第十二話 時空の狭間で(2)
今回は「宙の船 流転の岸」を読んでいらっしゃらない方には馴染みのないキャラがぽんと出てきてしまっています。惑星ハルの化身とは何か、何故瑞樹はハルを探していたのか…は前作を読んでいただくと分かると思います。こんな説明しかできなくてごめんなさい。 招夏
カナメは、砂の上に大の字に寝転んで途方に暮れていた。さっきまでめちゃくちゃに走り回って瑞樹を探していたが、見つかるのは怪しげな落としものばかり。生きた人間どころか、生き物の気配さえそこにはなかった。
ばたりと倒れて息を弾ませていると、遠くからリズミカルにザクザクと砂を踏みしめる音が聞こえてきた。はっとしてカナメは体を起こす。
その人は、旅人のような格好をしていた。キャメル色のたっぷりとしたマントを着て、フードを目深にかぶって、歩きやすそうな同系色のブーツを履いている。カナメに気づくと、その人は顔を上げた。吸い込まれるような青い瞳がカナメを見つめる。
「あのっ!」
カナメは弾かれたように話しかける。
「女の子を見ませんでしたか?茶色の髪で緑色の瞳をした、瑞樹っていう名前の女の子なんだけど」
「さあ、どうだったかな」
その人の声は深く、洞窟の中で話しているように響いて聞こえた。その声にカナメは聞き覚えがあった。どこかで……聞いたことがある。
「ここは、どこですか?」
もっと声が聞きたくて、カナメは更に話しかけた。
「ここは、時間のない場所、空間のない場所、すべての始まりの場所だ」
カナメははっとして、その人を見つめる。
「ハル?ハルだよ……ね」
懐かしい、惑星ハルの化身。
「久しぶりだね、カナメ。君はどうしてこんなところにいるんだい?」
ハルは顔を綻ばせた。
「瑞樹を捜してるんだ。瑞樹を見なかった?」
カナメの問いかけに、ハルは小さく笑って答えない。
「君は、約束通り、瑞樹を元に戻してくれたんだね。ディモルフォセカを諦めて……」
かつて瑞樹にディモルフォセカの人格が宿った時、カナメはディモルフォセカを諦めて瑞樹に戻すことをハルと約束した。カナメは、ディモルフォセカの意志を尊重した、結果、瑞樹は元に戻ることができた訳だが、カナメは最後まで決断できなかったのだ。カナメは項垂れる。
「……それでも君は瑞樹を元に戻してくれた。感謝しているよ」
カナメの心を見透かすように、ハルは続けた。
「ただ、少々戻すのが遅かったのは事実なんだ。だから瑞樹は、こちら側へ続くあの扉を出現させてしまった」
「……僕のせいで、こんなことになったのか?」
カナメは瞠目する。
「もちろん、普通に暮らしていれば、こんなことにはならなかっただろうよ。また何か厄介なことに巻き込まれたんだろ?チビはいつもこうだからな」
ハルは肩を竦める。ハルは瑞樹のことをいつもチビと呼んでいた。
「瑞樹を向こうに連れて帰りたいんだ。力を貸してはもらえないだろうか」
「……それは難しいな」
ハルは苦笑する。その時、ハルのマントの裾から小さな子供が現れた。
「ハル?」
稚い声でハルを呼び、不安そうに見上げた瞳は、海のような、エメラルドのような、暗黒のような不思議な色をしていた。ブラックオパールの瞳。
「出てきちゃダメだって言っただろ?」
ハルはその小さな子を軽く睨みつけた。
「だって……ずっと、止まったままだから飽きちゃったよ?早く行こうよう」
そう言った後、その子はカナメに気づき、少し後ずさってハルにしがみついた。
「この子は?」
カナメはハルに尋ねた。
「ちっちゃくて、かわいいだろ?星の子だ。生まれたばかりなんだよ。ほら、ご挨拶は?」
ハルは星の子に囁いた。
「こんにちは」
星の子は、はにかみながらカナメを見上げた。
「こんにちは」
カナメはしゃがみこんで小さな子の視線に合わせる。
「お名前は?」
「名前?」
その子は驚いたようにハルを見上げた。
「私、名前は?」
「まだないな」
ハルは苦笑する。
「ないの?ハルはお名前あるのに?」
「僕は付けてもらったんだ。君はまだ付けてもらってないだろ?」
「私、まだ名前がないの。だから答えられないの、ごめんね?」
星の子は少し首を傾げてカナメを覗き込んで、申し訳なさそうに謝った。
