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第十二話 時空の狭間で(1)

「なんだ?この扉は……」

 ニシキギの背後で、カナメの声がした。

「あんたにも見えるのか?」

 ニシキギは(すが)るような目でカナメを見つめた。

「君に大脳コンタクトを付けさせてもらったよ。僕らにはさっぱり見えないんだ。あれ?ドアにも触れられないな、僕には……」

 カナメが掴もうとするが、するりと抜けて掴めない。カナメはドアの向こうを覗き込んだ。

「瑞樹はあっちに行っちゃったのか?」

 ニシキギは項垂(うなだ)れた。

「君、そのドアをもうしばらく開けておいてもらえるかな」

「どうする気だ?」

「行ってくる。もし、戻ってこれなかったら……その時は、勘弁してくれ」

「まさか、この中に入るのか?」

 とても無事に帰ってこられるとは思えない。

「他に方法はなさそうだしね」

「おいっ!」

 慌てるニシキギに微笑むと、カナメは、するりとドアを抜けて暗黒の渦の中に見えなくなった。 ニシキギは、カナメがどんな風にディモルフォセカを守ってきたのか垣間見た気がした。あんな暗黒の渦の中に何の躊躇(ためら)いも見せずに飛びこんでゆくなど、そうそう出来るものじゃない。彼はいつもそんな風に、全力で彼女を守ってきたに違いなかった。

 ニシキギはドアを掴む手に力を入れなおした。




*  *  *




 カナメはベージュ色の砂漠に、ぽつりと立っていた。見渡す限りの砂漠で、四方を見渡しても砂の地平線しか見えない。時折強い風が吹いて大気を(ふる)わせ、砂にその痕跡を刻みつける。空は淡い紫色で、雲ひとつない。太陽は今沈んだばかりのようで、星はまだ瞬いていない。聞こえるのは、時折風が砂に模様を刻む音だけで、そこには静けさが満ちていた。

「瑞樹?ミズキー、どこだー」

 カナメの声が、静けさに亀裂を生じさせる。歩き始めるとサクサクと砂を踏む音が足元でやけに大きく響いた。

 何かが落ちているのを見つけて駆け寄ると、それは時計だった。とろけたバターのようにだらりと融けた時計。しかしその時計には、文字盤がなく、六つの針が狂ったようにバラバラの動きをしている。

 次に落ちていたのは大きな机だった。木製のどっしりとした机だ。マホガニー色をした重厚な引き出しの一番上を開けると、その中には宇宙が広がっていた。カナメは息をのんで、素早く引き出しをしまった。引出しの中に落っこちてしまうような気がしたからだ。

 二番目の引き出しには色とりどりのキャンディーの包みが山盛りに詰まっていた。カナメが一つ摘まみ上げると、キャンディーは粉砂糖のような細かい粒子になって風に飛ばされて行った。

 三番目の引き出しからは動物が飛び出した。カナメは驚いて、その場に尻もちをついてしまう。額に角を生やした毛並みの美しい獣。それは燃えるような青い瞳でカナメを見つめてから、宙を駆け飛び去って行った。

 カナメは苦笑して立ち上がると、パンパンと服についた砂を払い落す。

「瑞樹、瑞樹、返事をしてくれよ!」

 カナメは声を限りに叫んでみる。あたりを見渡して、カナメは、ふと恐ろしいことに気がついた。帰り道がわからない。たとえここで、瑞樹に出会えたとしても帰り道が分からないではないか。そもそも、いきなりこの砂漠にいたのだ、帰り道など分かる訳がない。

