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第十三話 海の宝玉 蒼穹の欠片(3)

 ネモフィラは病室のベッドの上で、最近編集されたばかりの地球の自然アルバム映像をぽんやり見つめていた。何を見ても、何を聞いても頭に入ってこない。

 惑星ハルのアール・ダー村を出たこと……それが間違いだったのだと、そうとしか考えることができない。すべてが悪い夢……すべてが罰なのだと。

 ノックの音がした。黙っていると、再び躊躇(ためら)いがちなノックの音がする。ブラキカムや看護師のセンナなら返事がなくても入ってくるはずだった。

「……はい」

 ネモフィラは小さな声で返事をする。声を出したのが久しぶりなので、自分の声ではないような気がする。

 入って来た人を見て、ネモフィラは目を見張った。

「あの……は、はじめまして、あの、私……」

 鮮やかな翠色(みどりいろ)の瞳が、キョトキョトと室内を見回した。

「ミズキ・ヒュウガさんですね?」

 ネモフィラはやっとどうにか、小さく微笑むことに成功した。彼女はディモルフォセカではない、何度も自分に言い聞かせてきたことが、功を奏したらしい。

「あの……今、大丈夫ですか?もし、不都合なら出直しますけど……」

 相手の都合を優先しようとする彼女の態度に心の痛みが増す。ディモルフォセカもこう言う人だった。

 嫌だ……この人はあの子に似ている。自分の嫌なところが浮き彫りになる。

「構わないわ。入ってください」

 少し棘のある言い方だったかもしれない。だけどその人は、気にする様子はなく、小さく微笑むと部屋に入ってベッドの脇に立った。

「お見舞いに、果物を持ってきたんですよ。良かったら……」

 その人は、赤く熟れたポモナの実をサイドテーブルに三つ並べた。

「あなたは……地球人なのに森の民の力をお持ちだそうですね」

「ええ、そうみたいです」

 その人は恥ずかしそうに笑った。

「羨ましいわ。私は森の民なのに……今は何の力もなくて……何の役にも立たなくて……」

「……やっぱり、あなたも森の民の力を使えるようになりたい?」

 そう言って、その人は屈託(くったく)なく笑むと、何の躊躇(ためら)いもなく私の手を取った。私は瞠目して硬直する。

「これで使えると思うんだけど。そだ、ポモナの種で試してみようか?あ、でもまず実を食べなきゃだね」

 その人はポモナの実を一つ手に取ると、私に差し出した。

「……どうして、あなたはどうして、私に親切にするの?会ったばかりなのよ?あなたを誘拐して利用しようとした森の民の仲間だったのよ?あなたは嫌いな人にも優しくする偽善者?」

 気づいたら、私はその地球人にひどい言葉をぶつけていた。

「そだね。偽善者なのかもしれない。私は、怖くて仕方がないんだと思う」

 私が受け取らなかったポモナの実を掌で撫でながら、その人は言った。

「怖い?何が?」

「……あなたが」

 翠色の瞳に射抜かれたようで、私は身を竦めた。


 その人から聞いた話はとても信じられないことだった。彼女が見かけだけでなく、ディモルフォセカの記憶も持っているなんて……

「アール・ダー村のことも知ってるの?」

「うん。ディムが知ってることなら、たぶん全部。あ、でも、忘れていることもあるけど……」

「……私とシーカスのことも?」

「うん」

「シーカスとディモルフォセカの結婚のことも?」

「……うん」

「……嘘でしょ?」

「わざわざ嘘をつくために、あなたに会いに来ないよ?」

 それはもっともな意見だった。私は緩々(ゆるゆる)と事情を認識する。

「じゃあ、教えてよ。ディモルフォセカは私への当てつけで逃げたんでしょ?シーカスの気を引きたくて事件を起こしたんでしょ?」

 私の不躾(ぶしつけ)な質問にその人は、少し絶句したようだった。

「……ネモフィラは、そんな風に考えちゃったんだね……」

 その人はそう言って、沈黙した。

 私は自分の中で、ディモルフォセカを責める言葉が泉のように湧きあがるのを感じて、息がつまりそうだった。この人は記憶を持っているだけだ、ディモルフォセカではない、そう何度も言い聞かせても無駄だった。湧き上がる言葉が今にも噴きだしそうだ。

 しかし、その言葉を押しとどめたのは、その人の言葉だった。

「……辛かったよね。ネモフィラはずっと……辛かったんだね。ごめんね。ごめんなさい……」

 その人はそう言って涙を(こぼ)した。

「なぜ?なぜ、あなたが謝るの?あなたはディモルフォセカじゃないんでしょう?」

「でも、一つだけ言い訳をさせて?ディモルフォセカは、あなたとシーカスの幸せを願ってた。二人の間に割り込んじゃいけないって……そう考えてた。それだけは、信じてあげて?

