第七話 虚空を駆けるネメシス(4)
「」は日本語、〈〉はハル語という設定になっています。この回は、後半多少痛い場面があります。苦手な方はご注意ください。 招夏
(ネメシス=復讐、義憤の神)
セルシスは続けた。
「森の民の力が発見された時、ハル政府はうろたえた。ハル政府は体が弱くて役に立たない人間をアール・ダー村に捨てたつもりだったからね。その捨てたはずの人間が、ハル文明の浮沈を左右する力を持った。当然、ハル政府は、それに相当、もしくは類似した力を持つ人間を自らの手で作りだそうと考えた。そして出来たのがファームの民だ。結局、政府は自らの力では、森の民など作り出せはしなかったのさ。ファームの民は自ら光合成を行い、植物のように黙々と良く働く。食事もとらず、細かい作業を行い、ただひたすらに政府に尽くす。彼らが費やしてきた膨大な時間を思うとき、僕は途方に暮れる。彼らは何のために存在するんだ?君がファームの民なら、自分の存在自体が不当だと思うんじゃないかな?」
セルシスはエニシダを見つめて肩を竦めた。
「では、僕たち一般人はどうだろうか。科学技術を駆使し、エクソダスを可能にした。これも力だよね。では、その代償はなんだったんだろうか。君たちに想像ができるかい?」
「……俺は、一般人が代償を払っていたなんて思った事がなかった」
エニシダは言った。
「そうだろうね、君たち森の民は現実をやっと知らされて、他人のことなんて考える余裕がないのかもしれない。じゃあ、瑞樹、君はどうだ?」
セルシスは瑞樹を見つめる。
「……良く分からないけど、選択の自由がなかったということかな?」
瑞樹はカナメのことを思いやる。ディモルフォセカに初めて会った頃のカナメは、もっと、荒んだ目をしていた。したくないことを延々とさせられて、人生を投げだしたがっていた。
「まあ、それもあるね。でもそれは、惑星ハルに生まれたものすべてが払わされた代償だ。地球人の君がどうしてそんなことを思いつけたのか、そっちに興味はあるけどね」
セルシスは瑞樹の瞳を覗き込む。瑞樹はうろたえて目を逸らした。
「しかし一般人が払った代償はそれだけじゃない。論理的に考えることや技術的に開発することは、割と簡単にできることなんだ。難しいのは、それを実際に使うことだ。どんな技術でも、使えなければ意味がない。つまり実験台になること、それがもう一つの、一般人が払った代償だったと僕は考えている」
「実験台……」
その言葉がもつ痛々しい響きを瑞樹は噛みしめる。初めて宇宙に行った犬、ライカの話を思い出した。ライカは地球に帰還するロケットの中で燃え尽きたのだ。
「そう、分解再生装置だって、大脳コンタクトだって、今ある便利なものすべてが、最初から今のように安全で手軽に使用されていた訳じゃない」
瑞樹はセルシスの瞳の奥に、凶器のように閃く光を見たような気がして身を竦める。
「おい、いつまでくどくどと下らぬ話をしているのだ」
ドクター・ヌンが顔を顰めて部屋に入って来た。
「ああ、悪い。若者たちが自分たちの将来を真剣に論じているんだから、年長者としては助言しておくべきだろうと思ってね」
セルシスはにやりと嗤った。
「助言?今のがか?」
ドクター・ヌンは鼻で笑った。
一瞬、瑞樹の目の前が歪んだ。今の今まで小部屋にいたはずなのに、瑞樹は制服を着て学校の教室にいた。休み時間だ。瑞樹は驚いて周囲をキョロキョロと見回す。
一人の少女が何人かのクラスメートに囲まれていた。
『ねぇ、渡辺さん、消しゴムのカスを散らかすのやめてくれない?』
『え?』
言われた女の子はびくりと顔を上げると、薄ピンクのフレームの眼鏡を人差し指で掛け直して、辺りを見回した。僅かばかりの消しゴムの滓が机の下に零れている。誰の机の下にだって落ちているくらいの量だ。
『あの……あ、ごめんね?今、拾うから……』
渡辺は言われたとおり、僅かばかり零れた消しゴムの滓を拾い始める。抗議をした女の子はニヤリと笑ってから、新たな消し滓を、拾っている女の子の頭の上にぱらぱらと振りかけた。
『ああ、ついでだから、これも拾っておいてよ』
『……』
泣きそうな顔で、頭についた消し滓を払い落すと、回りを囲んでいたクラスメートが口々に声をあげた。
『いやだー、渡辺に付いてた消し滓が飛んできたよー。ばい菌がうつっちゃうー』
クラスメートたちは大騒ぎして、逃げ回った。
瑞樹が渡辺とクラスメートになったのは、高校の一学年遅れて編入したクラスでだった。家の経済状態が良くないのか、彼女は少し不衛生で、内向的な性格も災いして、たちまちクラスで苛めの対象になってしまっていた。
『ねぇ、日向さん?あなたも汚いって思うでしょ?』
