していてはいけないと思って、髪を結ってこなかった。
「ずっと一緒にいよう? 僕は、あなたを愛してる」
知っていたゲルハルトも、素直な感情を自分に向けていた。きっと、どうしてかこんな自分を好きでいてくれたのだろう。
でも今目の前にいるゲルハルトの饒舌さに、ルドミラは眩暈に似たものを覚えた。
一人で過ごした四年の月日が彼をそうしたのだろうか。
……でもそんなこと、どうだっていいんだ。
ただ生きていてほしかった。
一緒にいたかった。
彼の言葉と自分の感情は、同じだった。
ほとんど何も知らなかった彼の色々なことを、これからゆっくり知っていきたい。
それから、わたしの事も話そう。
ゲルハルトの腕の中で、ルドミラはそう、思った。
「うん。……このまま、ずっと一緒に、生きていこう」
どちらからともなく互いの手に触れる。
ルドミラの右手と、ゲルハルトの左手が触れ合った。




