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第十一話 トラップの発動(2)

 医療センターの診察室に関係者が集まっていた。

「今から瑞樹の治療を始める。まず、掛けられている暗示を一つ一つ解除していく、しばらくみんなは外で待っていて欲しい。呼ばれたら中に入ってくれ。ニシキギは席をなるべくはずさないで欲しい。やむを得ない事情の時は、居場所が分かるようにしておいてくれ。その場合でも五分以内に戻れる場所に限らせてもらう」

ブラキカムの説明に、ニシキギは神妙に頷いた。診察室を出たところにある長椅子にみんなして座る。

「なぁ、瑞樹が掛けられてる暗示って何なんだろうな」

正樹が、ぽつりと呟く。

「……瑞樹を支えているものをすべて取り除き、命令以外の行動を厳しく罰する。僕だったらそうする」

カナメがポツリと返す。

「じゃあ解除するってのは……」

 正樹が痛みを堪えるような顔で言った。

「一つ一つ否定していくんだ。間違った情報だってね。瑞樹を支えているものは何一つ損なわれているはずがないんだ。瑞樹以外に変わったものなど、何もないからね。そうすれば、解除されるはずだ」

 カナメが、ここまで言ったところで、診察室から瑞樹の悲鳴があがった。あまりにも悲痛な叫びに、待っている者全員が腰を浮かす。

「正樹さん、いらっしゃいますか」

 中から看護師が呼びにきた。

「中へ入ってください」

 看護師に、うろたえている様子は微塵もない。正樹は力強く頷いて中へ入って行った。

「アーマルターシュさん、いらっしゃいますか?」

 次にアーマルターシュが呼び出され、正樹が待合室へ戻ってきた。

「瑞樹はどうなってるんだ?」

 ニシキギが、つかみかかるように正樹に問いかける。

「瑞樹の中で俺は死んだことになっていたらしい。で、それが嘘の情報であることを証明する為に呼ばれたんだ」

 正樹は大きくため息をついた。

「瑞樹はひどく取り乱していて、俺を認識するまでにかなり時間がかかった」

 アーマルターシュが出てくるとイベリスが中へ入った。アーマルターシュも正樹と同じことを言った。次々に関係者が呼ばれて、入っては出てくる。

「一体、何人殺したら気が済むんだ、セルシスの野郎」

 ニシキギが歯噛みする。

「それだけ瑞樹が耐えたということなんだろう。たぶん……。もっと早く救出に向かうべきだった」

 頭を抱えたままカナメが呻く。

「ニシキギさん、中へ」

 ニシキギが中に入ると、診察室には、熱がこもっているように息苦しい空気が立ち込めていた。その中に泣き腫らして、赤い眼をした瑞樹が、看護師に押さえつけられるようにして座っている。ニシキギは痛ましい思いで瑞樹を見つめる。

