第十三話 海の宝玉 蒼穹の欠片(2)
ニシキギがディモルフォセカに負目を感じさせてしまうくだりは、「宙の船〜」第十五話 奈落の底の記憶に記載してあります。よろしかったらそちらを読んでみてくださいませ〜(^^ゞ 招夏
思うに……他人の中にある自分のイメージ程、見たくないものはないと思う。瑞樹は一人盛大な溜息をついた。
悪気なんて、これっぽっちもなかったのだ。悪い所があったとしたならば、寝ぼけていた……それだけだ。
カナメは、あの後、繋がってしまった瑞樹と自分の意識の間にシールドを施すべく、様々な訓練を瑞樹に課した。カナメ側のシールドだけでなく、瑞樹側にもシールドを築かなければならないのだが、問題は瑞樹の側にあった。
心をシールドする、それだけのことだとカナメは言うのだが、それだけのことが瑞樹にとってはどれほど難しいことなのか。瑞樹は泣き崩れる。
例えて言うならば、ハリー・○ッターが訓練させられていた「閉心術」のようなものなのだけど、ハリーよりも分が悪いのは、カナメがス○イプ先生と違って、虐められっ子ではなかったというところかもしれない。カナメには弱みらしい弱みがなく、逆に瑞樹は弱みだらけだった。
「ほら、僕に心を覗かれたくなければ、シールドして」
ス○イプ先生は……もとい、カナメは怖い顔でそう言った。
疲れ果てて眠り込むと、よくハルのハデスの夢を見た。無意識のうちに、カナメの意識の中に入り込んで行ってしまうらしい。何度も注意されるのだが、寝ている間にどうやってコントロールすればいいのか、皆目分からない。
その日も疲れ果てて眠りこみ、カナメの意識の境界線を越えてしまいそうになったらしい。しかし、そこには、もう一人の自分が立ちはだかっていた。
『ここから先は、カナメの領域だよ』
もう一人の自分は、そう言った。しゃべり方や、仕草や、声の調子が、自分がイメージしている自分と違って見える。カナメからはこんな風に見えているのか、それともカナメディフォルメがかけられているのか分からなかったが、他人の目を通した自分を見ることは、随分嫌な気分になるもので、夢の中でありながら、瑞樹はスゴスゴと退散した。
それに気を良くしたカナメは、境界線にこれに似た仕掛けをたくさん用意したのだった。
以上の諸々の作業で、シールドは順調に進み、よほどのことがない限り、お互いに干渉しなくなっていった。
* * *
「!」
瑞樹が僕の姿を見るなり、脱兎の如く逃げ出したのが見えた。僕は肩を竦める。
「瑞樹が来なかったか?」
ニシキギはエリアGの奥から出てきたので、さっきの瑞樹には気づかなかったらしい。
「今、逃げた」
「逃げた?」
「うん。僕の顔を見て逃げた」
「……なんでだ?」
「意識レベルが微妙にずれていたんだ。瑞樹が逃げなかったら僕が逃げてるところだ」
「はぁ?」
ニシキギは訳が分からないという表情をした。無理もない。
シールドの構築は順調に進んでいて、お互いの意識が干渉することは少なくなっていた。
相手が何を考えているのかは、ほぼ分からなくなっているのだが、接近した時に、相手の意識レベルと自分の意識レベルが均衡を保とうとするらしい。
具体的にいえば、相手が悲しい気分の時に自分も悲しければ何の違和感も生じないのだ。
逆に自分が怒っている時に、瑞樹が嬉しい気分……つまり正反対の時もあまり違和感はない。
一番問題なのは、微妙にずれている時だ。今のように。
今日、カナメはフローティングシティ基底部の基盤となる新素材がうまく行きそうなことに気を良くしていた。後もう少しだ。少し気分転換をしようと思ってエリアGを出ようとしたところだった。
