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第六話 蛇を踏む(1)

 瑞樹は、暗い夜の浜辺を裸足で歩いていた。

 あたり一面、(すみ)を流したような暗闇で、足元さえよく見えない。たくさんの貝や海藻や死んだ珊瑚(さんご)の欠片が散らばっていた。それと分かるのは、時々足の裏に違和感を覚えるからだ。いちいち、その度に飛び上がって確認する。海藻なら、ちょっと顔を(しか)めて取り除き、珊瑚(さんご)の欠片なら海際に投げ飛ばす。そうして、また歩きだす。

 次に足を踏み出した瞬間、瑞樹は凍りついた。足裏に感じた感触は、海藻に似ているが異なるものだと、すぐにわかったからだ。なぜならば、それは動いていた。冷たく、湿っていて、(うごめ)いている。

 瑞樹は、震えあがって足元を見る。そして息を呑んだ。

 視線の先、足元の周り一面に(おびただ)しい数の(へび)がのたうちまわっているのだ。

 瑞樹は声も出せないまま固まる。(へび)は瑞樹の足元で蠢き、とぐろを巻き、脚に絡みついてくる。

 声も出せないまま凍りついて、浅い呼吸を繰り返す。

「……瑞樹、瑞樹、おい、起きろ」

 誰かの声で目を覚ますと、そこは273号室のベッドの上だった。

「夢でも見たか?」

 ニシキギの声だと気づいて、その声の主にしがみつく。

(へび)! (へび)が……。ニシキギ、(へび)がたくさん……」

「おい、落ちつけ、(へび)なんてどこにもいない。夢だ」

「え? 夢?」

 瑞樹は我に返って辺りを見回した。寝る前と違わないベッドの上だ。

「夢……」

 呼吸が収まって行く。気づくとニシキギにしがみついたままだ。

「ご、ごめん」

 慌てて体を引く瑞樹を、ニシキギの腕が止めた。

「ニシキギ?」

 片方の手は瑞樹の手を握り締めたまま、もう一方の手で瑞樹を抱きよせ、優しく背中を撫でる。

「怖かったのか?」

「……ニシキギが裸足で歩くなら夜の浜辺にしろなんて言うから、夜歩いてる夢を見ちゃったよ。貝殻は落ちてるし、海藻は落ちてるし、蛇の大群は落ちてるし……」

 瑞樹が少し拗ねたように文句を言うと、ニシキギは軽く吹き出した。

「夢で歩けなんて言ってないぞ」

 ニシキギは瑞樹の額にキスをした。そして両頬にも軽くキスをする。

「ニシキギ?」

 瑞樹は体を離そうと、力を入れてみるがびくともしない。

「瑞樹……俺が以前ディモルフォセカに言った事を覚えているか? アール・ダー村を飛び出して地下都市に逃げ込んだあいつを……待っていたことがあると言ったことだ。お前はあの時の記憶があるのか?」

「……覚えてるよ。ディモルフォセカは、無責任だってニシキギに責められて、随分落ち込んでいたんだよ。知ってた?〉

 ニシキギの弟シーカスとの結婚前夜にディモルフォセカは逃亡した。政府と親に仕組まれた結婚。ディモルフォセカはシーカスとその恋人、そして自分の為にそうしたつもりだった。実際には色々な人を巻き込んで、色々な人の人生を狂わせてしまったのかもしれなかったが、兎に角、彼女はその大それた行動を完遂した。惑星ハルで……もう存在しないあの惑星で……。

「……俺はあの時、ディモルフォセカにハデス駅で会えていたら、自分でもどうしていいか分からなかった、途方に暮れていただろうと言った」

「そだったね……」

 でも、ニシキギとディモルフォセカは会えなかったのだ、惑星ハルでは。

「今なら、俺はどうしていたか分かる。もしお前がハデス駅に着いたら、俺はお前を……迷うことなく連れ帰って、そして、この腕の中に閉じ込めて離さなかった。俺ならお前の崩壊を止めることができる。この俺の力がわかった今なら、お前をずっと離さなかった」

