第一話 秋にやってきたハルの使者(6)
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「ねぇ、なんで誕生日パーティーにたこ焼きなの?」
瑞樹が唖然として呟く。
「サバ寿司も作ったよ、瑞樹ちゃん!」
正樹の妹の皐月が嬉しそうに運んできた。
「なぜにサバ寿司?」
瑞樹は苦笑する。
「たこ焼きは俺の注文だ、サバ寿司は皐月が好きで勝手に作った」
正樹ちゃんは真ん中の席で、無理やりのように瑞樹を隣に座らせて料理の説明をしてくれた。それ以外はばっちりパーティー料理だ。カナッペやテリーヌや温野菜などのオードブルの大皿と、鳥の唐揚げやスモークサーモンやシーザーサラダやミートローフなどが色鮮やかに盛り付けられた皿が、テーブルの上に所狭しと並べられている。
皐月ちゃんはニシキギがすっかり気に入ったようで、しっかり隣に座ってあれやこれやと世話を焼いていた。皐月ちゃんはビジュアル系ロックバンドのボーカルの大ファンで、男は美しくなければ、といつも息巻いているくらいなので、確かにニシキギは彼女の好みなのだろうと瑞樹は失笑する。アーマルターシュは瑞樹の父親の横で美しい微笑を振りまいていて、すっかり相好を崩している様子のパパをママが冷たく睨んでいた。パパは後で大変なことになりそうだ。瑞樹はこっそり溜息をつく。
食事を終え、正樹のお母さんお手製のケーキと瑞樹のクッキーでコーヒーを飲み始めたころに、ラークスパーが切り出した。
「私達がこちらへやって来た理由をまだお話していなかったので、今お話ししてもよろしいでしょうか」
ラークスパーの穏やかだが良く通る声に一同はしんと静まった。
「まずは、二年前のことをお詫びしなければなりませんね。日向さんの娘さんを突然あのような形でハルに迎えることになってしまったこと、大変申し訳ありませんでした」
ラークスパーは頭を下げた。日本人のやり方を分析しつくしてきたのだろうと瑞樹は推測する。殺人でも絡んでいない限り、非を認めて謝罪する人間に日本人はとても寛容だ。外国ではそうはいかない。
「あの……一応確認をしておきたいのですが……」
瑞樹の父親が口を開いた。
「瑞樹は二年前の一年間、ハル共和国にいたと言うことなんでしょうかね」
父親は訊きづらそうに言った。
「ええ、そうです」
ラークスパーは穏やかに肯定した。
「だけど、建国したのは一年前ですよね?」
正樹が追及する。
「ええ、その通りです。建国には至っていませんでしたが、その準備段階だったとでも申しましょうか。とても混乱していた状況でした」
「瑞樹は帰って来た当初……その……ハルの宇宙船に拉致されていたと言っていたのですが……」
父親は言いづらそうに言葉を紡いだ。
「うちゅうせん……ですか?」
ラークスパーは宇宙船と言う言葉をいかにも言い慣れてない様子で口にした。
「大型の飛行機でお嬢さんを搬送したのは確かですが……」
少し困ったという様子で苦笑いを浮かべる。それにつられたように、その場の正樹を除く全員が苦笑した。
そんな言い方したら、私の勘違いってことになるじゃないと瑞樹は叫ぼうとしたが、一言も発することができなかった。慌てて何か言葉を発そうとするが、声帯に麻酔をされているかのように声が出ない。ラークスパーが自分の意識に何かしているのだと割とすぐに思いついた。かつてトウキという名のアンドロイドに心理操作をされた経験があった。ハルの宇宙船の中で。
「では、どうしてあのようなことになったのか……説明していただいてもいいですかね」
瑞樹の父親が静かに問いかけた。
「ええ、構いません。事態は、急を要していました。ご両親はご存じだったでしょうが、瑞樹さんの病状は思わしくありませんでした。私たちはたまたま偶然瑞樹さんを見かけたわけですが、実際、驚きました。我々が開発したばかりの医療技術ならば、今であれば助けてあげられることがすぐにわかりましたから」
