第二話 常夏の島ハル共和国の光と闇(2)
ハル共和国まで飛行機で十時間程かかる。
正樹ちゃんはさっきから小型大脳コンタクトをつけて目を閉じたまま、うんともすんとも言わない。飛行機が離陸して、すぐにこの小型大脳コンタクトをトウキが正樹に渡した。カナメから預かったと言っていた。
大脳コンタクトは直接相手の大脳にアクセスできる器械で、大抵は対で使う。ヘッドホンのような器具を頭に装着すると、言葉を交わすことなしに相手が考えていることがダイレクトに伝わってくるのだ。だから言語が違っていても伝わるし、相手が見たものの記憶をまるでその中にいるように見ることができる。たぶんカナメは正樹に伝えたい情報をインプットしておいたのだろう。
退屈な瑞樹はガラ空きの飛行機の中をぶらぶらしていた。
[瑞樹、どうかしましたか?]
声を掛けてきたのは紫の瞳のトウキだった。
[ううん、ちょっと手持無沙汰なだけ]
瑞樹は苦笑する。
[そうですか]
トウキは僅かに微笑んだ。
[ねぇ、なんであなただけ目の色が違うの?]
さっきから気になっていたことだった。
[少し、ハルの現状をあなたに話しておいた方がいいでしょうね]
トウキは思案顔で呟いた。
前述したとおり、惑星ハルは恒星ジタンの終焉により消滅した。ハルの地下で細々と命脈をつないでいたハル文明は、強大な科学技術力と森の民の植物を操る力を駆使してエクソダスを果たした。エクソダスを果たす、その為だけに大勢の人々がその人生を費やしてきた。言いかえれば、ハルの人々は何世代にも渡る長い間多くの犠牲を強いられてきたのだ。
長期間に渡る地下都市生活はハル人から色素を奪い、三つの種族の力を最大限利用する為に敷いた人種隔離政策は、人々の心の中にまでその溝を深く刻みつけた。三種族のうち、一般人は地下都市の暗がりの中で科学技術を発展させることのみにその能力を費やし、緑色の肌で自ら光合成を行うファームの民は、地下都市や脱出船のバイオラングを、その寿命の長さと、持前の忍耐強さで、維持管理することを要求された。そして植物を操る力を持つ森の民は、ハルの最後の地上アール・ダー村の森を守りながら、寂光下で育ち、光合成をたくさん行う等の有用な植物を作り出すという使命を負わされていた。
三種族の中で唯一、森の民だけが、惑星ハルの現状もエクソダスという国家をあげての大プロジェクトも知らされることなく暮らしていた。森の民の力は特殊なもので、その力の源がなんであるのか解明されないままになっている。
唯一、絶望した森の民はその力を使うことができないと言う事だけが、経験的に理解されていた。ハル政府は森の民が絶望することを恐れていた。瑞樹が内包している記憶の持ち主のディモルフォセカは、森の民だった。
[あなたは、ハルの民が長い間、色々な事をエクソダスの為に犠牲にしてきたことを知っていますね?]
トウキは瑞樹の瞳を覗きこんだ。
トウキは私の中のディモルフォセカの記憶のことを知ってるのだろうか……。瑞樹は自問する。知っていることを私が認めてしまって、何か不都合なことがあるんじゃないだろうか……。散々考えた挙句、ここまで考え込んでおいて知らないふりをするのに意味がないことに、瑞樹はふと思い当った。
[……ええ、まあ……]
瑞樹の言葉にトウキは心得顔に頷いた。
[この一年で色々なことが変わりました。エクソダスのためのプログラムが終了して、三種族間に引かれた線引きが解除され、国を議会が動かすようになりました]
[議会?]
[そうです、必要に応じて議会が招集されます]
[ニシキギが、今厳密な意味での国家元首はいないって言ってたけど……]
[ええ、いません。議会を運営する議長がその主導権を握ってはいるのですが、議長は議会が招集される度に選出されます。国の方針を議会が決定し、その決定に従ってメインコンピューターが国を運営していくわけです。選出はメインコンピューターが国民一人一人の大脳にアクセスして、その意思を集積して決めます。しかし議長が権限を持つのはその議会の会期中のみです。だから議会の会期中でない今、実質国家元首はいないということになるわけです]
[ふぅん、なんかよくわかんないけど、そんなんでうまくいくのかな?]
[さあ、どうなるか、これからが山場かもしれませんね]
トウキは薄く笑った。
[その議会で、今まで人々の管理において強権を発動してきた我々アンドロイドがやり玉に上がりました。当然予想していたことではありましたが……]
[え? ムラサキさんにも何か?]
ムラサキは教育担当のアンドロイドだ。瑞樹がナンディーに拉致されていた時何かと力になってくれた。
[我々アンドロイドの一部には人の心の中を覗く能力がありました。人々はその能力を不快に思っているようでした]
[それはそうだろうね。心を覗かれてるって知ってたら何にも考えられないようになってしまうもの]
トウキは瑞樹の言葉に苦笑した。
[それで議会は我々からその力を取り上げることを全会一致で承認したのです。ただ、例外は認められました。事件が関わっている場合、事件が関わっていると疑われる場合、治療として必要な場合にはその力を暫定的に与えられることになったのです]
[そうかぁ、あると便利だもんね]
[この紫の瞳はその力を与えられている証なのです]
[え? じゃあ、あなた以外のトウキ達は心を覗くことはできないの?]
[ええ、できません]
さらりと言ったトウキに瑞樹は顔を顰める。つまり今は事件が私に関わっている、少なくともその疑いがあるとハル政府に認められている訳だ。
[あなたが事件に関与していると疑っているわけではないのですよ。ただ巻き込まれるかもしれないと疑っています。だから、あなたが心配する、もしくは用心するということはとても大事なことなんです。イベリスは未だに失語症の状態ですし、犯人も特定されていません。ハル政府に対する不満分子か、他国からの妨害か、それすらもはっきりしていないのですから]
[イベリスが失語症?]
瑞樹は呆然と呟いた。
[かなりショックなことがあったか、故意に心理操作をされているか、詳しい事を訊き出せないのです。しかも大脳コンタクトもお手上げで、何か特殊な精神バリアーが張られているようだとドクターは言っていました]
[そんな……]
[微かにあなたの名前に反応したとのことで、あなたが鍵になっているのではないかとドクターは言っています]
[ドクターって、ブラキカム?]
瑞樹がナンディーで世話になったドクターだ。
[いえ、ドクター・ブラキカムは急用でナンディー戻りました。今地球にいるのはドクター・ヌンです]
瑞樹には聞き覚えのない名前だった。
[イベリスは手はきちんと動くの? なんで両手首切断なんてことになったの?]
イベリスに関しての一番の心配事項だった。
[リハビリが必要なのですが、まだ開始できていないと聞いています。私がハル共和国を出る時には、まだリハビリもできない状態でした。拘束されていた時に血流が滞っていたらしくて、助け出した時には、もう切り落とすしか手立てがなかったのです]
[なんてこと……]
いくら最高の医療技術で手を付けても、それを動かすのは本人の意志だ。心が回復しなければ体も回復しない。瑞樹は悲しい気持ちで俯いた。