確かに彼女のやり方は、配慮が足らなさ過ぎたんだと思う。あなたやシーカスの幸せを願っての行動だったはずなのに、こんなに苦しめていたなんて、彼女は知らなかったんだよ」

「……そんなことまで知ってるの?」

 私は混乱する。そんな言葉を期待していた訳じゃない。私はただ、ただ……

「……」

「あなた、ディモルフォセカなんでしょ?だから、そんなこと言えるのよ!」

「それは違う」

「違わないわ!あなたは地球人のふりをしているだけなんでしょ?別人のふりをして、自分の過ちを(ゆる)してもらおうとしているんだわ!」

「違う……」

「嘘つき!」

「嘘じゃない!私はディモルフォセカじゃないよ!その証拠に、私はあなたにニシキギを諦めてほしいって言われても、たぶんできない!」

「え?」

「……ディモルフォセカにはできたことが、私にはできないよ。私はディモルフォセカじゃない……」

「あなた……」

「私は、地球人の日向瑞樹。自分本位な人間なんだよ……」

 その人は、まるで叱られたみたいに項垂(うなだ)れた。

 私は、自分を拘束していた鎖の鍵が解錠された音を聞いた。 私はただ、自分の犯した過ちを正当化しようとしていただけなのだ。でも、それは間違ってる。

 あの時、ハルで私がしなければならなかったのは、シーカスを信じること、シーカスを愛し続けること……それだけだったのだ。それを、私は心のどこかで分かっていて……ずっと後悔していた。

 だからシーカスに似ているニシキギに、あんな風に拘泥(こうでい)してしまっていたのだ。そんなことをしても何一つ解決するものがないことも、自分の行動を正当化することさえできないことも、分かっていたのに……

 自分を縛りつけていたのは自分だったのだと気付く。涙がひっそりと流れて落ちた。


「……私は、ネモフィラ・メンジーシー、惑星ハルから来た森の民よ。私もひどく自分本位な人間だわ。それに、誤解のないように言っておくけど、私が愛しているのはシーカスであって、彼のお兄さんではないわ」

 私は手を差し出した。その人は戸惑った表情で手を差し出した。

「握手じゃないわ。もうさっきしたでしょ?ポモナを頂戴」

 その人は一瞬ポカンとした様子だったが、やがて破顔して、紅く熟れたポモナの実を私の掌に載せた。




*   *   *



「みーずーきー、誰が一人でネモフィラに会いに行っていいと言ったんだ! 」

 次の日、エリアEへ行く途中で捕まった瑞樹は、ニシキギにこっぴどく叱られた。拳骨(げんこつ)で頭を挟まれてグリグリされる。

「いたたた。だ、だって、一人で会っちゃいけないって言われてなかったしぃ」

「あいつは森の民なんだ。迂闊(うかつ)に接触してエニシダの時みたいに崩壊でもしたらどうするつもりだったんだ?」

「そんときは、ニシキギを呼ぶよー」

「俺が近くにいなかったらどうするんだ?」

「えーっと……」

「何も考えていなかったってことだろう?」

「だって、ナンディーの中にいるんだもん、そんなに遠くに離れないでしょ?」

「急用でアグニシティに行くってこともあるんだぞ。大体お前は迂闊(うかつ)すぎるんだ。軽率だ。もう地球に帰るまで自分の部屋で反省してろ」

「ええー、それはひどいよ。今日はこれからミントの所に行く予定だし。明日はナンディーでもファームの民と森の民の交流会を開くから出席して欲しいってセージが言ってるし……」

「そして、その森の民と握手することになって、崩壊だ」

「そんなにたびたび崩壊するわけないじゃん。エニシダのはたまたまだよ。たまたま。それに万が一のことがあっても、ニシキギ、明日はエリアGにいるでしょ?カナメに確認しちゃったもんね」

「……」

「崩壊し始めたら、エリアGまで走ってくよ」

「……」

「あり?ニシキギ、人の話はちゃんと聞いてる?」

「……おまえ、今度崩壊しかけて、俺ん所に来たら、キスぐらいじゃ済まないからな。覚悟しておけよ」

「へ?」

 そう言い捨てると、ニシキギはエリアGへ行ってしまった。一人残された瑞樹が、ポモナの実のように真っ赤になっていたのは言うまでもない。



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