 そう言うと、ニシキギは瑞樹の唇に何度もついばむように軽く唇を重ねた。

 瑞樹は混乱して顔を逸らす。

「ニシキギ? 待って、それ私じゃないよ。ハデス駅に着いたのはディモルフォセカだよ。私じゃない。時間も場所も人もめちゃくちゃじゃない?」

 瑞樹は動揺して掠れた声で反論する。

「そうだ。だからお前に言ってる。お前だったら、そうしたと……俺は言ってる」

「な、何言って……」

 瑞樹に続きを言わせず、ニシキギは瑞樹の唇に深く自分の唇を重ねた。

 瑞樹は混乱した頭で懸命に考える。この人はあのハルの薄暗い地下都市でディモルフォセカを、過去の自分を待っていたのだ。光を求める植物のように、雨を待ちわびる早苗のように……。

 頭の中がじんわりと痺れて、瑞樹の体から抵抗する力が抜けて行く。瑞樹の唇を割ってニシキギの舌が侵入してきた。その瞬間、瑞樹の脳裏に赤い夕陽が射したような気がして我に返る。

「ニシキギっ、やめて、嫌だ。こんなの反則だよ?」

 瑞樹の掠れた、しかし静かな声にニシキギが力を抜いた。

「嫌か?」

「……よく分からない。ニシキギの事は嫌いじゃない。でも、私は私が一番よくわからない。だからどうしたらいいのか分からない。ごめんなさい」


「……悪かった。寝起きで理性がどこかに行っちまってたらしい。俺には残念なことなんだが、崩壊が止まったみたいだから焦ってしまった。悪かったな……。でも言ったことはすべて本当だから」

 そう言ってニシキギは体を起こした。

「え? 崩壊が止まった?」

「ああ、実はあんたがうなされる前から目が覚めてたんだ。試しに離してみたら十分経っても光は放出しなかった。その後はあんたがうなされてしがみついてきたから分からないけどな。恐らくもう大丈夫だろう」

 動揺して耳たぶまで赤くなって縮こまっている瑞樹を一瞥すると、ニシキギはドアを開けてリビングに行ってしまった。

 瑞樹はベッドの上に起き上がって呆然とする。恐々と左手を見るが一筋の光も放出し始める気配がなかった。


 リビングにはトウキとカナメがいた。トウキはドアの外を見るモニターの前に座っていて、カナメはリビングのソファーの上で転寝(うたたね)をしていた。正樹は、もう一つの小部屋で眠っているとのことだ。瑞樹がリビングに顔を出すとカナメが迎えてくれた。