一方、瑞樹はニシキギと約束があったらしい。ニシキギに会えるのは嬉しいらしかったが、約束の内容に少し不安があったのだろう、不安定な気分だったようだ。お互いの意識レベルが微妙にずれていた。
微妙にずれている時に接近してしまうと、なんとも言われない不快感が走るのだ。ぐりっと軟骨がずれるような……合わないパズルのピースを無理やりはめ込むような……錆びついた金属の扉が閉まる時の擦れ合う音のような、独特の不快感。
「で、瑞樹はどこに行ったんだ?」
「さぁ」
「さぁって……」
ニシキギは困惑する。
「今日は何の約束をしていたんだ?」
「ネモフィラに会いに行く予定なんだ」
「……」
「もちろんブラキカムも立ち会う。瑞樹が動揺するようなら、すぐに退出させる」
「ネモフィラは瑞樹に会うことを了解しているのか?」
ネモフィラはディモルフォセカのことを良く思っていないはずだ。ディムの外見をもつ瑞樹を襲おうとしたのは、つい最近のことだ。大丈夫なんだろうか。まるで自分のことのように不安が広がる。
「もちろんだ。彼女が会いたがった。瑞樹に事情を話したら、力を貸すと言ってくれた」
「そうか……ブラキカムは瑞樹のことを、瑞樹の中のディムの記憶のことを知っているのか?」
「あんたの了解も貰わずに、悪いとは思ったんだが、俺が知らせた」
「そうか……いや、ならいいんだ。ディムは…君の弟とのことで、随分心を痛めていたようだったから。その記憶を持つ瑞樹も、そしてネモフィラにしても、お互いに辛いんじゃないかと思ったんだ」
「そうだろうな」
ニシキギは否定しなかった。
* * *
お互い辛い出会いになるのかもしれない。ニシキギも考えなかった訳ではない。それでも、少しでも二人の間のわだかまりが和らぐ可能性があるのなら、試してみる価値はあると思っている。
ニシキギはディモルフォセカがネモフィラに対して負い目を感じていたことを知っていた。そうさせてしまったのは自分だという自覚もある。その想いを、瑞樹がそのまま引き継いでしまっているのなら、なんとかしてやりたいという気持ちがあった。
決して無駄にはならないはずだ、ニシキギはそう判断した。
瑞樹はドアの前で佇んでいた。この中にネモフィラがいる。シーカスの恋人だったネモフィラ……
ディモルフォセカとシーカスの結婚が決められてからは、目も合わせてくれなかったことを瑞樹は知っている。やはりディモルフォセカのことを嫌っているんだろうな……。
協力すると言っておきながら、怖気づいている自分に苦笑する。 瑞樹がディモルフォセカの記憶を持っていることを、ネモフィラは知らされていないとニシキギから聞いている。
彼女は瑞樹のことを、単にディモルフォセカに似ている地球人の日向瑞樹だと思うことだろう。でも……
「どうした?やめておくか?」
ニシキギが気遣うように顔を覗き込んでくる。
「……やめたら、ネモフィラは気を悪くするよね?」
「それはないだろう。今日お前が来ることは知らせていない」
「え?そうなの?」
「ああ。だから無理をすることはないんだ」
「……まだ心の準備ができていない気がするよ。少し、待ってもらってもいい?」
「ああ、構わない。カフェテリアにでも行くか?」
「……うん、ごめん……」
「謝るな」
ニシキギは瑞樹の頭をぐりぐりっと撫でると歩きだした。瑞樹はその後をとぼとぼと追う。
「ネモフィラは、私のこと……きっと、嫌いだよね」
昼下がりのカフェテリアは人がまばらに入っていて、程よくざわついていた。ポモナ・ソーダの泡が一つ、また一つとグラスを離れて浮かび上がっていくのをぼんやり見つめながら、瑞樹は呟いた。
「この前も言ったが、お前は日向瑞樹だ。ディモルフォセカではない。もし、そこを分けて考えられないようなら、お前はネモフィラには会わない方がいい。俺はお前に無理をさせるつもりはない。何度も言うようだが……」
