扉を開けて[1]
どうして彼が死ななければならなかったのだろう。
ルドミラは一人、今回の戦で命を落とした者たちの眠る墓地、その一つの墓の前に立ち尽くしていた。
平たい大きな石は誰かが墓石にと拾ってきた時のまま、磨かれもせずにただゲルハルト、とそこに弔われた少年の名が刻まれているだけだ。他の墓も同じ状態だった。ただ今回は墓を作る場所と時間の余裕があったからマシなほうで、今までには満足に墓も作られず、野山に埋葬され祈りを捧げるだけ、という事もあったのだそうだ。
死した者の前でその命を惜しみ、別れを告げる他の人々も、もういない。薄暗くなり始めた墓地にはルドミラだけが残っている。
手の中の鈴は鳴らない。
金色の小さな鈴は、振ればちりちりと涼やかな音を立てるが、それに届く魔力の源はもうない。
だから、鳴らない。
──わたしが代わりに死ねば良かったのに。
ルドミラは思う。
わたしがいなくなっても困る人なんて誰もいない。
わたしが死んでも悲しむ人なんて、いたとしても彼と先生くらいだろう。
それにケルブの血を引くわたしなんて、疎まれこそすれ必要とされることなんてない。分かっていたから、人と関わりたくなかった。
だけどゲルハルトは違う、明るくて優しくて、彼が死んで悲しむ人が沢山いた。
そういえば、ルドミラは出会う前のゲルハルトのことを何も知らない。知らないという事にさえ、今気がついた。
ルドミラの表面を滑っていった葬儀の中で、命を落とした誰かと同郷の人間が、連れて帰れなくてごめん、と泣きながら謝っていた事を不意に思い出す。
どこかに彼の帰りを待つ家族がいただろう、けれどルドミラは何も知らない。残された人に伝えることすら、できないのだ。
やっぱりわたしが死ねば良かったのに。
ゲルハルトは魔法の実力も確かで、これから先彼がいなくて困る人も沢山いるだろう。
魔法の実力だけならそれなりの腕は持っているつもりだけど、ゲルハルトとわたしとでは根本的に魔法の種類が違う、わたしは彼の代わりにはならない。
その逆も然りで、ゲルハルトが彼女の代わりにもなれないという事実には考え至らずに、ただルドミラは思う。
わたしが死ねば良かったのに──……。
世界をゆっくりと覆っていく夜の闇と共に辺りを包み始めた霧雨にも気づかずに、ルドミラは平らな石に変わってしまったゲルハルトのことを思い続けた。
「──っ……」
ふと、冷え切った自分の、頬だけが熱い事に気がついた。
ルドミラは右手をそこに触れる。
熱い液体が流れ落ちていく。
母を喪い、父も姿を消した時以来の、初めての涙だった。
当たり前だ、あれ以来、自分は自分の感情を刺激するもの全てに近づかないように生きてきた。
ゲルハルトが大事だった事に気がついた。
何もかもを遠ざけていた自分に構わず踏み込んできたゲルハルト。それは無神経とも取れたかも知れない。そんなゲルハルトに諦めに似たものを覚えていたのも確かだが、それでも自分は、──嫌じゃなかった。
悲しいと感じる心が自分にもあった事を思い出した。
分かってしまえば目も熱い、頬も熱い、震える体の中から何かがあふれ出しそうになっている。
喉に何かが詰まっている。
「……っう、ぅ……っ、あ……あぁっ、う、わあぁぁぁ……!!」
あふれ出そうになっていたそれを解き放つと、それは嗚咽に、慟哭へと変わった。
服が汚れるのも構わず墓石の前の土に膝を突き、両手で顔を覆ってルドミラは泣き叫ぶ。
自分には感情なんてないものだと思い込んでいた。
嬉しいとか悲しいとか、そういう事を感じる器官が壊れているのだと思おうとしていた。
でもやっぱりそんなのは違って、持っているのに見ないようにしていただけだった事を思い出した。
ゲルハルトと一緒にいた時、自分は迷惑だと思いながらも嬉しかったり楽しかったりしたのだ。
そんな事にも今気がついた。
やっと分かった。違う、やっとそれを認めた。
なのに、自分にそれと気づかせてくれた彼が、今はもういない。
この平たい石の下で永遠に眠っている。
やっぱりわたしが死ねば良かった。
嬉しいとか楽しいとか、それがどういうことなのか思い出したって、彼が一緒にいなければ意味なんてない。
生きていてほしかった。
自分を取り巻く全てを彼と一緒に感じたいのに。
一緒にいたかったのに。
色を与えられた世界で、辛い思いとこんなに強い悲しみだけ抱えて一人で生きていかなければならないなんて、こんな思いをするくらいなら、いっそ。
「……泣かないで」
ふと、間近で声が聞こえて、ルドミラは驚いて顔を覆っていた両手を離した。
普段ならば、こんなに近づかれる前に感知できるはずなのに。いくら通常の精神状態と違うといったって。
……いや、それよりも。
「泣かないで、ルルー」
もう一度そう言った声に聞き覚えがある事に、ルドミラは愕然とする。……この、甘いような優しい声。
ルドミラは声の主を振り返った。
そしてまた驚いて真っ赤に泣き腫らした瞳を大きく見開く。
「ゲル……っ」
そう呼びかけて、ルドミラは口をつぐんだ。
そんなわけない。
焦げ茶色のマントに全身を覆ったその男は、ルドミラの知っている彼よりも背が高くて後ろ髪も短くて、声も少し低くて。でも瑠璃色の瞳も顔立ちも彼と似すぎていて。ルドミラを「ルルー」なんて呼ぶのは彼しかいなくて。彼が生きてあと何年か齢を重ねたらこうなっただろう、という姿をしていたのだ。
「……だれ」
掠れた声で、ルドミラは誰何した。
少なくとも彼じゃない。
彼は敵の手にかかり、命を落としたのだ。自分の足元で眠っているのだ。
男はどこか困ったように笑った。……彼はこんな顔で笑わない。
「……本当はね、あなたの傍の土の下には、あなたが眠っているはずだったんだ」
男は言った。
「!?」
意味が分からず、ルドミラは警戒して立ち上がる。
袖で涙を拭おうとして、そこでようやく衣服の湿りから辺りの霧雨に気が付いた。
表情を変えないまま、男は言う。
「僕はあなたが死んでしまった未来から来た。あなたも僕が誰なのか、分かっているんでしょう?」
ルドミラは先ほどゲルハルト、と思わず呼びかけた。
それを男は否定しない。
「僕はゲルハルト。あなたが死んだ四年先からここに来た」
信じられない、という顔をしたルドミラを見て、男は語り始めた。




