番外編 星ぶどう狩りの夕べ(3)
瑞樹に星ブドウ狩りを知らせてくれたのは、ファームの民のセージだった。星ブドウ狩りは、元々森の民の祭なのだけれど、今年はファームの民も一般人も合同で行うことになったのだそうだ。だから、その日には、是非ハル共和国に戻って来てほしいと、日本にいた瑞樹にわざわざ電話をくれたのだ。ミントも地球に来ていると言う。その日は、既にハル共和国に帰っている日だ。瑞樹は二つ返事で出席すると伝えた。
星ブドウ狩り……なんて魅惑的な響きだろうか。
ディモルフォセカの記憶では、星ブドウ狩りは、アールダー村で一番の大祭だった。収穫祭のメインのイベントとして行われ、子供も大人も、それはそれは、楽しみにしている祭だったのだ。
「アールダー村でもエリアEでも、星ブドウ棚は見たことがあるけど、星ブドウ狩りは、初めてだ」
カナメが子供みたいに目を輝かせた。この人は不思議な人だと瑞樹は思う。何百年生きていても、ハル共和国の議長になっていても、なにも変わらない。まるで少年みたいだ。瑞樹は小さく笑む。
「ニシキギは?あんた森の民だったんだろ?」
マサキがニシキギに問いかける。ニシキギは、エリアEへ向かう一団の後方で、一人仏頂面でついて来ていた。
「もう忘れた」
取り付く島もないニシキギの返答に、マサキは肩をすくめる。
実際のところ、ニシキギには、星ブドウ狩りの記憶が、ほぼ無い等しかった。ニシキギがアール・ダー村に居たのは十歳までだったし、その頃には既に、彼が傍にいると森の民の力をコントロールできないという噂が広まっていたので、そのような行事にニシキギが参加することは、誰からも歓迎されなかったのだ。
疫病神だったのはむしろ俺の方だった、ニシキギは苦い思いで、気の進まぬ歩を進めた。瑞樹は、そんなニシキギの気持ちを知ってか知らずか、カナメとばかり楽しげに話している。
エリアEは、既に、夕刻の弱い日射しで満たされていた。地球にある地下都市は、惑星ハルにあったそれと違って、太陽の恩恵を最大限利用できるように、様々な工夫がなされている。採光の為に、地下深くまで無数のグラスファイバーが通され、電力の大半を太陽光がまかなっている。地熱発電も利用しているが、蓄電技術が発達しているので、太陽光のみでも、さほど不自由することがなかった。惑星ハルに居た時とは異なり、地下都市建設に当たって、それだけの時間的、材料的、技術的余裕があったのだ。
地下都市の採光を太陽光に頼っているということは、当然地下都市にも朝と夜が訪れる。次第に闇に沈んでいくエリアEとは逆に、賑やかなお祭りムードが高まっていく。笛や弦楽器が奏でる賑やかな調べが、心を浮き立たせる。中には音楽に合わせて踊り始める人たちも出てきて、お祭りムードは最高潮だ。
「ミントぉ!」
「瑞樹!」
瑞樹はファームの民のミントと、女子高生のように手を取り合ってはしゃぐ。最後に宇宙船ナンディで会ってから、随分時間が経っていた。
「タンジーは?」
ミントは、つい最近ママになった。瑞樹の問いかけにミントは少し離れた後方を指差す。でっかい人影と、それよりも少し小さめの人影が、しきりに議論を戦わせている。小さい方が森の民の長老カシで、大きいほうの人影が、赤ん坊らしいものをちょこんと抱えていた。あんな大きい人は、彼以外に考えられない。
「もしかしてコブも来ているの?」
瑞樹は目を見開く。
「そうよ、お祖父ちゃんったらタンジーを離そうとしないの」
ミントは肩を竦めた。タンジーと言うのがミントの子供だ。深い緑色の髪と浅黄色の肌をした賢そうな男の子だ。ファームの民でも、緑色の髪を持つ者は珍しいらしく、カシもこのタンジーがかわいくて仕方がないらしい。今ではすっかり白髪になってしまっているが、カシもまた、若いころは緑色の髪を持っていた。ファームの民の長老であるカシはコブの伯父にあたる。
「ねぇ、瑞樹、いつになったらハル共和国で落ち着くの?」
ミントが満面の笑みを湛えて問いかける。
