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朧夜奇譚  作者: 一寄夢濃
3/3

怪魚の海

  その昔、北海道がまだ蝦夷地と呼ばれていた頃の事でございます。

 内浦湾のほとりに小さな漁村があり、そこに一組の夫婦が住んでおりました。

 夫の名はチルイップと言い、逞しい身体つきをしたとても腕の良い漁師でした。

 また妻はナルチッイと言う名の村一番の美人で、中でも長く伸ばした艶やかな黒髪が特に美しいとの評判でした。

 二人は大変仲睦まじく、たとえばある時などは、

「おーい、帰ったぞ」

 チルイップが背負っていた魚籠を下ろすと、中から大きな魚がどさどさと沢山溢れ出てきました。

「お帰りなさい。あらあらまあ、今日もこんなに沢山獲れたのですね」

「なぁに、魚が勝手に俺の網の中に入ってきただけじゃあ」

「まあっ、うふふふふ。それじゃあ折角来てくれた魚が腐らないように、急いで干物にしなくっちゃいけませんね」

 ナルチッイは干物作りの名人としても有名で、美味しくて長持ちするナルチッイの干物は海から離れた村では大人気でした。

 時折それを籠に入れて担いでは山の方にある村などで山菜や木の実と交換するのもチルイップの仕事なのでした。

「そうじゃ。お前に土産があった」

 妻をそう呼びとめると、チルイップは懐から何やら取出しナルチッイに手渡しました。

「まあ、綺麗」

 それは貝殻で造られた髪飾りでした。

 ナルチッイは嬉しそうに早速髪飾りを自慢の髪に付けてみました。

「うむ。よぉく似合っとる」

 実際白い貝殻の飾りはナルチッイの黒い髪に映え、とてもよく似合っていました。

 その日から毎日、ナルチッイはその髪飾りを身に着けておりました。

 

 それから暫く、冬も終わり蝦夷地の雪も解け始めた頃の事でございます。

 ある出来事が海辺の村々に住む漁師たちの頭を悩ませておりました。

 それはレプンオヤシと呼ばれる巨大な海の怪物でした。

 何時からか内浦湾に棲み付いたこの化物は、大きな鮭に似た怪魚で、人も舟も構わず手当たり次第に飲み込んでしまうのです。

 これまでにも何人もの漁師が化物の犠牲となっておりました。

 レプンオヤシは普段は湾と外海を結ぶ入り口近くをゆっくりと泳いでいるのですが、漁に出た舟があるととてつもない速さで舟に近寄り、小さな舟なら丸呑みに、少し大きな舟でも何度もぶつかって舟をバラバラに壊し、海に投げ出された人々を飲み込んでいくのでした。