 帰れない……そういうことなのか?カナメは呆然とその場に(たたず)んだ。



*   *   *



 ドアが閉まる強さは、徐々に強まっている気がした。ニシキギは渾身(こんしん)の力で閉まりそうなドアを掴み、片足をドアに掛ける。閉めてなるものかと思う。

「なんだ?このドア」

 後ろで正樹の声がする。

「大脳コンタクトをつけたのか?」

 ニシキギは振り向いて苦笑する。

 正樹は頷いてニシキギが掴んでいるドアを掴もうとするが、カナメと一緒で、やはり掴めなかった。

「なんであんたしかこのドアを掴めないんだ?」

 正樹は舌打ちをするとドアの中を覗き込んだ。底抜けに深い闇が渦巻いている。

「瑞樹とカナメはこの中にいるのか?」

 痛々しい表情で問う。ニシキギは頷いた。

「悪いな、俺が来ても何の力にもなれそうにないな」

「いや、そこにいてくれ。俺が諦めてしまわないように。俺が……投げ出してしまわないように、そこにいてくれないか」

 ニシキギは唇を噛みしめる。

「俺はここにいる。諦めないでくれ」

 正樹は暗い闇を睨みつけるように立った。

「……瑞樹の話をしようか……」

 正樹はニシキギをちらりと見た。

「あいつのファーストキスの話をしようか?」

 くすりと笑って続ける。

「あいつのファーストキスの相手が誰だか知ってるか?」

「そんなの知る訳がないだろう?あんたなのか?」

 ニシキギはムッとした顔で問い返す。

「俺がしとけば良かったよ。その程度の相手だった。瑞樹はね、あんなでも結構人気あったんだ。病気ばっかりして、学校も休みがちで……でも、なんでかな。ほら、よく男同士で盛り上がるだろ、誰がいいとか、誰が好きだとか……そう言う時には、ほとんど瑞樹の名前は出てこないんだ。そう言う時に名前が出るのは、元気でスポーツ万能だったり、すごい美人だったり、とにかく元気溌剌って感じの、ああなるほどってみんなが思う子の名前がでるだろ?」

「そんなもんなのか?」

 ニシキギは呆れたように問い返す。

「そんなもんだよ。でも、無記名で人気投票すると、不思議と瑞樹は上位に食い込むんだ」

「そんなことやってるのか?」

 ニシキギは肩を竦める。

「アンダーグラウンドでもてるやつと言うか、密かに思われるやつって言うか……ファーストキスの相手も、瑞樹のことをそんな風に密かに思っていたやつだったんだ。もう名前も忘れちゃったけどね。ある日、瑞樹が登校拒否を起して、部屋に閉じこもって出てこなくなった。三日も休んだ頃に、瑞樹の母親が俺に相談してきた。学校でなにかあったらしいから訊き出してくれないかって……中学校の頃だよ。瑞樹は頑固というか口が堅いというか……随分手こずってね、ようやく聞き出せたのは、同じクラスの男子に迫られてキスをされたらしいってことだった。瑞樹は学校を休みがちだったから、休んでいる間のノートを貸してやるとか言われて、断り切れずに借りに行ったらそう言うことになったらしいんだ。そいつのことは好きでも嫌いでもない、どうしたらいいか分からない、だからもう学校に行けないって……泣いてるんだ。馬鹿だろ、あいつ。今どきじゃないんだ」

「今どきってどんなのだ?」

 ニシキギは小さく笑った。瑞樹らしいと微笑ましく思う。

「……それでどうした?」

「仕方がないから、そいつの家に俺が出向いて、俺の彼女に手を出すなと釘をさした」

「……そうなのか?」

 ニシキギは正樹を睨みつけた。

「嘘も方便って言うだろ?そん時、俺にはちゃんと別に彼女がいたんだが、それが原因で別れちまった。美人で、人気のある子だったんだけどな」

「瑞樹は……そのことを知ってるのか?」

「知る訳がないだろう?知っていたら、また余計なことをして、こじらすに決まってる。それでなくてもあいつはトラブルテイカーなんだ。関係のないトラブルまで拾ってくる。それに、その彼女よりも瑞樹の方が大事だった。つまりは、そう言うことだ。つきあいに飽きてきてたところもあったしな」

「あきれたやつだな……なぜ俺にそんな話をする?」

「……俺は子供の時から常にあいつの面倒を見てきた。実の妹よりもずっと手厚く保護してきた。そうしなければいけないんだと……なぜかそう思い込んでいるところが俺にはあって……正直、最近手に余ってた。特に二年前、あいつが失踪した時は(こた)えた。自分を責めて、前進できなくなった。そんなのは初めてだった。もし、あんたがあいつのことを想ってくれているのなら、それもこれも含めて、押し付けてやろうと考えている訳だ」

 正樹はにやりと嗤った。

「瑞樹が、トラブルテイカーだってことなんて、とっくに知ってるさ」

 ニシキギはナンディーでの瑞樹を語った。出逢ってすぐに激怒した瑞樹に投げ飛ばされたことを話すと、正樹は笑い転げた。

 昔語りも尽きてきて、それでも、瑞樹もカナメも帰っては来なかった。

「おいっ、ニシキギ、あんた、指が……」

 正樹が青い顔をしてニシキギを見つめる。

 ニシキギが押さえているドアに掛けられた指が、半透明になってきていた。ニシキギは、さっきからそれに気づいていて、指先の感覚がなくなってきているのは分かっていたが、扉から手を離す気にはならなかった。

「いいんだ、手を失うくらいで瑞樹を失わずに済むのなら、その方がずっといい」

「ニシキギ……」

 正樹は絶句した。


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