第七話 虚空を駆けるネメシス(1)
(ネメシス=復讐、義憤の神)
カナメとトウキとニシキギとアーマルターシュが273号室に集まっていた。トウキの瞳の色は紫、破壊されたトウキの代わりに読心の力を与えられたトウキだ。
カナメは憔悴した様子でリビングのテーブルの前に立っていた。テーブルの上には地球玉が乗せられている。
「さっき、メッセージが送られてきたんだ」
地球玉とハル玉は対になっていて、近距離にいればお互いに反応し合って蛍光を発するが、それ以外に通信機として使う事が出来た。しかし、それも近距離に限られているはずなのだが、何か細工をされたらしく、瑞樹と一緒に宇宙空間にあるはずのハル玉からメッセージが送られて来たのだった。地球玉はメッセージを披露した。
「はじめまして、と言うべきだろうね、カナメ」
低すぎない男の声だった。
「君の大切なエメラルドを預かっているよ。預かっていると言っても返す予定はないんだけどね。どうするつもりか、君は知りたいだろうね。そうだな、教えてあげてもいいかな」
男は少し狂気じみた様子でクスクスと笑った。
「君は壊すのが得意だったよね。今もそうなのかな。実は僕も得意なんだ。でも君と違う所は、僕が形の無い物を壊せるという事だ。楽しみだな。君のエメラルドを粉々に壊す瞬間がね。きれいに粉々にしてあげるよ。こんな風にね」
何か固いものが砕かれる音がして、メッセージは途絶えた。ハル玉が砕かれた音のようだった。
「こいつは誰なんだ?」
沈黙を破ったのはニシキギだった。
「分からない。分かったのは、瑞樹が拉致されたのは、僕のせいだということだ」
カナメは拳を握りしめた。
「恐らく、それは瑞樹を拉致した理由の一つにすぎないと思います。トウキ001から送られて来た信号の中にも、瑞樹を傷つけることで、誰かを傷つけたいと考えている人間がいるようだとありましたが、それは理由の一つにすぎないと結論を出していたようです」
トウキが補足した。
「ハル共和国から消えた人の調査なんだけど……」
アーマルターシュが少し逡巡してから言葉をつないだ。
「ドクター・ヌンと幾人かの看護師、それから森の民の長アドニス・アムレンシス、エニシダ・アムレンシスと……イベリスも消えているの」
アーマルターシュの声が震えていた。
「エニシダが……」
カナメは眉間に皺を寄せる。
「あの野郎が瑞樹に触れたら……」
ニシキギが呻く。
「……もしかしたら手がかりになる情報を得られるかもしれない。もう手段は選べない」
ニシキギが呟いて、周りが何事かとニシキギを見つめる。ニシキギは、無言のままドアの外に出ると、一人の女性を連れて戻って来た。
「この人は誰なの?」
アーマルターシュが怪訝そうに問う。
「アイリス・エウオニムスだ」
名前を聞いてカナメは目を見開いた。
「さっき俺の部屋にやって来た。俺の配偶者らしいんだ」
皆が目を見張る。
「君、配偶者がいたのか?」
カナメが驚いて訊いた。
「以前ナンディーで、俺が、配偶者がいるのかどうか把握していないし、確認もしていないと言ったら、あんたは今のように呆れたよな。俺、あの後確認したんだ。ハル脱出時、俺に配偶者がいたかどうか。その時には俺の配偶者の欄は空欄だった。ところが、こいつが現われた。さっき確認したら、配偶者の欄にこいつがいた。さあ、こいつは誰だと思う?」
そう言ってニシキギは女に向かい合った。
「お前はアイリスなんて名前じゃない、そうだろう?」
ニシキギは女を睨みつけた。
「君……ニシキギの籍に入ってエウオニムスになったんだよね。旧性は?」
カナメが問いかける。
「……」
女は無言のまま、追い詰められた草食獣のように目を潤ませた。
「小細工をして、お前を俺の配偶者に仕立てたのは誰だ?」
ニシキギは噛みつかんばかりに詰め寄った。
「ちょっと、やめなさいよ」
アーマルターシュが女を庇った。
「ねぇ、あなた、本当の名前はアイリスなの?それくらいは教えてくれてもいいんじゃない?」
アーマルターシュの穏やかな質問に、女は首を横に振った。
「アイリスという名前の方がいいって、ドクター・ヌンが。アイリス・エウオニムスの方が安全だって……」
