番外編 ソーマ幻想(2)
『これでよし』
瑞樹カナメは、グレイプニルでニシキギの両手首と診療室の窓際の手すりを結びつけた。
「これでいいの?なんだかアヤシイ状態だね~」
『……』
「……」
薄笑いしながら呟く瑞樹に、二人の男たちは一瞬言葉を失う。
「んで、私がこれをニシキギに飲ませればいい訳だね?」
小さな容器の蓋をキュポンと外す。
「……おい、ちょっと待て、全部飲ますつもりか?」
「ん?全部飲まないの?」
『瑞樹、スプーン一杯くらいにしておいた方がいい。彼の為にも、君の為にも……』
カナメが動揺の色をにじませて助言する。
「スプーン一杯ね」
モルオーブンから取り出したスプーンに白いトロリとした液体を注ぐ。
「あ、少しこぼしちゃったー。拭かなきゃー」
白い滴が、二、三滴床に零れてしまった。
『そんなのほっとけば?』
カナメが言うので、瑞樹はスプーンの中の液体をさっさとニシキギの口に投入した。
「うっ、おい、心の準備ができてないのにさっさと入れるなよ!」
突然の投入に、うっかりゴクッリと飲み込んだニシキギは、目を白黒させながら瑞樹に文句を言った。
「だって、なみなみ入っちゃってて、もっと零しちゃいそうだったから……で?気分は?」
瑞樹が興味津津な顔で問いかける。
「……」
『瑞樹、ニシキギから離れていた方がいい』
カナメが用心深げに言った。
「……もう、一スプーンくれ。よく分からん」
「へ?」
『え?』
その後、更に追加して霊薬ソーマをニシキギに投入したが、彼に何かが起こった様子はなかった。
『成程、やはり君は森の民なんだ。対の力……ハルが言っていたのはこの事だ。おそらく君の力がソーマの力を打ち消してしまうんだろう』
カナメの言葉に、グレイプニルを外してもらったニシキギは、つまらなさそうに鼻を鳴らした。
「森の民ならば、森の民の力が使えるようになるはずだろ?力は使えず、理性の箍も外れず……なんだかすごくつまらん」
ニシキギは文句を並べ立てた。
『まぁ、いいじゃないか、理性の箍が外れないということは大事なことだ。そういう意味では、君の方が僕よりもずっと優れていると言えるだろう?』
「……あんた理性の箍が外れて、何をしたんだよ。教えろよ」
八つ当たりのようにニシキギはカナメにいちゃもんをつける。
『……じゃあ、僕はそろそろ戻ろうかな』
「えー、カナメ理性の箍が外れたことがあるの?いついつ?ディムは知らないの?」
瑞樹の発言に、カナメがざっと引いた気配がした。
「あり?私言っちゃいけないこと言った?」
「ディムは知ってるんだな?」
ニシキギの目が細められる。
『いや、知らない……知らないはずだ……たぶん』
更に追求するニシキギと、はぐらかすカナメの会話を聞きながら、瑞樹は考えていた。この霊薬ソーマを今の私が飲んだらどうなるんだろう。一度、死にかけていた時に飲んで命拾いしたらしいんだけど、その時のことはあまりよく覚えていない。しかも元気な時には飲んだことがない。
瑞樹は容器の底に少しばかり残っていた霊薬ソーマを口に入れた。
「おい、瑞樹?」
『瑞樹、何やってるんだ?』
今の今まで瑞樹カナメを追求して会話をしていたと思ったら、突然霊薬ソーマを口に運んだ瑞樹にニシキギがあっけにとられ、カナメは動揺する。
「元気な私が飲んだらどうなるかと思って……」
『……』
「おい、大丈夫なのか?」
ニシキギの声に反応したかのように、瑞樹は突然口を押さえて蹲った。
「ううっ」
「おい、瑞樹、しっかりしろ」
ニシキギが慌てて瑞樹を抱きかかえる。
そのころ、瑞樹の頭の中ではカナメの声が響いていた。
『あーあ、ほどほどにしないと知らないよ?まぁ、とりあえず僕は退散するよ。さっさと謝って、彼を犯罪者にしないように気をつけるんだね』
そう言って、カナメは意識を遮断した。へ?犯罪者にする?なんのこと?