それはただの直感だった、何の根拠もない。カナメは微笑んで話しかける。
「……君の名前を教えてあげるようか?」
カナメは一呼吸おいて星の子を見つめた。星の子は不思議そうな顔でカナメを見つめ返す。
「君の名前は……日向瑞樹だ」
カナメは視線をハルに向ける。
「この子は瑞樹なんだ。そうなんだろ?」
カナメの言葉にハルの笑みが深くなる。
「君には、ばれちゃうだろうと思ってたよ」
ハルはクスクス笑い出した。
日向瑞樹と呼ばれた星の子は、次の瞬間、むくむくと身長が伸びて、栗色の髪が伸びて、手足が伸びて……やがて、深い森のような翠の瞳の……元の瑞樹に戻った。
「カナメ?」
瑞樹は呆然とカナメを見上げた。
「ここどこ?ハル?」
瑞樹は傍らのハルを見つけて驚く。
「瑞樹、久し振りだね。君がこんなところにいて、本当は僕の方がずっと驚いたんだよ?このまま連れて行こうかと思ったんだけど……君はまだあっちでやることが山積みみたいだね……相変わらず」
ハルは小さく笑んだ。
「ハル……会いたかったよ。ずっと捜したんだよ?」
瑞樹はハルにしがみつく。
「僕もチビに会いたかったよ」
ハルは瑞樹の頭を撫でた。
「でも、そんなにゆっくりしてられないよ。ニシキギがそろそろ限界だ。扉が閉まるのはもう間もなくだ。閉まってしまえば、君たちはここから出られなくなる」
「ニシキギが……」
瑞樹は目を見開く。
「チビは、どうやら対の力に巡り合えたようだね」
ハルは小さく笑んだ。
「対の力?」
カナメがハルの言葉に反応する。
「そう。僕がアイリスに力を与えた時に、同時に生まれた対の力だ。この現世では、肝心なものは常に対になっているって言うだろ?光と闇のように、プラスとマイナスのように、男と女のように……。でも、これが同時に同じ場所にそろったのを、僕は初めて見ることができたよ。楽しいね。これだからやめられない」
ハルは屈託なくクスクスと笑った。カナメも瑞樹も、あっけにとられた表情でハルを見つめる。
「さて、ばれちゃしかたがないから、道を造ってやるか。しょうがないな」
ハルは腰に携帯していた杖を取り出すと、地面を強く一突きした。軽い衝撃とともに、そこには真っ黒な穴が現れた。
「ここから帰るしかないんだ。ただ、ちょっと問題があって……」
ハルは言い淀む。
「問題?」
カナメはハルを見つめる。
「このトンネルは完全体しか通れないんだ。試しに、君一人でその穴に入ってごらん?」
カナメは真っ黒な穴の上に立つが、まるで黒い円の上に立っているようだ。
「入れないだろ?そのトンネルに入るには、僕のような完全体になる必要があるんだ」
「完全体って……」
「僕は僕一人で完結している。男でもなく女でもなく、男でもあり女でもある」
「それは、つまり……」
「君たちは幸い対になってる。その上に二人で入ればいいだけなんだけど……」
「けど?」
「どうなるかは僕も分からない。どこかが接合しちゃうかもしれないし、どうもならないかもしれない」
「……」
瑞樹の不安そうな顔がカナメの視線とぶつかる。
「ここから帰るしかないんだね?」
カナメの言葉にハルは重々しく頷いた。
「瑞樹、行こう。ニシキギが待ってる。みんな待ってる」
カナメの言葉に瑞樹はニシキギの言葉を思い出す。
『みんな、お前に戻ってきてもらいたいんだ……覚えておけよ』
無性にニシキギに会いたかった。ニシキギの憎まれ口でも、嫌みでも何でもいいから、声を聞きたかった。切ない思いに捕われながら、瑞樹は小さく頷いた。
「どこか一か所触れていれば大丈夫だから」
ハルは言った。
「瑞樹、手をつなごう。利き手じゃない方で」
カナメは左手を出す。手ぐらいなら接合してもブラキカムが何とかしてくれるだろうと踏んだのだ。
「私も右利きだから……」
左手を出す瑞樹に、ハルが口を出した。
「君は左利きだよ。左手は大事にしてほしいな」
瑞樹は驚いてハルを見つめる。そして納得する。
だからなのか……右手でエニシダに触れたにもかかわらず、崩壊を始めたのは左手だった。左手はハルに繋がっている。そんな気が、瑞樹にはした。
瑞樹は頷いて右手を差し出した。手を繋いでカナメと瑞樹は黒い穴の上に立つ。その瞬間、二人は穴の中に吸い込まれていった。