女は泣きだした。
「やはり、ドクター・ヌンか」
ニシキギは吐きだすように言った。アーマルターシュが、優しく本当の名前を言うように促していたが、女は泣くばかりだった。それを見たニシキギはしかめっ面でアーマルターシュを止めた。
「そんな女の名前なんて聞いたって仕方がない。あいつらが向かった先とか、目的とか、この声の主は誰かとか、お前、何か知っていることはないのか?」
ニシキギはイライラと問いかけた。
「知らないわ。エメラルドって何のことなの?さっぱりわからない」
地球玉のメッセージを聞かされた女は言った。
「粉々に壊す形の無いものって何なの?私は何も知らなかったわ。ドクター・ヌンが何をしようとしているかなんて、何も知らない……」
女は更に泣き始めた。
「こいつは、俺たちの脚を引っぱる為だけに送り込まれた捨駒だな。こいつのことは調べるだけ無駄のようだ。こいつの本名はネモフィラ・メンジーシー、リセプタータイプの森の民だ。ハル脱出の二年程前に行方不明になっている。俺の弟、シーカスの恋人だった女だ。弟の恋人など、地下都市にいた俺が知るはずがないと考えたんだろう。アイリスの名前を名乗った理由は分からないがね」
ニシキギの言葉に女はびくりと肩を震わせ、女以外の人間は、一斉に目を見開いてニシキギを見つめた。
「……アイリス・エウオニムスという名前は、僕を躊躇わせるつもりだったんだと思うよ」
カナメが口を挟んだ。
「アイリス・エウオニムスは、初代森の民でとても強い力を持った人だった。僕の……大切な友人だった。もしかしたら、ニシキギ、君の親戚筋に当たるのかもしれないね……」
カナメの言葉にトウキが哀しそうに項垂れた。
「お前は利用されていたんだ。もう気づいているんだろう?」
ニシキギはネモフィラをねめつけた。ネモフィラはさめざめと泣き続けた。
「もしやと思って、メッセージの声の声紋を今検索してみたんですが、最近、トウキ001がこの声の人物に会っていますね」
トウキの声に皆が振り向いた。
「誰だ、それは」
カナメがもどかしげに先を促した。
「ハンサビーチの入口で瑞樹に話しかけてきたターウ・エルという人物です」
トウキは部屋の白い壁面に映像を映し出して、ターウ・エルと瑞樹が話している場面を見せた。トウキの瞳がプロジェクターの青白い光を放つ。
「こいつよ!」
アーマルターシュが叫んだ。
「イベリスの事件の黒幕と言われているの」
「ターウ・エル?神Xってか?ふざけた名前だ。本名じゃないんだろう?」
ニシキギが吐き出すように言った。
「調べておきましょう。検索には少し時間がかかりそうですから」
トウキが静かに言った。
* * *
カナメは自室の部屋に無言で立ち尽くしていた。あらゆるものが散乱していた。一つ一つ拾い集めてダストシュートに放り込む。
地球玉にメッセージが届いていることに気づいたのは、この部屋でだった。初めてメッセージを耳にした時の衝撃と戦慄を思い出す。
拾いあげた小型大脳コンタクトの破片を握りしめ、その手から血が滴り落ちる。ハル玉からのメッセージを一人で十回聞いた。頭の中の痺れが治って事態を把握するまでに、それくらい聞く必要があったからだ。誰かに聞かせる時に冷静でいられるようにさらに十回聞いた。一言一句違わずに言えるくらい聞いた。その作業を終えた頃には、部屋がこのような状態になっていたのだ。心の奥底から立ち上ってくる怒りが体中に充満する。
あのメッセージを聞いて、誰も口にはしなかったが、勘のいい者ならば気づいていたのではないかと思う。カナメはあの声に聞き覚えがあった。それは……他ならぬ自分の声だ。
ほとんどの散乱物を捨て終えるとカナメは静かな怒りを纏ったまま大脳コンタクトに向かった。敵の正体を見極めるために。
読んでくださってありがとうございました。
実は、人名のターウ・エル、ヌンと酒名のラメデム、メムシンは最古の文字と言われるカナン文字を適当に組み合わせて作ったものなのです。だからニシキギはターウ・エルのことを「神X」だと言ったわけですが、文法上正しい使い方ではないと思います。あくまでもテキトーです。わー、にげろー 招夏