瑞樹はアール・ダー村でのディモルフォセカの記憶を思い出す。
夕刻のジタンが、空を薄紫色に染める美しい夕べのアール・ダー村の森で、二つの影が寄り添っていた。
『いよいよ明日なのね……』
声の主はネモフィラだ。細く透きとおった……震える声。
『……]
『やっぱり嫌、シーカス、私……耐えられそうにない』
『ネモフィラ、僕は……ずっと君のことを……愛しているよ』
シーカスの深い声が聞こえる。
美しく、悲しい……壊してはいけない、壊すことなんかできない。そんな二人を木陰から見つめている自分。ちがう、見つめているのはディモルフォセカだ。ふと、我にかえった。
「うう……」
瑞樹はパシリと胸のあたりを手で押さえると、呻いた。
「おいっ、どうした?」
ニシキギが慌てる。
「ちがう……」
ディモルフォセカはあの二人を見て、綺麗だと思えたのだ、壊してはならないと考えて、逃亡したのだ。なのに。私は……
「違う?」
「私はディモルフォセカと違う。私なら、私だったら……」
もしネモフィラに彼を諦めて欲しいと言われたら、私は……
気づいたら、隣に座るニシキギの胸を頭突いていた。涙が零れ落ちる。
「最初からお前とディモルフォセカは違うと言っているだろう?しかも、なんで頭突きながら泣く?」
ニシキギは困惑しながら、瑞樹を抱き寄せて背中をさすった。
「今日は、もうこのまま部屋に戻ろう、な」
「私は……最低だ……」
「瑞樹、もういい。ネモフィラのことは忘れろ。もう直、地球へ帰るんだ。このままにしておいたって何も問題はない」
瑞樹は、自分の涙の本当の理由を知ることができないニシキギに安堵する。知られてしまったら……こんな心の狭い、自分本位な自分を知られてしまったら、ニシキギは私のことを嫌いになるだろうか。瑞樹は不安で、いてもたってもいられなくなるのだった。
瑞樹は一人自室にいた。ベッドの上にはクマ太がちょこんと寝転んでいる。地球のハル共和国に置いていた瑞樹の荷物は、すべてニシキギがまとめて持ってきてくれていた。
濃い茶色の毛をフカフカと撫でてみる。
イベリスとエニシダは一足先に地球へ戻った。第二エリアEが心配なのだと言っていた。
森の民は長老を失って、これからが大変な時なのかもしれない。
アドニスは刑罰として再生停止の刑を受けている。今回アドニスの計画に加担した森の民は、瑞樹の証言も考慮されて、全員刑の執行を猶予された。猶予の条件は、彼らがアドニスなしで森の民の規律を立て直すことだ。アドニスの再生は彼らの再建が条件になっており、しかし、アドニスは再生されても長老になる権利は剥奪されるらしい。
ヌンは未だ逃亡中で、事情聴取しなければ法的に判じることはできないが、アドニスよりも重い刑になることは確定のようだ。
ミントの赤ちゃんは、男の子で、タンジーという名前だ。ミント似のクリクリッとした茶色の瞳が愛らしい。そして、驚いたことに彼は緑色の髪の毛を持っていた。ファームの民の長老カシと同じだ。カシはほぼ白髪になってしまっているので、深緑色の髪の毛をしたファームの民を見たのは初めてだった。ミントは霊薬ソーマのお蔭なのか、とても元気だ。
今のところ、瑞樹の気がかりは二つ。ネモフィラのことと、セルシスのこと。セルシスは勾留されていて何度か面会に言ったが、ろくに口もきいてもらえなかった。原因は分かっている。自分が……ネモフィラとの面会以上に怖気づいていたからだ。
せっかく巡り合った兄弟なのだ。何とかしたかった。でも何ともできないまま、正樹からも、ブラキカムからも、カナメからさえもストップをかけられてしまった。
瑞樹は頭を抱え込んで大きな溜息をついた。
強くなりたい。心からそう思う。