「ほら、瑞樹、ニシキギだ。彼は生きている。大丈夫だろう」

 ブラキカムが穏やかな声で話しかける。

「ナイフが……ナイフが刺さってたの。血がたくさん……」

 瑞樹は妄言(うわごと)のように言葉を発した。ニシキギは(たま)らずに瑞樹に駆け寄る。

「瑞樹、ナイフなんて刺さってない。ほら、どこにも怪我なんてしてないだろう?」

 ニシキギは、瑞樹の手を取って体に触れさせる。瑞樹は泣き腫らした目でニシキギを見つめて、ナイフが刺さっていた辺りを震える手でまさぐった。

「俺にナイフなんて刺さってない。だから大丈夫なんだ」

 ニシキギは瑞樹を抱きしめた。

「ニシキギ、大丈夫なんだよね、大丈夫……」

 瑞樹は泣きじゃくった。

「ああ、大丈夫だ、何も問題ない」

 しがみついてくる瑞樹が可哀そうで、しかし反面、愛おしい。

「……おい、ニシキギ、もういいぞ」

 ブラキカムの声が聞こえるまで、ニシキギは瑞樹を抱きしめたまま離さなかった。

「じゃ、次いくぞ。たぶんこれで最後だと思うんだがな……」

 ブラキカムが、さすがに疲労を(たた)えた表情で言った。

「カナメさん、中へお願いします」

 カナメが中に入るとブラキカムが、

「ちょっといいか」

と脇にカナメを引っ張った。奥で、瑞樹が放心したような顔で座っているのが見える。

「恐らく、お前で最後だと思う」

「どうしてそう思うんだ?」

「今までとパターンが違うんだ。今までの人はみんな殺されてた。お前は殺されてない」

「さすがのセルシスも弟は殺せなかったのかな」

 カナメは肩を竦める。

「冗談言ってる場合じゃないぞ。一番最後にお前を持ってきたということは、お前で瑞樹は精神崩壊したってことになるんだ。わかってんのか?」

「で?僕はどうなったことになってるんだ?」

「お前が彼女を見捨てたことになってる」

「はぁ?」

「瑞樹はみんなの命を救うために、代償を求められた。その行為を目撃した君に見捨てられるというシナリオだ」

「そりゃ、また手の込んだシナリオだな」

 カナメは眉間にしわを寄せた。

「厄介なのは、どうやって解除するかだ。死んだという誤情報なら生きているところを見せればいい、しかし、お前のケースの場合、失ったのは信用とか信頼とかそう言った目に見えないものだ。どうするよ?」

「どうするって……話しかけてみるしかないだろう?話せるんなら……」

「任せてもいいか?」

「君が考えても、僕が考えても似たようなアイデアし浮かばないだろうよ」

 カナメは苦笑して、瑞樹の方へ歩いて行った。

「瑞樹……」

 カナメが声を掛けると、瑞樹はビクリと肩を震わせた。

「瑞樹?誰も死んでいなかっただろ?誰一人殺されてはいなかった。そうだよね」

 カナメは瑞樹の傍らに腰をおろして視線を合わせる。瑞樹は一瞬視線を合わせたが、すぐにそらしてしまった。小刻みに震えているのが分かる。

「瑞樹、みんな間違った情報だったんだ。分かるだろ?」

 瑞樹は視線を上げない。

 沈黙がその場を支配する。

「……」

 カナメは頭をフル回転させる。どうしたら解除できる?

「……ねぇ、ハルでディモルフォセカが、初めて僕の部屋に逃げ込んで来た時のことを、君は覚えているかな。君が持っているディムの記憶にあるだろう?彼女は、今の君みたいに誰も信用しない、信頼できないって顔をしていた」

 カナメの昔語りに、瑞樹は顔を上げた。

 ディム、力を貸してくれ。カナメは瑞樹の顔にディモルフォセカを重ね合わせる。

「僕もそうだった。誰も信用しない、信頼できないって思ってた。イブキ以外はね。あの地下都市で、僕にとってディモルフォセカとイブキは暗闇を照らす灯みたいだった。僕はそれを失ってしまったけれど、でもやっぱり、相変わらず、彼らは僕にとっての光なんだ。それはもう、思い出の中にしか存在しないはずなのに、それでも、確実に正確に僕を前進させてくれる。彼らはいなくなってしまったけど、確実にそこに存在していたんだからね。ただそれは過去のことで、もう修正はできない。過去の良い所は変わらないこと、逆に悪い所は変えられないことだ」

 カナメは、瑞樹の髪を梳きあげる。

「……そして君は、今、ここに、存在している。今ここに存在しているものならば変えられる。いくらでも信頼は回復できるはずだろ?もし仮に、本当に君が、僕の信頼を失ったとして、君は、もうそれで諦めてしまうのか?信頼を回復したいとは思わない?僕は……その程度の存在だった?」