苛めていた主犯の女の子が瑞樹に微笑みかけてきた。
『渡辺にびしっと言ってやってよ。汚いから寄らないでって』
瑞樹は目を見開いて、首を左右に振る。渡辺とはあまり話したことはなかったが、そんな酷い言葉をぶつけなければならないような関係ではない。
「言え、命令だ。汚いから寄らないでと渡辺に言うんだ」
その時、ふと、セルシスの声がした。
「いやだ。そんなこと言いたくないよ。そんなこと思ってもないし……」
瑞樹はセルシスの声がした方を振り返る。
「言え、命令だ」
セルシスは冷やかに言い放った。
「嫌だ、言わない。私はそんなこと絶対に言わない!」
そう言った瞬間、背後に熱い痛みを感じた。真っ赤に焼けた火箸が瑞樹の背中に当てられていた。制服は嫌な臭いをあげて燃え、むき出しの背中に直に火箸が当たる。
「あっっ!!熱いぃ、熱い!」
瑞樹は悲鳴を上げる。助けを求めて伸ばした掌にも焼き鏝が当てられる。それはただの焼き鏝ではなくて、焼印なのだった。ナンバーが振ってある。それはアンドロイドのムラサキの胸にあった番号に似ていた。
アンドロイドに振られる番号だ。私はアンドロイドじゃない!苦痛と屈辱に絶叫する。
次に気づいた時には、トウキが目の前に立っていた。
「トウキ!無事だったの?あ……」
瑞樹は突然絶望する。トウキは自分が破壊したのだ。無事なわけがない。無事なトウキならば、それは別のトウキに違いなかった。
『瑞樹、あなたは所詮、私たちの事をアンドロイドに過ぎないと思っていたんですね』
トウキは悲しそうな顔で言った。
「そんなことないよ、トウキは、ううん、ムラサキさんも心を持ってるって思ってるよ」
瑞樹は一生懸命弁解する。しかし、心の中であれ?と思う。さっき、アンドロイドと同じナンバーを打たれた時、自分はそれを屈辱だと思わなかったか。それは自分がアンドロイドとは違う、そう言った優越感、優位感を彼らに対して持っていたということになるのではないか。
「さあ、今度は本当の事だろ?ちゃんと言えよ。アンドロイドなんて所詮機械だ。人間とは違う。アンドロイドが人間に好意を持つなんて身の程知らずだと言ってやれよ」
セルシスの毒が滴るような声が耳元で響く。
「そんなこと思ってない。トウキは……トウキはちゃんと心を持ってた。心を持ってたよ!」
「じゃあ、何故アンドロイドと同じナンバーを振られて屈辱だと思ったんだ?ん?」
「トウキは、トウキは本当にアイリスの事を……」
最後まで言う前に瑞樹は鞭で強かにぶたれていた。背中に痺れるような痛みが走る。何度も何度も鞭は振り下ろされて、瑞樹は気を失った。
幽かな、誰かの声が聞こえた。何を言っているのか分からなかったけれど、その幽かな心地よい声は、負傷した瑞樹の心を癒すように宥めるように響いた。自分の声のようでもあり、他人の声のようでもあり、もっと良く聞こうと耳を澄ます。
『……私はあなたにお帰りなさいを言いたいんですよ』
トウキ?
『お前にしては上出来だ』
ニシキギ?
『辛いことはな、ずっとは続かない、日にち薬だからな』
パパ?クマ太?
『瑞樹、また戻ってきてよ?絶対だからね』
ミント…
『瑞樹、忘れないで、僕はいつも君と居るよ。どんなに離れていても君の傍にいるから……』
カナメ、カナメ……
再び泥のような眠りの中に引き込まれながら、涙が止まらなかった。
エニシダは目の前で涙を流したり、絶叫したりする瑞樹を呆然と見ていた。何が起こっているのかは分からなかったけれど、とにかく止めさせようとセルシスに飛びかかろうとして、ヌンに取り押さえられた。
「小僧、邪魔をするなよ。お前の祖父さんに頼まれたことなんだからな。俺たちは依頼主の要求に応えているだけだ」
「祖父ちゃんに?」
ねじり上げられた腕の痛みに呻きながら問い返す。
「そうだとも」
ヌンはにやりと嗤った。
「どんな依頼を受けたか知らねーけど、こんな酷いことはやめてくれ。瑞樹に酷いことをするのはやめてくれ」
エニシダは懇願する。
「ちっとも酷いことなんてしていないさ。暴力で言う事をきかせようとしている訳じゃないだろう?祖父さんは命令をきくように、自力で逃げ出したりしないようにして欲しいと言っただけだ。年長者の言う事をきくのは普通の事だし、一人で逃げ出して危ない目に遭わせてはいけないという親心からだと思うが……」
ヌンはしゃあしゃあと言った。
「だけど、瑞樹は泣いている。酷い目に遭っているから泣いているんだろう?」
「嬉し涙かもしれないよ。人間とは複雑な生き物だからな。君は嬉しくて泣いたことがないかな」
悪意のこもった笑顔でヌンは嗤った。
「……」
ああ言えばこう言うヌンに、エニシダは言葉を失った。