「え?落ち着く?それって……」
瑞樹は戸惑って、言葉を濁す。短大を卒業するまでには、身の振りかたを考えなければとは思っているのだけど……何をして働くかとか、そもそもどっちの国で暮らすのかさえ、何も決心がついていなかった。色々悩みは尽きないのだ。
「いつまでもニシキギさんを待たせちゃ可哀そうよ?」
ミントが悪戯っぽく笑った。
「ねぇ、瑞樹は知ってるの?もし、あなたがエリアEに一人で来たのを見かけたら、すぐにニシキギさんに通報がいくことになっているのよ?彼が、エリアEにいる人たちに頼んで回ったんですって。あなたのことが、本当に大事なのね」
「……知らなかったよ」
ミントの言葉に、瑞樹は黙り込んだ。
星ブドウ狩りは、すっかり日が落ちてから行われる。その理由は、たわわに実った星ブドウを実際に見れば、すぐに合点がいくことだろう。
「うわぁ、キレイだねー」
瑞樹は、星ブドウ棚を見上げてため息をつく。明るいうちは、普通のブドウと何ら変わりがない。しかし、日が落ちてしまうと、星ブドウ棚は満天の星空のように輝いた。まるで光の粒を大量に零してしまったみたいだ。
完熟した星ブドウの表面には、白い粉のようなものが付着する。これが暗闇で蛍光を放つのだ。だから、暗闇になれば、どれが完熟しているものなのか、一目で分かると言うわけだ。
収穫した星ブドウは、その場でジュースにされる。子供たちは、この搾りたてのジュースを飲むことをとても楽しみにしている。何故なら、搾りたてのフレッシュな星ブドウジュースは、この時にしか飲めないからだ。搾った果汁の半分は加熱されて、ジュースとして保存される。だから加熱していないフレッシュなジュースは、年に一度、収穫時にしか飲めないことになる。
残りの半分は加熱されずに、そのまま樽の中に貯蔵されるが、一日も経つと、それは子供が飲めない液体に変身してしまう。なぜならば、加熱していない星ブドウジュースは、かなりなハイスピードで、星ブドウ酒になってしまうからだ。星ブドウの表面に付着している蛍光を発する粉は、実は細菌の一種で、星ブドウの糖分をアルコールに分解するのだ。
新しい搾りたての星ブドウ果汁を入れる為に樽を開封するので、星ブドウ狩りの祭りでは、この開封したての星ブドウ酒が、大盤振る舞いされる。ちなみに、星ブドウ酒を蒸留するとメムシンになる。
瑞樹は、冷ややかに光を放っている星ブドウの房に手を添えると、注意深くハサミを入れた。ずしりと重い星ブドウの房が掌に落ちてくる。それを手近の籠に入れる。みんなでやると、籠はあっという間に一杯になった。
「瑞樹、あの上の方のを採るかい?」
カナメが抱き上げて、上の方の星ブドウを採れるようにしてくれた。
「うわー、これはすごく粒が大きいよ」
瑞樹は、嬉しそうに、採った星ブドウの房をカナメに見せる。
「本当だ」
二人で顔を見合わせて、ほほ笑みあう。
「瑞樹……言わなくても分かっていると思うけど……」
カナメが悪戯っぽく瑞樹の瞳を覗きこむ。
「ああ、言わないで、分かっているから。言わなくても分かっていると思うけど……」
瑞樹はカナメの言葉を遮った。
「君の気持は……よく分かるよ。だけど、君が考えていることは、恐らく彼は望まないと思う……かつて僕がそうだったみたいに……」
カナメは、静かに瑞樹の瞳を覗きこむ。
「……うん、そうだね……だけど……」
踏み切れないのだ。瑞樹は視線をさまよわせる。
「悩んで、考えて、立ち止まることは、悪いことじゃない。だけど……」
「分かってる。分かってるよ……」
瑞樹はカナメの言葉を再び遮った。
「君が分かっていることは、分かっているんだけどね……」
カナメは苦笑する。
「おまえら、何、お互いに分かってる分かってるって言いあってるんだ?気味わり」
マサキが近づいてきて、怪訝そうに眉間にしわを寄せた。
「……」
マサキの言葉に、瑞樹とカナメは同時に肩をすくめる。