 瑞樹は涙をまき散らしながら首を振った。

「違う、そうじゃない!私だけの問題なら、いくらでも償う。信頼を回復するためならなんでもする。私が許せないのは……ディモルフォセカまでをも巻き込んで、あなたを裏切るような行動を彼女にとらせてしまったことなんだもの。この顔で、この声で、私は……自分の大事なものを守りたいために、彼女のイメージを汚しちゃったのっ」

 瑞樹は号泣する。

「……君は君だよ。その顔もその声も、日向瑞樹なんだ。そんな風に考えるのは間違ってる。それに……ディムだって、君と同じことをしたと思うよ。彼女は大事なものを守るためなら、自分を投げ出してしまう人だった。それは君が一番よく知ってることじゃないか?〉

「……」

 瑞樹はカナメに視線を合わせて涙を流した。カナメが無言で頷く。

 涙にぬれた瑞樹の瞳が、ふわりと小さく微笑んだのを合図にしたかのように、それは唐突に現れた。

「!」

 瑞樹の全身から、金色の粒子がゆらりと立ち上ったような気がして、カナメは瞬いた。次の瞬間、金色の光の粒が、瑞樹の体中から、(はじ)けた炭酸の泡のように湧きあがった。

「ブラキカム!ニシキギを……」

 カナメが叫んだ時には、既にニシキギが前に立っていた。

 ごくりと唾を飲み込んだニシキギは、瑞樹の両手を固く握りしめて、瞠目する。

「なんだよ、これ?」

 ニシキギは宙を見つめて凍りついた。

「何か見えるのか?」

 カナメは驚いてニシキギを見つめる。

「あんたにはあれが見えないのか?あんな大きな……ダメだ、瑞樹、手を離すな。引き寄せられてるぞ!」

 ニシキギが怒鳴る。

「引き寄せられてるって……どこに?」

 ブラキカムも慌てて叫んだ。



*    *    *



 ニシキギは、大きな扉の中に引きずり込まれようとしている瑞樹の手を掴んで、踏みとどまっていた。いぶし銀でできたような重苦しく厳めしいその扉には、(おびただ)しい数の見知らぬ言葉が刻みこまれている。その扉の向こうを見ることはできなかったけれど、なにか途轍もなく恐ろしい気が満ちているようで、のぞき見ることさえ(はばか)られた。

 何の力で引き寄せられているのか、瑞樹の体は確実にドアの方へ近づいている。

「ニシキギ、放して、ニシキギまで引き込まれちゃうよ」

 瑞樹が潤んだ瞳でニシキギを見つめる。

「馬鹿言うな。足に力を入れて踏みとどまるんだ」

 ニシキギは、瑞樹の手首を力いっぱい引っ張る。

「ごめん、もう無理みたい。私……もう駄目だよ」

 瑞樹の足は、既にドアの向こうに引っ張り込まれていて、ニシキギは心臓が凍りつく。瑞樹の膝から下は半透明に消えていて、ニシキギを掴む手の力も弱ってきているのが分かった。

「瑞樹、手を離すなよ。絶対離すな!」

「ニシキギ、ありがとう。いつも助けてくれて……」

 瑞樹の手から力が徐々に抜けていく。半透明な部分は胸のあたりまで来ていた。ニシキギは、瑞樹の手が離れてしまった方の手で、扉を掴んで閉じようとしているのを押しとどめる。

「瑞樹!瑞樹!」

 残っていた方の手が離れた瞬間、ニシキギの耳に微かに瑞樹の声が響いた。

『ニシキギ、ありがとう、大好き』

「瑞樹、瑞樹、ミズキーっ」

 閉まりかけている扉に向かって、ニシキギは声を限りに叫んだ。扉の向こうは暗黒星雲のような暗い気が渦巻いていて、手を伸ばすことさえ恐ろしい。それでもニシキギは扉を閉じるままにはできない。

 嘘だ、嘘だ、ウソニキマッテル!頭の中で同じ言葉が渦を巻いた。


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