第一話 秋にやってきたハルの使者(3)
「」内のセリフは日本語、[]内のセリフはハル語になっています
アーモンドプードルを入れるのと入れないのとではクッキーの味が格段に変わる。浮草みたいに頼りない甘さだったのが、しっかり根付いたコクのある味になる。正樹ちゃんはチョコレート味が好きなのでココアパウダーもたっぷり入れる。粉だけはきちんと計って篩っておく、それが最終的なクッキーの食感を左右する。瑞樹は真剣な顔でスケールの数値を睨む。
[あんた何してるんだ?]
さっき瑞樹の部屋に案内して、そこで遮光服を脱いだニシキギがキッチンに入ってきた。
[クッキー作ってるんだけど……。アーマルターシュとラークスパー教授は?]
瑞樹はバターと砂糖をすり混ぜながら顔を上げた。うーむ、どうみてもニシキギの雰囲気は純和風の我が家のキッチンに合わないなーと思う。薄い金色の髪に碧い瞳、彫の深い顔……人のことは言えないか、瑞樹は軽く溜め息をつく。ニシキギほど彫は深くないが、深い翠色の瞳に白すぎる肌、自分もこんな風に両親には違和感を持って見られてるんだろうなと思いつき憂鬱になる。
一年前に失踪して帰ってきた時、父も母も正樹もその家族も当然友人も誰一人として、瑞樹のことを日向瑞樹だと信じてくれなかった。瑞樹が失ったのは色素だけではなく、見た目もすっかり変わってしまっていたからだ。逆に瑞樹がもしハル共和国に行ったとして、ハルの人は誰も瑞樹を他国の人間だとは思わないだろう。
瑞樹はハルで受けた再生治療によってディモルフォセカ・オーランティアカというハル人にそっくりになってしまっていた。ハル人は長年にわたる地下都市生活によって、色素を作り出せない肌色の薄い人種になってしまっていた。だから地球にいる限りハルの人たちは太陽の強い光線が降り注ぐ昼間は遮光服を着なければならないのだ。それは瑞樹も同様だ。だから瑞樹の家のどの窓にも遮光カーテンが掛っている。
[アーマルターシュはあんたのベッドで寝ている。ラークスパーは情報処理中だ]
ニシキギはダイニングの椅子を引いて背もたれに顎を乗せるようにして座った。
小花柄のエプロンをつけた瑞樹をニシキギは不思議な生き物をみるようにジロジロと頭のてっぺんからつま先まで眺めた。この世界では……食べ物を自分で作る、もしくは売っているものを買ってくる、もしくは店で注文して食べる。ハルの地下都市ではありえない光景。
アール・ダー村の森の民は食べ物を調理していたが、ニシキギは十歳の時、地下都市に追いやられた。それ以来、食べ物はモルオープンから出てきたものしか摂取していない。食べ物を作っている地球人を見るのは初めてだ。
頭にかぶった赤い布から茶色いほつれ毛が零れてクルリとカールしている。悪くない……ニシキギは無表情なままそう思う。
瑞樹は背中にニシキギの視線を感じて少し居心地が悪い。アンドロイドの方がまだ表情があるような気がするんだけど……瑞樹はこっそり心の中で溜息をついた。ラークスパー教授は見かけこそ人の良さそうな老紳士だが、実は精巧にできたアンドロイドだ。だから彼は遮光服を着る必要がない。
[当然のことだが、モルオーブンはないんだろうな]
ニシキギは辺りを見回して、オーブンレンジに目を留める。ハルにはモルキュラーオーブン(分子オーブン)というものがあって、これは再生装置のお料理版みたいなもので、分子構造さえわかっていれば、どんな食べ物でも完璧に再生される。だからハルの人は料理を作ることをしないのだ。
[当然、そんなものはないよー。それはオーブンレンジ。このクッキーを焼くの]
[ふーん]
ニシキギの視線がキッチンのあらゆる場所を泳いで行く。
惑星ハルではほとんどの人が地下都市に住んでいた。限られた空間で生きていくために、彼らは究極のリサイクル生活と物を持たない生活を強いられてきた。その生活を可能にしたのが分解再生装置だ。その装置はすべての物を分子レベルまで分解し、同時に思いのままの物を再生することができた。つまりゴミという言葉がない暮らしをしてきたのだ。必要なものは何でも手に入るが、物に執着することを許されない、無駄を許されない暮らしだったのだ。彼らの目から見たら瑞樹の家は無駄なものだらけということになるのかもしれない。
篩っていた粉を混ぜ合わせて捏ね上げ、滑らかな表面の塊にしてからラップで包み冷蔵庫で寝かせる。昨日のうちに捏ねてあったプレーンタイプのクッキーの種を取り出し型を抜いて行く。
[なんだ?この形は……]
ニシキギがつまみ上げた型は星の抜き型で、星と言うからには五つの鋭角のでっぱりが放射状に飛び出している。
[それは星型に決まってるでしょ?]
