第五話 穿たれた薄闇で拮抗する力(3)
「そろそろ終わりだな」
ニシキギがほっとした顔で呟いた。
さっきから瑞樹の顔色がどんどん悪くなっているのに気づいていたからだ。
「もう少し、待ってくださらんか? そろそろ大人たちが戻って来る頃だ」
長老は瑞樹の顔色など全く気にならない様子だった。
「おい、いい加減にしろよ。瑞樹は力を使いすぎて弱ってきている。森の民のあんたなら力を使い過ぎればどうなるか、わかっているはずだろうが!」
ニシキギが長老に抗議する。
「お前、その顔はエウオニムスの家の人間だろう?」
長老は嘲笑するような表情で言った。
「……だったらどうなんだ?」
一段と低い声でニシキギは言って長老を睨みつけた。
「ニシキギ、私は大丈夫だから」
瑞樹が弱く制止する。アール・ダーでのニシキギの辛さを自分のせいで掘り起こしたくはなかった。
「シーカスは立派な森の民だったが、その兄はさっぱりだった。確かニシキギという名前ではなかったかな」
「やめて!」
瑞樹は長老を睨みつける。
「力を使えないどころか、そいつがいると他の者も力を使えなくなるという噂があったらしいな? それでアール・ダーを追放されたとか」
「やめてって言ってるでしょう? それ以上ひどいことを言うなら、私は一切力を貸しませんよ?」
瑞樹は今までこれほど怒りを感じたことはなかった。なんて卑劣な! 体中が震えて来る。
「瑞樹、いいんだ、俺はなんとも思ってはいない。事実だからな」
ニシキギは暗い瞳で嗤った。
「……じいちゃん、でも彼の言う通りだ。彼女は顔色が悪いぜ?」
年長の子供なんだろう、瑞樹と同じくらいの年頃の少年がそう言った。
「また明日でも明後日でも、体調が戻ってから来てもらえばいいじゃねーか」
虚を突かれたように長老は少年を見た。
「……それもそうじゃな。わしとしたことが、ついムキになってしまった。ソーマに頼らずに力を使えたのが相当嬉しかったらしい。すまなかったな」
長老は頭を下げた。ここは折れた方が得策だと考えたのかもしれない。
「じゃあ、俺で最後だ。俺の名前はエニシダだ。よろしくな」
年長の少年は手を出した。
瑞樹はほっとした様子で手を出したが、手が彼に触れる瞬間、瑞樹は手を止めた。何か彼の手の先から、恐ろしい程の陰の力の渦を感じた気がしたからだ。エニシダが不思議そうに首を傾げる。
「あ、ごめん。よろしく、瑞樹です」
瑞樹が気を取り直して手を握った瞬間、体中に電気が走ったのを感じた。
弾かれたように瑞樹は後方に退いて、勢いで尻もちを付いてしまう。
「瑞樹?」
正樹が駆け寄ると、瑞樹は左手を押さえるようにして震えていた。
「正樹ちゃん、私……私……」
呆然とした瞳で正樹を見上げる。右手で握手をしていたにもかかわらず、瑞樹は左手を庇うように座り込んでいた。
「どうした? 見せてみろ」
正樹が掴んだ左手は金色の光で覆われていた。
「これは?」
正樹は目を見張る。
金色の細かい光の粒子が、まるで切り傷から流れ出す血のように左手の指先から滲みだしていた。金色の光は、その量を徐々に増やしながら瑞樹の左手を覆っていく。
周囲がどよめいた。
「崩壊?」
誰からともなく声が上がる。
「このやろう! おまえ瑞樹に何をしたんだ」
ニシキギがエニシダに掴みかかる。
「な、何もしてねーよ」
エニシダは胸倉を掴まれながら呆然と呟く。ニシキギはその様子に舌打ちを一つすると瑞樹に駆け寄った。瑞樹は手だけでなく体中金色の光で包まれ始めていて、意識は既に朦朧としているようだった。
「ニシキギ! どうしたらいいんだ?」
正樹が慌てふためいてニシキギに助けを求める。ニシキギはこんな風に力を開放して死んでいく森の民を何度も見たことがあった。
「……どうしようもない」
ニシキギは呆然として瑞樹を見つめる。脚ががくがくするのを感じる。
「医療センターへ連れて行こう」
正樹は瑞樹を抱きかかえる。
「瑞樹……瑞樹……」
ニシキギは名前を呼びながら左手を握り締めた。
瑞樹を抱えて早足で歩いたため、正樹とニシキギの後ろに金色の光の帯が流れて行く。
事態の深刻さを知らない子供たちは、その美しさに歓声をあげ、事情を知らずに引き上げてきていた大人たちは、何事かと振り向いた。
* * *
「なあ、気のせいかもしれないんだけど、光の出方が少なくなってないか?」
薄暗い通路を早足に歩きながら、正樹がニシキギに問いかけた。
「……俺もそう思ってた」
「実は俺、もっと前から気づいてたんだ。あんたが瑞樹の手を握った瞬間に光の出方が少なくなったって思う。試しだけど、ちょっとだけ離してみてくれるか?」
正樹の言葉にニシキギは不思議そうな顔をして頷いた。ニシキギが手を離して十秒程経った時、光が大量に出始めた。
「おい! 早く握れよ!」
正樹が慌てる。
「あんたが離せと言ったんだが……」
ニシキギは再び瑞樹の手を握り締めた。
