番外編 ハルの魔術師(2)
ブラキカムはバーのカウンターでメムシンをあおっていた。
「ブラキカム、珍しいな君がこんなところで飲んでるなんて……」
カナメが声を掛けてきた。ブラキカムはカナメをちらっと見ただけで、何も言わずにグラスに視線を落とす。
「どうした?何を拗ねてるんだ?」
カナメはメムシンソーダを頼むと、ブラキカムの隣に座った。
「拗ねてなんかいねーよ。おまえは元気そうだな」
「……」
カナメは面白そうにブラキカムを見て肩をすくめると、出されたメムシンソーダを無言であおった。しかし沈黙に耐えられないように口を割ったのはブラキカムの方だった。
「……人は……同じような行動をとっても、同じような結果になるとは限らないもんだな……」
ブラキカムはメムシンをぐっとあおる。
「当たり前だろ?同じ人間が同じ行動をしたって、状況が変われば結果も変わる、別人なら違って当然じゃないか」
「その明暗を分けるのは何だ?神か?」
ブラキカムが視線を上げてカナメを睨みつける。
「どうしたんだ?なんかあったのか?おまえが神を持ち出すときは、決まって何かあった時だよな」
カナメがクスリと笑う。
「……」
ブラキカムは不貞腐れたようにつまみの木の実を口に放り込んだ。
「……運じゃないか?」
カナメの言葉に反応するように、カラリとブラキカムのグラスの氷が音をたてた。
「……ディモルフォセカは運が良くて、ネモフィラは運が悪かった……そういうことか……」
ディモルフォセカの名前が出たことで、カナメの顔から笑みが引いた。
「ネモフィラがどうかしたのか?」
「……詳しくは言えない。ただ、地下都市に不法侵入したこの二人が、どうしてここまで明暗を分けてしまったのか、それが解せなかっただけだ。俺たちはエクソダスを果たすためだけに生きてきた。エクソダスにとって良いことだけ、それだけを善として人々を社会を法で律してきた。しかし一方で、弱いものを犠牲にし、細かな法に適合しないものを排除し、利用できるものは躊躇なく踏み台にした……法とはなんだ?何の為にある?」
「……法は法だろ。それ以上でもそれ以下でもない。ただ、そこにあって、人を、社会を律するものだ。社会が目指すものの為に人を律するものなんだろう。ところが法は人が作るものだ。だから当然無謬ではない。であるにも関わらず、正規の手順以外では決して人は法に手を出してはならない。それが原則だ。法を曲げると言うことは、生き物の骨を砕くようなもので、体形を、つまりこの場合は体制を維持できなくなる……とまぁこんな説明でいい?」
「その法をあっさり破って森の民を匿ってたおまえに、法について講義をされるとは思わなかったぜ」
ブラキカムはぶつくさ呟いた。
「実は誰かが俺を訴えてくれるのを待っているんだ。そうすれば永久分解処理をされるか、金星あたりで長期労働の刑にされるかじゃないかと思ってるんだが……前者なら今より楽になれるかもしれないとたまに思うんだよ」
カナメが肩をすくめる。
「おまえを訴えようとしてるやつがいたら、俺がぶん殴って止めるさ。おまえはハルの為に永久にこき使われる刑に既に服しているんだから、余計なことをするなってな。おまえ、簡単に楽にしてもらえると思うなよ。また悪い癖が始まったんじゃないか?」
「たまにって言っただろ?しかし、似たようなことを昔、イブキにも言われたな」
カナメは眉間にしわを寄せて呟いた。
「なぁ、俺思うんだけど、今あるシステムは一旦ぶっ壊さなきゃならない時期に来てるんじゃないかな」
ブラキカムのぼやきにカナメはニヤリと笑った。
「ぶっ壊すのは得意分野だ。なんせ、僕は破壊神らしいからね」
カナメは失笑する。
「おお、いっそのこと、ぜーんぶ破壊しちまってくれ、一旦まっ更にしちまえば今度こそ良い国が造れるだろうよ」
カナメはクスクス笑って、破壊に乾杯とグラスを持ち上げた。
「……なぁ、ブラキカム、ネモフィラがどんな目に遭ったのか僕は知らない。だからこれは見当外れの意見かもしれないんだけど聞いてくれ。あの二人、ネモフィラとディモルフォセカはアール・ダー村を出た時点で法の岸から落ちたんだ。後は無法地帯の大きな流れに身をゆだねるしかなかった。どこにどのような状態で運ばれるかは運任せだ。しかし流れ着いた後どのように生きるのか、それを決めるのは自分自身だ。少なくともネモフィラはまだ生きてる。岸に着いたばかりだろう?結果を出すのはこれからじゃないのか?しかも彼女は一人じゃない。力を貸そうと心を砕いている君がいる。何が幸せなのか、最終的に決めるのは自分自身だ。違うか?」
カナメは話し終わると、メムシンソーダーを飲み干してお代りを注文した。
「そうか、そうだよな。彼女は岸にたどり着いたばかりなんだよな」
ブラキカムが納得したように小さく頷いた。
「ネモフィラ、明日、俺と一緒にエリアEに行ってみようか?」
相変わらず塞ぎこんでいる様子のネモフィラにブラキカムは声をかけた。
「え?行ってもいいんですか?」
ネモフィラが驚いた様子で問い返す。
「瑞樹にも伝えてあるから、連絡すれば来てくれることになってる。やかましい保護者のニシキギも一緒なはずだ。もし、君が彼らに会う勇気があるなら挑戦してみようか」
ブラキカムの提案に、ネモフィラの不安げな瞳が宙をさまよう。
「大丈夫俺がついてる。君は知らないかもしれないけど、俺はハル一番の名医なんだぜ?」
ネモフィラの背中を押すように付け加えて、ブラキカムは悪戯っぽく笑った。さまよっていたネモフィラの視線が一瞬見開かれ、ブラキカムを見つめてクスリとほほ笑んだ。ブラキカムはその瞳に力強く頷く。
少し荒療治過ぎるのかもしれない。でも岸に着いたのなら、次にすることは一つだ。自分の足で立って歩くこと。
言葉の魔術師、医者の次に俺が目指すのはこれかな。ネモフィラのほほ笑みを眩しげに見つめながら、ブラキカムは心の中で呟いた。
読んでくださってありがとうございます 招夏