ニシキギから型を取り戻して薄く伸ばした生地を抜き取る。
[星はそんな形をしていない]
ニシキギは無表情のまま指摘する。
[地球から見たらこんな風に見えるの!地球には大気があるから。そんな厳密に星の形にしたら、ただの球か丸になるじゃん、要は形的にかわいければいいの!]
瑞樹はむっとして言い返す。
ニシキギはその後もハート型に事実と異なっていると文句をつけ、クマ型とウサギ型にはこんな形で食べるのは残酷だと文句をつけた。焼き上がったクッキーを取り出したところでアーマルターシュが降りてきた。
[いい匂い……何してるの?]
[クッキー焼いてるんだけど、ニシキギがうるさいからどっか連れて行ってよ]
瑞樹はチョコレート味の生地を抜きながらアーマルターシュに泣きついた。アーマルターシュは瑞樹を無視して焼き上がったプレーンクッキーをつまんだ。
[おいしー]
それを見たニシキギも手を伸ばす。
[ちょっとー、食べるのは形が壊れてるのにしてよ。形がいいのはパーティー用なんだからぁ]
瑞樹は文句を言いつつも、二人にコーヒーを淹れた。コーヒーの香ばしい香りがキッチンに広がる。二人の肩書からしたら、非常に失礼な言いようかもしれないが、二人は特に気にする様子もなくいびつな形のクッキーを選んでいる。妙に真剣なその様子が小さな子供みたいに思えて、瑞樹はこっそり小さく吹き出す。その時勝手口が突然開いた。
「瑞樹!」
勝手口には切羽詰まった雰囲気の正樹が立っていた。
「正樹ちゃん!お帰り、早かったねぇ、コーヒー飲む?」
瑞樹を確認すると、正樹はほっとした様子で軽く頷いた。
「母さんから連絡があったんだ。瑞樹んちにハルの人が来てるって」
正樹はアーマルターシュとニシキギを見つめながらそう言った。アーマルターシュとニシキギは、何故か目を見開いて正樹を見つめていた。
[ああ、紹介するね。こちらうちのお隣さんで幼馴染の正樹ちゃん]
「正樹ちゃん、こちらはハルのアーマルターシュとニシキギ」
瑞樹が紹介し終わると同時に、アーマルターシュが流暢な日本語で正樹に話しかけた。
「初めまして、私、アーマルターシュ・サイカチと申します。ハル共和国の報道官をして
おります」
「特別補佐官のニシキギ・エウオニムスです」
二人とも瑞樹に接する時とは別人のようだ。
「なんなのよー、二人とも日本語ぺらぺらじゃない」
瑞樹は唖然として二人を見つめる。
「お会いできて光栄です」
アーマルターシュが正樹を熱のこもった目で見つめる。同様の熱がニシキギの瞳の中にもあるように瑞樹は感じて首を傾げた。
「なになに?なんで正樹ちゃんに会えたら光栄なの?」
正樹がたじろいでいる様子なので、代わりに瑞樹が質問する。
「似ているとは聞いていたのですが……本当に良く似ている」
ニシキギが正樹の手をがっしりと掴んで言った。瑞樹はああ!と合点する。
「正樹ちゃんはね、イブキに似てるんだよ。ハルの人」
瑞樹が横から口を挟んだら、
「あんたにイブキさんを呼び捨てにして欲しくないな」
とニシキギが顔を顰めた。
「はいはい、すみませんでした。でもニシキギだってカナメのことは呼び捨てにするじゃん。カナメとイブキって親友だったのは知ってる?」
[瑞樹がどうしてイブキのことを知ってるの?]
アーマルターシュが突然ハル語で鋭く訊いてきた。動揺した瑞樹の視線がニシキギの鋭い視線とぶつかる。ニシキギは瑞樹を睨みつけて小さく首を振った。
[あっと……カナメから聞いたんだよ。ナンディーで……]
瑞樹がしどろもどろに答えていたところに、オーブンレンジの呼音がした。救われた思いで瑞樹は駆け寄った。
「日本語で話してくれないかなー、何を言ってるのかさっぱりわからないよ」
正樹はにっこり微笑んで文句を言ったが目は笑っていなかった。
瑞樹はハルの宇宙船ナンディーで骨肉腫の治療を受けた時、姿がハル人のディモルフォセカ・オーランティアカそっくりになってしまったのは前述したが、実は変わってしまったのは姿だけではなかった。ディモルフォセカ・オーランティアカの記憶と日向瑞樹の記憶を併せ持つ人格になってしまっていたのだ。このことを知っているのはカナメとニシキギだけだ。ディモルフォセカ・オーランティアカはハルでカナメの配偶者だった。
彼女はハルから脱出した六隻の宇宙船の一つ、ガルダの事故の救援に向かい……そこで死んでいた。