ふと見上げると、ニシキギが蒼白な顔で瑞樹を抱きかかえて、背中をさすっていた。
ありゃ、演技が過ぎたかな?
「なんちゃって~」
ニシキギの青い瞳を覗き込んで、二パッと笑う。あっけにとられたニシキギの顔が凍りつく。ありゃりゃ、こりゃ怒られるかも。犯罪者になるほど怒る?まさか……。
どんっ!
壁を破壊したいのかと思うほどの勢いで、ニシキギは両手で壁を叩いた。壁とニシキギの間に挟まれて、瑞樹は蒼白になっていた。や、やり過ぎたらしい。
「……瑞樹、俺がどれだけ心配したのか、おまえ分かってるのか?」
「ひっ」
こ、声が一オクターブほど低いのは気のせい?気のせいだよね?
「悪い……悪い子だ、おまえは……」
そのまま腕の中に閉じ込められて、深く口づけられる。口づけはだんだん深くなり、荒くなり、首筋を唇が這う。
「や、やめ……」
だんだん怖くなるのに……だけど、だんだん体は熱くなる。何か訳の分からない熱い固まりが体の中心から這い上ってくるようで、その甘やかな恐怖に瑞樹は泣き出した。
「やだ、だやよ、ニシキギやめて。ごめんなさい。ごめんなさい」
瑞樹の言葉にはっとしたように、ニシキギが動作を止めた。そのまま瑞樹を強く抱きしめる。
「おまえのお陰で、俺、犯罪者になりそうだ。そう言えばカナメは?まだいるんだろうな?」
ニシキギは弱弱しく問いかける。瑞樹は首を横に振った。
「カナメは、演技を始めた頃にいなくなっちゃった。ニシキギを犯罪者にしないようにって言い残して……」
何のことだろう、二人して犯罪者、犯罪者って……。
瑞樹は呆然としていた。惑星ハルは地球とは違うのだと改めて実感させられる。惑星ハルでのハル連邦でも、地球のハル共和国でも、変わらないシステムというものは実は多々存在する。その内の婚姻に関する法律。
ハル共和国では、婚姻関係にない男女の性交渉は違法とされるのだ。これは、狭い地下都市で人口管理をする必要があった為と、エクソダス計画の為に優秀な遺伝子を残そうと画策したハル政府の思惑によって制定されたものだった。そして、その法律はそのままハル共和国にも引き継がれていた。そんな法律があったら、日本……いや、地球上の多くの国で、犯罪者続出になるんじゃないだろうか。瑞樹は言葉を失った。
言葉を失ったのはニシキギも同様らしく、そんな無法な状態で、人口管理や遺伝子管理はどうしているのかと唖然とする。
「そんなの誰も管理してないよー。か、管理なんてされたくないし~」
「なんて無秩序な世界なんだ……おい、ディモルフォセカの記憶にその法律に関する記憶はないのか?」
「自分の記憶だって曖昧な所があるのに、そんなの分かんないよぉ」
間に横たわるふかーい溝の存在に、ため息をつく二人だった。
『宇宙人め』
心の中で舌打ちしながら、お互いをこう呼んでいたことは二人とも知らない。
こうして、結局、霊薬ソーマの賞味期限も消費期限も品質保持期限も分からないまま、霊薬ソーマ騒動は幕を閉じたのだった。
おまけ
しん、と静まった診察室。床に落ちた小さな白い滴の中から、ぬっと黄緑色の丸っこいものが姿を現した。黄緑色の丸は、少しオドオドした様子で辺りを見渡し、誰もいないことが分かると、ゴロンと転がり、隣に零れていた滴をペロペロと舐めとった。更にゴロンと転がり、その隣の滴も舐めとると、プルプル体を震わせた。やがて、ピコン、ピコンと二つの足が出てきて、ぴょんぴょんと飛び跳ね始め、開いた窓から逃げて言った。ソレがどこへ行ったのか、誰も知らない。
読んでくださってありがとうございました。ハル連邦のシステムを軽く触れておこうかな~と思って書いてみた小品です。(やめておけば良かったかもしれない……汗)何が幻想だったのか……それは作者さえ知らない。
(限りなく)意味不明な番外編、(たぶん)まだ続きます。coming soon^^;