カナメとは、お互いに意識を遮蔽しあって、独立した自我を保ってはいるが、接近するか、もしくは接触すれば、お互いに表層思考が見えてしまうのだ。特に、表層思考のコントロールが不得手な瑞樹の考えは、カナメにほぼ筒抜け状態になってしまう。このことは、二人以外に、ニシキギしか知らない。
「さっきさぁ、すっごくキレイな子がいたんだよ。上の方の星ブドウを採りたい様子だったから、手伝ってやろうかと声をかけたら、ブラキカムが猛然と間に割って来てさ、踏み台を持ってきたから必要ないって、すごい剣幕で追い払われたよ」
マサキが不満そうに言うと、カナメが吹きだした。
「それは、災難だったな。ブラキカムは、以前イブキにフィアンセ候補を盗られたことがあるもんだから、君に過剰反応してしまったんだろうよ」
カナメは涙を拭きながら言った。笑い過ぎたらしい。
ハル脱出時にイブキの配偶者だったフェリシアは、もともとブラキカムのフィアンセ候補だった。カナメは、かなり後になってから、そのことをイブキから聞かされた。
ブラキカムとネモフィラは、あれ以来、良い感じで付き合っている様子だ。カナメは楽しげに笑んだ。
「全く、イブキのお陰で、俺は割を食うことばかりだぜ」
マサキは憤慨して言ったが、それはカナメを更に笑わせただけだった。
星ブドウ狩りが終了すると、星ブドウ酒と料理が振舞われた。参加者には、後でお土産に星ブドウジュースか星ブドウ酒が一人一本ずつ配られるとアナウンスがあった。会場がどっと沸く。今年はかなり豊作だったようだ。
「瑞樹、これを……」
カナメが、瑞樹にグラスを二つ手渡しながら目配せをする。
「……ありがとう」
瑞樹は、少し頬を染めて、グラスを受け取ると、少し離れたブドウ棚の下へと向かった。
「……ニシキギ、星ブドウ酒、持ってきたよ」
ニシキギは星ブドウ棚の下で、腕を枕に仰向けに寝転んだまま目を閉じていた。結局ニシキギは星ブドウ狩りには参加せずに、ここで転寝をしていたらしい。瑞樹の声にも反応しない。眠り込んでいるようだ。瑞樹は傍らに座って、星ブドウ酒のグラスをニシキギの頬にくっつけた。
「……」
「ニシキギ?眠ってるの?」
ニシキギも昨日まで連日、議会に出席していたのだ。疲れているのだろう。グラスを近くにある小さな丸テーブルに置いておこうと、瑞樹が立ちあがろうとしたところで、腕を掴まれた。
「うわっ、とと……ニシキギ、急に掴まないでよ、零れちゃうよぉ」
ニシキギが目を薄く開けて瑞樹を見上げている。碧い瞳に吸い込まれそうだ。いつ見てもニシキギの瞳には釘づけになる。その透明な碧。でも今は、心なしか怒っているように見える。気のせいではなさそうだ。瑞樹は肩を竦めた。
「……赤と白があるよ。どっちがいい?」
瑞樹は、右手と左手それぞれに持った星ブドウ酒のグラスを交互にあげて見せた。
「赤」
ニシキギは感情の見えない声で言った。しかし、瑞樹が差し出したグラスには手を伸ばさずに、瑞樹の頭に手を回す。
「え?、あの、ニシキギ?」
「動くなよ。零れるんだろ?」
そのまま引き寄せられて、口づけられる。瑞樹は、両手のグラスから星ブドウ酒を零さないようにするのが精いっぱいで、されるがままになってしまう。
「あん、ニシキギ、零れちゃうったら……んっ……」
砂漠をさまよっていた旅人が、やっとの思いで見つけた井戸の水を夢中で飲むように口づけをかわす。気づいたら、グラスのワインは半分ほどになってしまっていた。
「あーあ、随分こぼしちゃった」
抱きしめられたまま、両手に持っていたグラスを見て、瑞樹は小さくため息をついた。
「飲んでしまえばいい。紅い方は俺が飲む。癪に障るから」
そう言いながら、ニシキギは星ブドウ酒を一気に飲み干した。
「なんで癪に障るの?」
瑞樹は、きょとんとした顔でニシキギを見上げる。
「赤を見ると、誰かを思い出すからな。昨夜は何もされなかったんだろうな」
ニシキギの仏頂面を見つめて、瑞樹はクスリと笑った。
「ごめんね、心配かけて……」