「それはいつのことを言っているんです?」
正樹が怪訝そうに質問する。
「あの流星群の日ですよ。あなた方は暗闇で、骨肉腫の話をしていましたね」
ラークスパーは穏やかに正樹を見つめた。それは本当の事だったので正樹は黙り込む。
「我々もあそこにいたのですよ。流星群を見るためにね」
ラークスパーは意味ありげに瑞樹を見つめて微笑んだ。
『それも嘘だ! 何故そんな嘘を?』
瑞樹は心の中で叫ぶ。しかし、まるで精神的な猿轡でもかまされているように声にならなかった。
「ハルの政府専用機に瑞樹さんを乗せるためには説明をしている時間がありませんでした。ですから、暗闇に紛れて連れ去ったのです。死んでしまっては取り返しがつきませんから……」
ラークスパーは心痛を堪えているように胸を押さえた。
「そう……だったんですか……」
そう言われては文句の言いようがなかった。瑞樹の両親としては助けてもらったことになるからだ、引き下がるしかない。実際、瑞樹の病状は最悪で、術後の再発率は非常に高く、再発すれば手の施しようがないと告げられていたのは事実だった。
「その治療はどんなものだったんですか? 別人になってしまったように変わってしまって、これは治療として成功だったんですか? 失敗じゃないんですか?」
正樹が不機嫌そうに問い詰める。
「誠に申し訳ないことになったと思っております。これを言ってはただの言い逃れと取られるかもしれませんが……ハルの技術と言っても万能ではありません。我々は神ではないのですから。さらに、これを告げなければならないのは本当に心苦しいことなのですが……」
ラークスパーは言葉に詰まって、額の汗を拭い周りを見回した。
なにアンドロイドが汗かいてるのよう、瑞樹は呆然とするが当然一言も発することができない。
「瑞樹さんの受けた治療は完璧ではなかったのです」
瑞樹の両親はもちろん、そこにいたハル人以外は目を見開いた。隣の正樹ちゃんが驚いて自分を見つめる視線を瑞樹は痛い思いで受け止めた。
「それは……どうなるということですか?」
瑞樹の母親が絞り出すような声で訊いた。
「もう一度、ハルに来ていただいて治療しないと、腫瘍が再発する恐れがあるということがわかったのです」
母親の絶望した真っ青な顔を瑞樹は悲しい気持ちで見つめた。
* * *
[あれ、嘘なんでしょ?]
瑞樹は自分の家に戻ってからアーマルターシュとニシキギを伴って二階の自室に行った。ラークスパーから解放されると、言葉はすんなりと瑞樹の喉を越えて出た。
[どれのこと?]
アーマルターシュは瑞樹のベッドに寝転びながらぬいぐるみのクマをしげしげと見つめた。
[ハルに行って治療受けないと腫瘍が再発するって話よ]
ブラキカム……ハルで瑞樹を診てくれたドクターはもう腫瘍が再発することはないと言っていた。それなりの年齢になればそれなりの病気にはなるだろうがねと笑っていた。
[鈍いあなたにもわかったということは皆にもわかっちゃったかしら?]
アーマルターシュは横目で瑞樹をちらりと見てから小さく笑った。
[何の為?]
瑞樹は二人のハル人を睨みつける。
[あなたにハル共和国に来てもらうためよ]
アーマルターシュはベッドの上に起きあがった。
[だったら、そう言ったらいいじゃない。あんなこと言って、両親がかわいそうだよ。また私、あんな絶望した顔をさせてしまった]
涙が溢れて来る。アーマルターシュは溜息をついた。
[あなたはまだ高校生よ。今からハルに連れて行くということは学校を休ませて、両親と離れ離れにして連れて行くということになるのよ。病気の治療以外の理由であなたを連れて行く方法があるのなら教えてよ]
アーマルターシュは真剣な目で瑞樹を見上げた。
[もう半年待ってくれたら私卒業だよ、それまで待ってもらえないの?]
[待てないのよ]
アーマルターシュはクマをベッドに静かに寝かせた。
[なんで? 何があったの?]
