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番外編 星ぶどう狩りの夕べ(4)

 この甘やかな芳香は、夏の夜の匂いがする。

 ソファーに座らされたまま、瑞樹はぼんやりと考える。部屋の奥のスポットライトの下に、いくつもの大きな白い蕾が重そうにぶら下がっていた。今にも咲きそうにふっくりとしている。少し開き始めた花弁の奥から、その甘やかな香りは漂っていた。

 

 何度か深呼吸をして、瑞樹は小さくため息をついた。胸の真ん中が焼けつくように熱くて、少しドキドキする。それなのに体中の血液が、いつもよりゆっくり流れているようで、けだるい。思考がのろのろとしか働かない。ニシキギに飲まされた星ブドウ酒は、アルコールにめっぽう弱い瑞樹にとっては、結構な量だったようだ。

「大丈夫か?」

 ニシキギが冷たいお茶を持ってきてくれる。すっきりとした味と香りのハーブティーで、それは胸のドキドキをなだめるように喉を下った。

「月下美人だね、きれい」

 瑞樹は、白い花を見つめて言った。

「……なぜ黙ってた?」

 ニシキギは、不機嫌さが最高潮な様子でそう言うと、瑞樹の隣に腰を下ろした。

「……」

 星ブドウ酒で、すっかり酔っ払って足取りがおぼつかなくなってしまった瑞樹は、ニシキギに背負われて、この部屋まで戻ってきた。エリアEからこの部屋までの間、ニシキギは一言も口をきいてくれなかった。原因はマサキちゃんの一言だ。言いたくなくて黙っていた訳ではない。言いそびれていた。言い出すきっかけを掴めずにいた、それだけだ。瑞樹は、心の中でため息をつく。


 酔って動けなくなってしまった瑞樹は、ニシキギに抱きかかえられるようにして、エリアEの管理棟まで戻った。そんな瑞樹に正樹が声をかけたのだ。

「ん?瑞樹ぃ、いくら親からお許しが出たって、熱々過ぎないか?」

「お許し?何のことだ?」

 正樹の言葉に、ニシキギが眉間にしわを寄せる。

 すぐ事情に気づいたカナメが、正樹の口を封じて連れ去ったが、時は既に遅かった。正樹は、瑞樹の両親がニシキギと瑞樹の婚約を許したことを親経由で聞いていたらしく、瑞樹がニシキギに伝える前に知らせてしまうという、実にタイミングの悪い状況を招いてしまったのだった。


 どのように話せば自分の気持ちが伝わるのか、回らぬ頭で考えていると、ニシキギの傷ついたような瞳と目があった。

「気が変わって、俺には話したくなくなっていた、そう言うことか?」

「違う!そうじゃないよ……そうじゃない」

 瑞樹は視線をさまよわせる。さまよう視線が、見事に開いた月下美人の花に吸い寄せられる。

「ねぇ、どうして月下美人を選んだの?」

 瑞樹の否定に、ニシキギは少し緊張を解いて、小さくため息をついた。

「……地球の植物ならどれでも良かった。花が咲けばより良いと思った。手入れが簡単なのが良かった。そう言ったら、花屋の店員がこれを勧めたんだ」

「一晩しか咲かない花なのに……」

「花なんて咲かなくたって良かった。地下都市が苦手なお前が、それを見て、少しでも気持が和らぐのなら、どんなものだって良かった。そして一番肝心なのは、おまえの命を削らないことだった。できることなら、おまえには、ハルの植物に一切触れてほしくない」

「ニシキギ……私は……たぶんハルの植物が望めば、力を使ってしまうと思うよ」

 瑞樹は唇を噛みしめる。必要とされれば、抗えない……たぶん。かつてディモルフォセカがそうだったように……

「……分かってる。本当は分かってるんだ。シーカスがそうだった。力を持つ森の民は大抵そう言うな」

「……」

「だけどエリアEには、おまえ一人で行くな。せめてそれくらいは約束してくれ」

 ニシキギの言葉に胸が詰まる。

「……森の民と同じ体質なら、私はそれほど長く生きられない……そう言うことだよね」

「……」

「実はね、カナメと意識がつながった時に、私が再生できないタイプなんだって知ったんだよ。それって、私にとっては当たり前のことだったんだよね。地球人にとっても、ディモルフォセカの記憶を内包してからだって、彼女の認識とは、ほぼズレてなかった」

 でも、地球に辿りついたハル人はすべて、カナメとイブキが開発した分解再生装置で、何度でも再生することができる。ニシキギだって同様だ。意識がつながった時に、カナメの悲しみが、やるせなさが、ダイレクトに伝わってきた。

「ハルの植物に触れても触れなくても、恐らく早い段階で、私はあの扉の向こう側に行くことになる……」

 一度だけ、瑞樹はあの扉の向こうから戻ってくることができた。それは、カナメとニシキギとハルと、その他医療スタッフの絶妙なパワーバランスの賜物だった。それは、奇跡以外の何ものでもなかったのだ。

「行かせない!」

 ニシキギは瑞樹を抱きしめた。

 でも、ニシキギだって分かっているのだ。いつまでもこうしていられない現実を……だからこそ、恐れる。

「私は……ニシキギを悲しませるだけの存在になりたくない。もしニシキギが、私なんかよりも……」

 言い終わらないうちに、大きな掌で柔らかく口を塞がれた。

「もしおまえが、そんなことを理由に、前に踏み出すことを躊躇っているのなら、今、この場で有無を言わさず、おまえを俺のものにしてやる……」

「……」

 瑞樹は切なげにニシキギを見上げる。

「言っておくが、再生治療だって万全ではない。何度でも際限なく繰り返し再生できるわけじゃない。色素の定着率が悪くなるのが、その良い例だ。永遠なんて……この世には存在しない」

 瑞樹の瞳から涙が零れ落ちる。ニシキギは口を塞いでいた手を外して、瑞樹の頬の涙を拭った。

「その目でちゃんと見ろよ、そして、その悪い頭で考えろ。一晩しか咲かない花が、どうしてこんなに美しいのか。一年限りで命を終える草が、どうして毎年花を咲かせるのか。信じられないくらいの長い歳月、多くの命を育んできた惑星が、どうして滅びるのか……」

「ニシキギ……」

「仮に、おまえのいない永遠をくれると言われても、おまえがいる一瞬と取り換える気なんて、俺は、これっぽっちもないぞ」

「……頭悪いのは、ニシキギの方だよ」

 泣き笑いの顔で見上げる。

「ああ、おまえのせいで頭がイカれちまったからな。でも、もう手遅れだ」

 ニシキギは小さく笑むと、強く瑞樹を抱きしめた。

 ――今、この一瞬を止めてしまうことができたら、私は幸せだろうか?

きっと違う。時が流れるからこそ、その一瞬一瞬が大切で愛しいのだ。

 ――では、その一瞬を、どうしたら、もっともっと輝かせることができる?

それは、一夜限りで咲く花さえ知っていることだ。こんな時、言葉にはなんの力もない。答えは目の前にあった。

 瑞樹は、ニシキギを強く強く抱きしめ返した。


これにて、本編、番外編ともに完結です。貴重なお時間を割いて私の拙い小説を読んでくださった皆様、本当に、本当にありがとうございました。

平成22年5月28日 招夏

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