「さっき森の民の長老が言うてたことは本当なのか? アール・ダーを追放されたとか……」
静かに正樹が問いかける。
「ああ、本当だ。俺が近くにいると力が出せないと苦情が来てな、普通は力がないくらいで追放されなどしない。俺ぐらいじゃないか? 追放なんて……」
「そうだったのか……そんなら、それがあんたの力だったって訳だな」
ポツリという正樹をニシキギは驚いたように見つめた。
「俺の力?」
「そう、それがあんたの森の民の力だったと言うことだ」
正樹はニシキギを真っ直ぐ見つめて言った。
ニシキギが触れていれば力の放出が止まることが判明したので、とりあえず医療センターには行かずに273号室に瑞樹を連れて帰ることにした。
「何があったんだ?」
連絡をしたら、すぐにカナメとトウキがやって来た。正樹が事の顛末を話す。
273号室の部屋は二つのベッドルームとリビングからなっていて、それぞれのベッドルームにはバスルームが付いている。リビングにはキッチンとダイニング、そして、備え付けの画像モニターの前にはソファベッドが置いてあって、そこでも休憩が取れるようになっていた。瑞樹はリビングのソファベッドに横たえられていた。その横に椅子を寄せてニシキギが瑞樹の手を握っている。
「触れられただけで崩壊するとは……。しかも、崩壊が止まるなんて……。どれも聞いたことがない……」
カナメは複雑な表情で呟いた。
「彼の力を借りれば、オリジンタイプやマルチタイプの再生ができるということになりますね」
トウキが思案顔で言った。
「だが、こいつの崩壊はいつ完全に止まるんだ? 離すとすぐに光が出始めてしまうんだが……」
ニシキギが顔を顰める。その場にいる皆が沈黙する。
「……第一と第二エリアEの両方の長老に会ったんだね。どうだった?」
カナメが問いかけた。
「俺は森の民の長老は曲者だと思ったね。あの人は力を使えるようになることばかりを考えていて、他が見えていない。その為だったら何でもするって感じだったな」
正樹が言う。
「ファームの民の長老だって怪しいものさ。瑞樹の備考欄にEMと書かれているのを知っていながら、知らんぷりして、さっさと中に入れたんだからな」
ニシキギが口を挟む。
「なぁ、備考欄のEMって何の略だ?」
「Earth Multi の略だよ。ちなみに今いる森の民の備考欄に付いているHRはHaru Receptor の略だ」
カナメが説明する。
出自の惑星名と森の民のタイプが書かれていたのだ。
「やっぱりそうだったのか。あの場でそれを言うと瑞樹は完璧に入れてもらえそうになかったから黙っていたが、おそらく、長老ならわかっていたはずだよな」
「ニシキギの備考欄にも書いておくべきだな。さしずめHSと言ったところか?」
正樹がからかうように言う。
「HS?」
ニシキギが嫌そうな顔で問い返す。
「Haru Stopper」
「やめてくれ。あんな連中の仲間になるのはごめんだ」
「しかし……EMにHSか。天然記念物並みの貴重種なんじゃないか?」
呟く正樹をニシキギが睨みつけた。
バスルームが近いからと奥の部屋で瑞樹とニシキギは休むことにした。離れていて問題がないのは一分程、それを過ぎると突然光が溢れだす。五分も離れていると光の塊になってしまう。トイレに行く間の時間でさえ節約する必要があった。
「まだ意識が戻らないな」
正樹が心配そうに瑞樹の青白い頬を撫でた。
「こんなことが起こるなんて考えてもみなかったよ。調べてみたんだけど、触れられただけで崩壊が始まった例は今まで全く無かった」
当の瑞樹と同様に青白い顔をしたカナメが言った。
「あんたそんなの調べてたんか?」
正樹がカナメを見つめる。
「うん。エニシダは長老アドニス・アムレンシスの孫にあたるらしい。彼以外にも瑞樹を崩壊させてしまう森の民がいるのか……気になるところだな」
カナメは難しい顔で呟いた。
「瑞樹は第二エリアEに立ち入り禁止だ。第一にも行かない約束をセージとしていたから、地球のエリアEにはもう行けないな」
ニシキギが肩を竦める。
「セージ? 誰だっけそれ、どこかで聞いた気がするけど……」
カナメが首を捻る。
「ミントの配偶者だそうだぜ?」
「ああ、そうだった。忘れてた。セージと瑞樹は何かあったのか?」
「セージの前で瑞樹が力を使っちまったんだ。恐らく瑞樹も意識しないまま放出しちまったんだろうけどな。あんまり貧弱な星ぶどうだったから、思わず力を出しちまったんだろう。それでセージが二度とここに来るなと。瑞樹はその星ぶどうを処分しないと約束する代わりにその要求を呑んだんだ」
「そうか……」
ファームの民とも森の民とも、あまり良い状態で会えなかったという事かとカナメは重い気持ちで呟いた。
彼女は森の民でなく、ファームの民でなく、力を持ち、そして孤立している。ニシキギの話は彼女の立場がハル共和国でさらに微妙になってしまったたことを表しているようにカナメには思えた。