「昨日はカムカライの舟がやられたそうじゃ」

「子供が産まれたばかりだと言うのに、気の毒な事じゃあ」

「女房に滋養を付けようとして無理をしたんだのう」

「先月は隣村の若衆が四人も喰われた」

「儂らだっていつそうなるか……」

「かと言ってこのまま漁を休み続ける事も出来んぞ?」

「ハァ~」

 男たちは漁に出る事も出来ず、額を合わせては溜息ばかり吐く毎日でした。

「元気を出さんか、お前達」

 そんな空気に耐えかねて立ち上がったのはチルイップでした。

「レプンオヤシが何じゃ。たかがでかい魚ごとき、この俺が退治してやる」

 チルイップは自信満々にそのような事を言い出しました。

「ま、待てチルイップ。いくらお前でも、あんな大きな化物に敵う訳がない」

「そうじゃ、そうじゃ」

「お前が喰われてしもうたら、残されたナルチッイはどうする?」

「悪い事は言わん。考え直せ」

 男たちは口々にチルイップを止めました。

 しかしチルイップの決意は固く、

「大丈夫じゃ。俺に任せておけ」

 そう言うと化物退治の支度をするため家に戻ったのでした。

 夫から話を聞いたナルチッイは大層驚き、そして大反対をしました。

「あなた、どうかお止め下さい。あなたに何かあったら私は生きていけませぬ」

「俺の事なら心配はいらん。いつもよりちょっとばかり大きな獲物を仕留めて来るから、お前は干物を作る準備をしておいてくれ」

 泣き縋る妻を強引に説得すると、チルイップは愛用の銛を携え意気揚々と舟を漕ぎ出しました。


 舟を出して暫くすると、海面を大きな影がぐんぐん近付いてくるのが見えました。

「来たな」

 チルイップが銛を構えると、不意に水面が大きな音を立てて波立ち、中から大きな魚の頭が現れました。

「何と言うでかさじゃあ!」

 間近で見るそれは、まるで小屋の様な大きさでした。

 レプンオヤシはその大きな口をいっぱいに開けると、チルイップを舟ごと飲み込もうと迫ってきたのです。

「いくらでかくても所詮は魚じゃあ。お前なんぞに、この俺がやられるものかぁ!」

 チルイップは大きく跳躍すると、長く伸びた化物の鼻面に飛び乗り、銛を想いきり突き立てました。

 しかしレプンオヤシの硬い頭に、自慢の銛も歯が立たず弾かれてしまいました。

「くそっ!それじゃあ、目玉ならどうじゃ!」

 そう気合を込めて勢いよく銛を投げ付けると、今度は見事に化物の右目へと突き刺さりました。

 これには流石の化物も堪らず、身体を大きくうねらせて暴れだしました。

 チルイップは振り落とされない様に必死でしがみついていましたが、突然レプンオヤシが大きく空中へ飛びあがり、その巨体を水面へと叩き付けました。

「し、しまったぁ!!」

 その衝撃でチルイップの手が化物の身体から離れ、海に投げ出されてしまいました。

 そこへ大口を開いたレプンオヤシが飛びかかり、そのままどちらも海の底へと沈んでし

まいました。


 浜から遠巻きに様子を見ていた漁師たちから夫の最期を訊いたナルチッイはそれはそれ

は嘆き悲しみました。

 そして遂には海に身を投げてしまったのでございます。

 村人たちは二人を憐れに思い、ナルチッイが身投げした岬に墓を立てて夫婦を弔ったのでした。

 それから数日後の事でした。

 一艘の舟がやむに已まれぬ様子で漁へと漕ぎ出しました。

「少しで良いんじゃ。あいつに見つかる前に少しでも魚を獲って浜へ戻るぞ」

「分かっておる。このままじゃ儂ら全員飢え死にじゃあ」

 魚の獲れる海域ギリギリの沖まで舟を出すと、漁師たちは急いで網を投げました。

「少しじゃ。少しの間で良いからこっちに気付かんでくれ……」

 しかしそんな必死の祈りも空しく、

「や、奴が動き出したぞ!」

 遠くの水面で黒くさざ波が立っておりました。

 波はどんどん舟の方へと近づいてまいります。

「いかん、もう網を上げろ!」

「じゃがまだ殆ど魚は掛かっておらんぞ!?」

「そんな事を言っておる場合か!奴が来る。舟を出すんじゃ!」

 慌てて帰り支度をするも、化物はもう目前まで迫っておりました。

「駄目じゃ、もう間に合わん!」

 化物が漁師たちを舟ごと飲み込もうと大きな口を開けた時でした。

「な、なんじゃ……?」

 急に化物がその動きを止めたのでございます。

「あ、あれを見ろ!」

 一人の漁師が指差した方を見ると、化物の身体に何かが巻き付いておりました。

「蛸……?」

 それは見た事も無いほど巨大な蛸でした。

「あんな蛸の化物までおったのか……」

「こ、この海はもうお終いじゃあ!」

「嘆くのは後じゃ!とにかく今はこの隙に逃げるぞ!」

 怪魚と大蛸、二体の化物が争っている間に漁師たちは命からがら逃げだしたのでした。

 それから三日三晩、海は大荒れに荒れました。

 付近の村の人々は皆、この世の終わりかと恐れおののき、一歩も家から出る事も無く海が収まるのをじっと待ち続けたのでした。

 そして四日目、嘘のように海は大人しくなり、村人たちが浜に集まりました。

 そこで村人たちが目にしたものは、浜に打ち上げられた大きな魚と蛸の死骸でした。

「化物が相討ちになったのか」

 恐ろしい思いをしましたが、ともあれこれで化物に脅かされる事も無くなったと村人たちは喜びました。

 そしてまずは憎いレプンオヤシの腹を裂くと、中からは舟の破片と人骨がゴロゴロと飛び出してきました。

「化物め、こんなに人を喰うておったのか」

 村人たちは改めて恐怖したのでした。

 さて次は怪魚を仕留めてくれた蛸を捌くことにしました。

「レプンオヤシが居なかったら、こいつが儂らを喰っておったかも知れんからな」

 そう言って蛸を裂くと、何か白い物が蛸の身体から転がり落ちました。

「なんじゃあ、これは?」

 手に取ってみると、それは白い貝殻でできた髪飾りでした。

「こ、これはナルチッイの……!?」

 それはまさしくナルチッイが日頃欠かさず身に着けていた、あの髪飾りでした。

「この蛸はナルチッイの化身じゃったのかぁ」

 人々は夫の無念を想うナルチッイの魂が蛸に化けて仇を討ったのだと話し合いました。

 そして蛸の亡骸を海に還すと、髪飾りを二人の墓に埋めて長らく供養したと言う事です。

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