瑞樹は一年間失踪していたせいで一学年遅れていて、今高校三年生だ。来年早々には受験が控えている。
[ハルは今水面下で混迷しているのよ。あなたに力を貸してもらいたいの]
その時突然アーマルターシュの胸ポケットからピーピーという呼音がした。
[トウキだわ。ちょっと失礼]
アーマルターシュは階下に降りて行った。
[トウキも来ているの?]
瑞樹はニシキギに訊いた。ニシキギが頷く。
[そう言えば、ここまでどうやって来たの? 電車に乗って来たの?]
[いや、電車でもよかったんだが今回はシャトルで来た。報道記者がしつこすぎる]
ニシキギはつまらなそうに言った。
[シャトルで来たって、どこの空港に止めたの? 羽田? 成田?]
[いや、ちょっと広い場所があれば離発着可能だ]
[そんな所どこにあった?]
瑞樹は嫌な予感を感じながら訊いた。
[なんとか小学校って看板が上がってる建物の前に広場があったから、そこに停めてある]
[小学校の校庭に停めてあるの? 見つかったら大騒ぎじゃないの!]
着いたのは土曜日の午後だ。確かに小学生はいないかもしれない。でも野球とかサッカーとかの練習で子供たちが使ってなかったのだろうか。
[小学校は誰もいなかった。ステルスシールドをかけてあるから見ただけではわからない。苦情がくればすぐに飛び立てる。その為にトウキを残してきた]
知らずにぶつかる人がいませんようにと瑞樹は心の中で祈る。
[なぁ、あんた、今回の件では、あまり抵抗せずにハルに来てくれないか]
いつになく神妙な感じでニシキギが話しかけてきた。
[これはあんたに話さないでくれとカナメに言われているんだが……]
ニシキギは言葉を途切れさせた。この言葉に瑞樹がどう反応するか見てみたかった。瑞樹は目を僅かに見開いたあとごくりと唾を飲み込んだ。
[なに?]
瑞樹の声は微かに震えている。完璧だ。ニシキギは心の中で呟く。
[イベリスがナンディーで大けがをしたんだ]
[イベリスが? 大丈夫なの?]
[両手首切断だ]
瑞樹は息を呑んで口を押さえた。
[あんたも知っての通りハルの再生医療は進んでいる。部分再生だってお手の物だ。すぐに両手は付けられて回復したが、心の傷はそう易々とは回復しない。しかもイベリスを襲った犯人がまだ見つかっていない。未解決事件なんだ]
[なんてこと……]
瑞樹はショックを隠せない。
[今、イベリスは地球に連れてこられている。ナンディーに置いておくのが心配だったし、カナメもブラキカムも今地球にきているからな。それに実を言うと、これはナンディーで起こった事件だが、我々は、俺とカナメとブラキカムは地球のハル共和国がその原因なんじゃないかと考えている]
[もしかして、それに私が関わって来るの?]
瑞樹の問いにニシキギは頷いた。
[力を貸してほしい]
ニシキギは言った。
[……わかった。私、ハル共和国に行くよ]
瑞樹は唇を噛みしめた。
ニシキギはカナメが言った言葉を思い出していた。
[もし瑞樹がどうしてもハル共和国に行くことを承知しない場合は、最後の手段としてイベリスの事件を話してやってくれ。そして、その話をする前に必ず、僕が瑞樹には話さないでくれと言っていたと告げて欲しいんだ]
[そんなことを言ったら、俺は、話すなと言われていることをべらべらしゃべる人間だってことになるじゃないか]
憮然と言ったニシキギにカナメは苦笑して謝った。
[君には悪い役をやらせて申し訳ないと思ってる。ただ、それを伝えてくれれば、おそらく瑞樹なら自分が危険な立場にいるのだとわかってくれると思うから……]
カナメは辛そうにそう言った。
そしてカナメの言ったとおり、瑞樹はその言葉に反応した。
[なんか面白くないな]
ニシキギはポツリと呟くと階下に降りて行った。
カナメが私には話さないでくれと言った……瑞樹は一人自室に残って、ニシキギの言葉を頭の中で何度も反芻していた。