瑞樹は、白というよりも金色に近い液体をコクと一口呑み込む。深みのある幽かな甘みとフルーティな香りが口中に広がった。
「……それでは、質問に対する答えになってないな」
不機嫌そうなニシキギの声に、瑞樹は苦笑する。
「ニシキギが心配するようなことは、何もないよ」
「当然だ。何かあったら、ただじゃ済まさない」
ニシキギはそう言い捨てると、再びドサリと横になった。どんな答えも、結局は、ニシキギの気には入らないようだ。瑞樹はグラスを脇に寄せると、ニシキギに寄り添って横になる。
「ねぇ、キレイだね。星ブドウ」
「……」
星ブドウ棚には、まだ未成熟果がかなり残されている。熟したものに比べれば、光の強さはさほどではないが、こうして棚の下から見上げれば、等級の低い星ばかりの夜空を見上げているようだ。
「……アールダー村で、こんな星ブドウ棚をシーカスと眺めたことがあった。シーカスが、まだほんの小さな子どもだったころだ。シーカスは、星ブドウの光を本物の星だと思い込んで、あれは何座かとしつこく訊いてきて……煩かったな」
ニシキギが小さく笑う。
「煩いなんてひどいなぁ。かわいいじゃない。で?なんて答えたの?」
惑星ハルの夜空にも星座があった。星空を見上げて、その光の粒を線でたどって絵を描く。それは知力を授けられた生物共通の振舞いなのかもしれない。
「なんて答えたかな……まぁ、テキトーに、六角形座とかブドウ座とか言ったような気がするな」
「本当にテキトーだねぇ」
瑞樹はくすりと笑う。惑星ハルに、そんな星座がなかったことをディモルフォセカの記憶で知っていた。苦笑する瑞樹の頬に、ニシキギが口づける。
「星座など、見たいように見えるものだ。俺にはすべての星が、おまえの瞳に見える。すべての星が俺を見てくれていれば、それでいい……」
瑞樹は、微笑むとニシキギの胸に頭を乗せた。少し早い、でも規則正しいニシキギの鼓動。
ハル共和国に来る直前に、両親がニシキギとの婚約を認めてくれた。当面は婚約ということにしておいて、結婚するなら、短大をきちんと卒業してからにしなさいと言われている。それは瑞樹が望んだことだったし、ニシキギもそれを望んでくれると思う。にもかかわらず、それをニシキギに告げるべきか否か、瑞樹は迷っていた。
「ねぇ、ニシキギ、私が地球に戻って間もないころ……もしかして、様子を見に来てくれた?」
ずっと気になっていたことだった。
「……ああ。……誰から聞いた?」
ニシキギの言葉に、瑞樹は胸の奥がじんわりと温かくなる。ママが言ったことは本当だったのだ。
「ママから聞いたの。家まで来てくれていたなら、声を掛けてくれれば良かったのに……」
あの頃は、ニシキギが自分のことをそんな風に思ってくれているなんて知らなかった。
「あの時は時間がなかった。もしおまえが幸せそうでなかったら、そのまま連れて帰ろうと思っていたのに、結構幸せそうにしていたんで、正直言って、がっかりした」
ニシキギは小さく笑う。
大荷物を抱えた怪しげな金髪の外国人。その時は、ただ怪しい人としか思わなかったのだとママは言った。それが、ハル共和国に行った瑞樹が、事件に巻き込まれて具合が悪くなった時、頻繁に連絡をくれたニシキギと、ある日突然リンクしたのだと母は言う。この人は、あの時の人だったと。
『あの人はね、瑞樹のことを本当に大事に考えてくれているのよ』
母はそう言って、父を説得してくれた。
ニシキギを大事だと考えているのは、瑞樹も同様だ。
――だからこそ、迷う。
「ニシキギ、これ飲んで?これ以上飲んだら、私酔っ払っちゃいそう」
瑞樹は、一口しか飲んでいない星ブドウ酒をニシキギに手渡した。
「……」
ニシキギは無言のままグラスを受け取ると、中の液体を一気にあおり、瑞樹をぐっと引き寄せると口づけた。驚いて目を見開いたままの瑞樹の喉を、甘くて熱い液体が滑り落ちていく。
「ニシキギっ」
「酔ってしまえばいい。俺が連れて帰ってやる」