「良かった、崩壊が止まったんだってね」

「……うん」

 なぜだろう、カナメの目を見るのが怖い。

「崩壊が止まった森の民なんて初めてじゃないか?」

 ニシキギが水を飲み干して言った。

「私、森の民なのかな。森の民で誰かに触れられただけで崩壊してしまった人はいるの?」

「いや、記録ではなかったよ」

 カナメは少し青白い顔で答えた。

「その件で医療センターが事情を聞きたがっているから、朝になったら一度医療センターに行かなければならない」

「ドクター・ヌンのところ? 私、あの人苦手だ」

 瑞樹の言葉にカナメは苦笑する。

「たぶんここに出入りしているメンバーはみんな苦手だろうね」

「医療センターと何かあったのか?」

 ニシキギが眉間にしわを寄せて問いかける。

「ああ、ちょっとね。後で説明するよ。それより瑞樹は何か飲まなくていいの?」

「……ポモナジュースが飲みたいかな」

 瑞樹は、ソファーにぐったりと座りこんで言った。

「了解」

 カナメが立ち上がろうとするのをトウキが止める。

「ポモナジュースなら、私が持っていきますよ」

「いや、いいんだ。君は見張っててくれ」

 カナメはそう言い残すとキッチンに入って行った。カナメは大ぶりなピッチャーにポモナジュースを入れて運んできた。

「どんだけ入れてきたんだ?」

 ニシキギが呆れて眉を顰める。そのポモナジュースはただのポモナジュースではないらしく、微かに鼻腔をくすぐる甘くてスパイシーな香りを漂わせていた。

「この分量でないとうまく作れないんだそうだ。よく分からないけど……ディムがそう言っていた。たくさんあるから、君も飲めば?」

 カナメはピッチャーをテーブルにごとりと置いた。

「これって!」

 瑞樹は注いでもらったジュースを一気飲みした。

「ああ、そんなに慌てて飲んだら……」

 カナメが言い終わらないうちに、瑞樹がむせて咳きこむ。

「ほら、慌てて飲むから……」

 カナメは瑞樹の背中をさすりながら溜息をついた。ディモルフォセカと瑞樹、共有しているのは記憶だけのはずなのに、この二人、どこまで似通っているんだろうか。

「俺ももらうぞ」

 ニシキギはジュースを口に含んで、呆然とカナメを見つめた。

「これは……森の民の病人用ポモナジュースだ」

 ポモナジュースはそのままで飲むと強いので、病気の時には少し薄めて、薄めた代わりにその他の香辛料や甘味料で味を調節するのだが、それぞれの家庭で微妙に味が異なるのだった。

「やっぱり君も飲んでた?」

 カナメが面白そうにニシキギに問いかけた。

「これはオーランティアカ家の味なんだな。飲みやすい。俺んちのエウオニムス家のはもっとスパイシーで、俺大嫌いだった」

「ふーん、私、これ大好きだったけどなー」

 当然のことのように一人称で語る瑞樹に、ニシキギは溜息をつき、カナメは哀しそうに笑った。



*   *   *



 目覚めた時、273号室の部屋にはトウキ以外誰もいなかった。

「トウキ、みんなは?」

「なんだか、皆さんそれぞれに急用ができたようで、たった今バタバタと出て行ったところなんですよ」

 トウキが微笑みながら言った。昨夜はこの部屋で眠って、夜通しトウキが見張っていてくれたらしかった。

「体の調子はどうですか?」

「う……ん、本調子ではないみたいだけど、大丈夫みたい。トウキ、ありがとう、昨夜はずっと見ててくれたの?」

 立ち上がると頭がフラフラする。

「ソファーに座っていてください。そんな風にフラフラしながら歩き回られたら心配でいけません」

 トウキに肩を押されてソファーに倒れ込んだ。

「今、食事を用意します」

 キッチンに消えたトウキを目で追うと、273号室の入口に外を見るためのモニターがあるのに気がついた。これで外から誰が来たか見てたんだ。初めてこの部屋に入った時に、カナメが待っていたように立っていたのを思い出した。

 そのモニターに、突然イベリスが映ったのを見て瑞樹は悲鳴を上げた。何故なら、イベリスはズタボロの状態で廊下に倒れ込んだからだ。瑞樹の悲鳴にトウキが出てきて、同様にモニターを見つめる。

「瑞樹、あなたは何があっても、絶対この部屋から出てはいけませんよ、わかりました

か?」

 トウキが厳しい瞳で瑞樹を見つめた。瑞樹は頷いたが、頭の中が痺れているように、実

感が乏しい。トウキはしばらく瑞樹を心配そうに見つめていたが、ドアを開けて、イベリスの様子を見に行った。

 モニターを見つめている瑞樹の目の前で、トウキが不自然な様子で、イベリスと同様に倒れ込むのが見えた。イベリス以外に誰かがいるのだ。

 瑞樹の中で警鐘が鳴り響く。

「誰か……誰か、助けを呼ばなきゃ」

 

 273号室のすべての部屋を探して回る。0コールも押してみたが、回線が繋がっていないのか、呼び出し音すらならない状態で、瑞樹は徐々にパニックに陥った。出てはいけないと言われているものの、モニターに映った状況は良くないものだった。イベリスの頭の下には血が広がっているのが見えるし、トウキは倒れた足の先だけしか見ることができない。

 考えあぐねた瑞樹は、(つい)に思い余って273号室のドアを開けてしまった。

「イベリス! 大丈夫なの?」

 イベリスだけをドアの中に引き込めばなんとかなるかもしれない。そんな考えが甘い事だったのだと気づいたのはドアを開けた瞬間だった。

 一旦開いたドアは瑞樹の力で閉められる状態ではなかった。モニターに映らないように潜んでいた人数は、瑞樹の想像を遥かに超えたもので、瑞樹にできることはイベリスに駆け寄ることだけ。

 あっという間に何か薬の匂いを嗅がされて、瑞樹は気を失ってしまった。


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