届かない[4]
フィクティラス砦を臨む山の中腹に立ち、ルドミラは砦を眺めた。
既に日は落ち、砦の灯りの他は夜空に星が瞬くばかり。新月で月の光はない。
背後の森に息を潜める味方のほうをちらりと振り返り、ゲルハルトが宣言した。
「……行きます」
そしてゆっくりと両手に持った杖を宙へと掲げる。
密かに、穏やかに辺りの川や池、小さな水たまりからまでも水が舞い上がり、砦上空に集まった。
それを確認してルドミラも飾り手袋をした左手をそちらへ掲げた。
巻き起こした風でゲルハルトの集めた水を四方八方へと飛ばす。
ふっと辺りが暗くなった。
フィクティラス砦の表に灯された篝火が、操り飛ばされた水飛沫によって一斉に消されたのだ。
真昼とまではいかなくとも、夕暮れ程度には明るさを保っていた砦周辺は一気に暗闇の中へと沈む。砦を守る兵たちの慌てふためく声が聞こえてきた。
星明かりの下、ルドミラは隣に立つゲルハルトを見た。
「行きましょう、ルルーさん」
頷いてゲルハルトが言った。
ルドミラも頷き、二人はそれぞれにロープを持って砦に隣接している山から短距離を飛行し、フィクティラス砦の外壁、見張りの通路の端に降り立つ。
『点』のルドミラと『面』のゲルハルトとでは、同じ飛行するにも使う魔法の種類は変わってくる。ルドミラは自分だけに浮遊する力を作用させるが、ゲルハルトは風と空気を操って足場を作るのだ。
ロープを通路の柵に固く結ぶと、ルドミラは左手を軽く振る。後方で待機する仲間への合図だ。
ふわ、とほのかな光が一瞬だけ踊ってすぐに消えた。
「ルルーさん、少しだけ、僕の後ろを歩いてくださいね」
そう言ってゲルハルトはルドミラより三歩ほど先に立って砦の建物へと歩き始める。
どうして、と思わないでもなかったが、先に立ってくれるならそのほうが楽でいい。ルドミラは特に反論もせず、そのまま黙ってゲルハルトの後を歩いた。
……篝火は火種ごと水をかけて消したから、まだ次が焚かれるまでには多分もう少し時間がある。
この通路を使っての見張り時間にもまだ余裕はあるはずだが、この混乱ではそれは当てにならないだろう。
後に続く者たちがロープを頼りに橋を組み上げ、渡ってくるまでにどれだけ砦の兵を引きつけ時間を稼げるか、だが。
……ああもう、どうしてわたしがこんな面倒なことを。
頭の片隅で思いながら、ルドミラは辺りを警戒しつつゆっくり歩を進める。
「……?」
ふと、ルドミラはやはり周囲を警戒しながら歩いているゲルハルトが、何故だか特に前方上空ばかりを気にしている事に気がついた。
砦への出入り口のある辺りは、相当に背丈のある人間でも身長の半分くらいが頭上に余裕のあるようなかなり高い位置に、長いひさし状の物が組まれている設計になっていた。……そこに何かあるのだろうか?
「ゲル……」
小声で呼びかけようとした時だった。
「下がっててください」
ゲルハルトは普段からは想像もつかないような鋭い声を発し、そして彼は問題の場所へと一歩ずつ近づいていく。
すると突然、ひさしの上から何か大きな物体が落下して来たのだ!
「!?」
ルドミラは思わず息を呑む。
ゲルハルトは、まるでそれがそこにある事を知っていたように、頭上に両手を掲げて風を起こし、その巨大な物体を支えている。
それは、真っ黒に塗られた大きな岩だった。当然向こうも襲撃があることは予想していただろうが、明かりを落とされることも予測済みだったというのだろうか。侵入してくるとすれば正面か外壁の見張り通路のどちらかで、明かりを落とされるとすれば襲撃側も暗がりで、だとすればこの岩は目立ちにくいだろう、と。
「ルルーさん!!」
ゲルハルトが叫んだ。
ルドミラは気を取り直し、左手の先から何本も光の矢を放つ。
それはゲルハルトの支える大岩の中央付近に放電しながら突き刺さり、幾筋ものひびが走る。
「……足りないか……」
冷静な声で呟いたルドミラが更に光の矢を作り出そうとした時、突然砦の出入り口の扉が開いた。
「……!」
まずい、とか、早く、とか、そんな事を考えるよりも先に。
「ゲ……、ゲルハルトおぉぉ!!」
ルドミラは絶叫した。
目の前の光景が信じられなかった。
大岩を支えて動けないゲルハルトの体に、次々に飛び出してきた兵士の槍が突き刺さる。
目の前が赤く染まる。
鉄のような臭いが満ちる。
そして、力を発動できなくなったゲルハルトの上から大岩が落下し始めるのと同時、先ほどルドミラの放った光の矢でそれは砕け、黒髪も赤い飛沫も青い服も、全てが黒い瓦礫の下に消えた。
「よくもっ……!」
敵兵をぎっと強い瞳で睨み据え、ルドミラは全身に雷を帯びる。
ゲルハルトの体を封じた黒を踏みつけこちらに殺到する兵たちの姿を目にした瞬間、頭の中が真っ白に弾けた。
光を放つ。
ルドミラの全身から幾本もの光の矢が放たれ、次々に敵兵を焼け焦げた骸へと変えていく。
出入り口より飛び出してきていた者どもは全て燻った煙を上げ、息絶える。
肉の焼ける臭いが辺りに充満したが、ルドミラの鼻に残るのは赤い鉄のような臭いだけ。
恐れおののく残りの兵士たちは出入り口からこちらの様子を窺っていたが、ルドミラの目には入らない。
「……ゲルハルト……」
名を呼び、砕けた大岩の前にひざまずいて瓦礫をかき分ける。
背後から幾人もの足音が聞こえてきた。
その後の事を、ルドミラはよく覚えていない。
気がついたらフィクティラス砦は陥落し、砦を守っていた兵の生き残りは捕縛されたそうだった。
乱戦になり、敵も味方も沢山命を落としたと聞いたが、頭の表面を滑っていくだけのその情報からは何も伝わらない。
黒い瓦礫に埋まったゲルハルトが掘り起こされるのをルドミラはただ黙って見ていた。
物言わぬ骸となったゲルハルトは血まみれで、槍で突かれた以外にも全身傷だらけで、それでもどこか安心したように笑っていた彼の最期の顔を、ルドミラはただ見ているだけだった。




