第七話 虚空を駆けるネメシス(3)
(ネメシス=復讐、義憤の神)
ドアの横の壁を背にして、どっかりと座りこんだまま、エニシダはウトウトと眠りこんでいた。瑞樹は呆れてエニシダを見つめる。眠いのならば、きちんと自分の部屋のベッドで眠ればいいのにと思う。
その日、エニシダは朝早くからやってきて、その場所に陣取った。寒いわけではないのに、手には革の手袋を嵌めている。
「いいか、ドアには近づくなよ。間違えて俺に触れようものなら、この前みたいなことになるからな」
エニシダはそう言って座り込むと、すぐに眠りこんだのだ。
「ドアには鍵が掛ってるのに、なんでエニシダがそこに座る必要があるわけ?」
居眠りしていたエニシダが目を覚ましたので、瑞樹は訊いてみた。
「ここにいれば、瑞樹の力を被曝できる。触れさえしなければいいんだからな。俺だって馬鹿じゃない、金の卵を産む雌鶏を殺すなどしたくないからな」
そう言ってエニシダは、にやりと笑った。悪ぶっているが、元々の人柄の良さが出ているのだろう、セルシスやドクター・ヌンに比べると、ちっとも怖さがない。
「森の民は力にばかり拘っていないで、エリアEの植物の世話をした方がいいと思うんだけど……」
瑞樹はため息交じりに言う。
「おまえ、第一エリアEに行ったんだろ。だからそんな事を言うんだ」
エニシダは瑞樹を見つめた。
「行ったよ……」
「あいつらは植物の世話を几帳面なくらいにする。だから森は整って見える。だから見た目は整然として見えるかもしれない。だけどそれは、森の民にとってのいい仕事じゃない」
エニシダは言葉を慎重に選びながら言った。
「……」
アール・ダー村では、泥にまみれて植物の世話をすることは、力を持たない下級な森の民がすることだった。あるいは子供が罰として先生に言いつけられる類の仕事。森の民の中に、そう言った作業に対する侮蔑のような感情があることを、瑞樹はディモルフォセカの記憶で知っていた。
「力を使わないで、使えないで、何の為の森の民だと思う?地球人のあんたには分からないことだろうけどね」
エニシダは小さく溜息をついた。
「……私は地球人で、日本人で、高校生で、女の子で……だから今は勉強をして、世界の色々な事を知る必要があるって思ってる。女の子なんだから、いつかは結婚して子供を産んだりするのかな、なんて思うこともあるけど、先の事は何にも分からない。自分が何者になって、どんな能力を身に付けて、社会に、あるいは世界にどんな役に立つのかなんて、この地球上では誰も教えてくれないし、誰も押しつけない。ま、親は期待を持って多少口出しすることはあるだろうけど、結局は本人の意志だから……。ここでは決まってない未来を自分で決めていかなきゃならない。それは個々に課せられた義務であり、同時に権利でもあるって私は思ってる。だからここは……ハルとは違う」
瑞樹はエニシダを見つめた。
酷い言葉だと思う。森の民はハルの現状を知らずに、その未来を守るために力を尽くしてきた人たちなのだ。義務だけを背負わされて、がむしゃらに走り続けた人たちなのだ。ハルは、もうないのだと……守るべきものは、もうないのだと告げる事が、どれほどこの人たちに痛みを与えるのか、ディモルフォセカの記憶がそれを教えてくれる。それでも、瑞樹は続けた。
「地球は、確かに環境悪化が問題になっているけれど、今すぐ出て行かなきゃならないほど切羽詰まった惑星じゃないよ。植物も動物も太陽と地球が養ってて、人間の介入をそれほど必要としない。むしろ、人間が手を出さない方が美しいまま残ってる。ここはハルじゃない。……だから、もう少し、ううん、もっとじっくり時間を掛けて存在意義を考えてみてもいいんじゃないかな。森の民は森の民としてしか生きられないのかな?」
「……」
エニシダは瑞樹を見つめて、しばらく言葉を探している様子だったが、目を逸らして小さく、分からないと言った。
「私、エリアEの植物が好きだよ。私の価値を認めてくれる、そんな気がするから。多少力を吸い取られたって、生き生きとして葉をつければ嬉しいし、花が咲けば、やったーって思う。それはきっと、森の民もファームの民も同じだって思うよ。第一エリアEに行った時、確かに整然としてはいたけれど、何か生命力のようなものが乏しいって感じた。逆に、第二エリアEでは生命力はあっても荒んでるって感じた。二つを見た後、この二つの力が合わさったら、ここの植物たちは、どれほど生き生きすることかって思った。それは森の民にも、ファームの民にも、エリアEの植物たちにも、喜びをもたらすはずなのにって……そう思った。それでは森の民にとっての存在意義にはならないの?」
「ファームの民が築いてきたものと、森の民が築いてきたものは異質なものだ」
エニシダはポツリと呟いた。
「俺達、森の民は力を使う。その度、俺らは自らの命を少しずつ代償にする。ではファームの民は?一般人はどうなんだ?俺はそれを考えた時、森の民の命が不当に軽く扱われていると思わざるを得ないんだ。だから安易な馴れ合いはしたくない」
エニシダは拳を握り締めて俯いた。
「そうだとも、力を手にした時点で、誰かがその力の行使の代償を求められるんだ。地球人が産業革命を起こして力を手に入れた時点で、地球の環境がその代償になったようにね?」
突然割って入って来た声に、瑞樹とエニシダが驚いて顔を上げた。ドアを開けて入って来た声の主はセルシスだった。
「それはファームの民だって例外じゃない。ファームの民がどうして生まれたか、君は知っているか?」
セルシスはエニシダを見つめた。
「ファームの民に生まれた理由なんてあるのか?」
不審げにエニシダはセルシスを見上げた。
「ファームの民は森の民のせいで、生まれさせられたんだ」
瑞樹もエニシダも目を見開いた。