第五話 穿たれた薄闇で拮抗する力(2)
その日は、前の日から正樹とトウキに第二エリアEに連れて行って欲しいと頼んでいたにも関わらず、トウキが別件の用事で一緒に行けないことになって瑞樹はがっくりしていた。仕方なく、正樹とエリアFに行くことにして273号室で正樹の大脳コンタクトが終わるのを待っていると、ニシキギがやってきた。
「第二エリアEに行きたがってるんだって?」
「うん、そうだけど……なんで知ってるの?」
「トウキから一緒に行ってやってくれと頼まれた」
「ふぅん」
トウキはあれから微妙に瑞樹の言動や行動を細かく監視するようになってしまっていた。
あの後、割とすぐ立ち直って普通にしていたと思ったんだけどなーと瑞樹は考え込む。
「トウキがダメだったんなら、俺に直接言えばいいだろう?」
「だって、ニシキギ忙しそうだから……」
「時間を調整すればいいことだ。遠慮せずに言えばいい」
「ふぅん」
怪訝そうな顔でニシキギを見上げる。
「なんだ?」
ニシキギは不審そうに瑞樹を見つめた。
「親切なニシキギには何か裏があるような気がして……」
後が怖いと続けるつもりだったのが、頭をはたかれて、言いそびれた。
「人の親切は素直に受け取るものだ」
ニシキギがそう言ったところで、正樹が振り返った。
「ごめん、待たせたな。行こうか」
第二エリアEは、第一エリアEとは真反対のエリアAのさらに向こう側に広がっていた。恐らく後から付け足したのだろう、第二エリアEに続く通路は幾分狭くなっている。狭い通路を抜けた所に重々しいドアがあって(ちなみに、どのエリアEも重々しいドアが付いている)、その脇に小部屋が設置されている。そこには遮光服やサングラスが備え付けられていて、色素の薄い者が自由に使えるようにしている。
「ハデスのエリアEに行った時は、こんなの付けなくたって良かったんだけどなー」
サングラスをつけながら、何気なく呟いた言葉に正樹が反応する。
「ハデスのエリアE? それって、まさか……惑星ハルのハデスのことか? 行ったこともないのに?」
何か不気味なものでも見るように言う。
「あれ? 私、今そんなこと言った?」
「……」
ニシキギも不審そうな顔で頷く。
「はぁ、駄目だな、ハルに来てからディモルフォセカの記憶が浮上しまくって、時々自分でも何だかよく分からないようになってるみたいだよ」
「前から気になってたんだけど、お前の中にあるディモルフォセカの記憶って、お前の中ではどのような扱いになってるんだ?」
正樹が難しい顔をして訊いた。
「どんな扱いって……どう説明したらいいんだろ、うーん、過去の自分って感じ?」
瑞樹は首を捻りながら言葉を探す。
「ふーん」
それって、過去にあいつの配偶者だったってことになるじゃないか……。
正樹は難しい顔で黙りこんだ。横を見るとニシキギも同様に難しい顔をしている。
重々しいドアを開けると、そこは光の中だった。
「俺もサングラス掛けた方が良かったかもしれないな」
正樹が眩しそうに眼を細めた。
「……」
瑞樹はその横で呆然としていた。
荒んでいる……。その言葉しか浮かばない。
第二エリアEの植物は荒んでいた。一言で表すならば、その言葉がぴったりだった。
「第一エリアEと雰囲気が違うな、なんか……なんて言っていいのか分からないけど……荒れてる?」
正樹が遠慮がちに言う。
「正樹ちゃん、第一には行ったの?」
「ああ、この前お前を探し回った時に行った」
瑞樹がサンセットビーチに行った日、正樹は瑞樹のことを探し回っていてくれたのだ。
「その節は……ごめんなさい」
瑞樹は項垂れる。
「別にもう怒ってないよ。お前が無事だったからな」
瑞樹は更に項垂れた。
第二エリアEは雑草だらけで、虫食いだらけで、花がらは残り放題で、熟れ過ぎた果実がぼたぼたと落ちている木さえある。人影はなく、時折、遠くで子供たちが泣いたり喧嘩したりしている声が聞こえる。
「このまま奥へ行ってもかまわないのかなぁ」
ちょっと不安になって瑞樹がニシキギに話しかける。
「構わないだろう」
ニシキギはすたすたと進んで行った。
その時、木陰から突然小さな男の子が飛び出してきた。濃茶の髪に翠色の瞳が、瑞樹たちに気づいて大きく見開かれる。
「おねぇちゃん達、誰? 見学に来た人?」
子供特有の良く通る高い声が響いた。
「うん、見学に来た人だよ。私は瑞樹、君は?」
瑞樹は膝を折って、その子の目線に合わせて話しかけた。
「僕、レン、本当の名前はレンゲって言うんだけど、みんなレンて呼ぶよ」
翠色の目がキラキラと光りを弾く。
「レン、ここは大人の人はいないの? 勝手に見学してもいいのかな?」
「大人は奥にいるよ、でも話しかけても無駄だと思うな。見学は勝手にしていいんじゃない? あんまり見学者なんて来ないから案内する人もいないしね」
小さい割に言う事はしっかりしている。
「話しかけても無駄って、どういうこと?」
「あそこにもいるよ、来てみなよ」
レンは手招きするとヒソヒソ声で言った。
瑞樹は正樹とニシキギと目を合わせて首を傾げるとレンについて行った。
少し奥まった大きめな木の根元に男の人が一人座り込んでいた。その人は焦点の定まらない瞳で木の梢を見上げて、何かぶつぶつと呟いていた。
「あの、見学をしたいんですが……あの?」
その人は瑞樹の声に反応しない。困り果てた瑞樹はレンを見つめる。
「ね? 話しかけても無駄でしょ?」
レンは得意そうにそう言った。
「大人はみんなこんななの?」
「昼間はね。夕方になると元どおりになるんだけど、昼間はほとんどの大人がああだよ」
「子供たちの面倒は誰が見てるの? ご飯はちゃんと食べてるの?」
瑞樹は急に子供達の事が心配になった。
「ご飯は年長のお兄ちゃんかお姉ちゃんが出してくれる。何かあれば長老さんがどうすればいいのか教えてくれる」
食事はモルオープンから取り出すだけだ。食事は問題ないかもしれない。でも、これでいいんだろうか?
「大人はどうして昼間あんな風になってるんだ?」
ニシキギが訊いた。
「おじさん、名前は? 名乗らない人には僕、何も教えないよ」
レンが凄んで見せる。
「おじさんだとー! この小生意気なガキめ。俺はニシキギだ。よっく覚えとけ」
いつになくムキになっているニシキギを面白そうに見ながら、瑞樹が同じ質問を繰り返す。
「霊薬ソーマのせいだよ。大人はそれをすごく薄めて飲むんだ。そうすると何時間か力が使えるようになる。夕方になる頃には効力が切れるから元に戻るんだ。そうしないと、今の僕たちは力を使う事ができないからね」
レンは悲しそうな顔をしてそう言った。
「森の民はリセプタータイプしか再生できないんだったな」
正樹が考え込んで言った。
「お兄ちゃんは一般人? 名前は?」
一人だけおじさんと認定されたニシキギが顔を顰めたのが見えた。
「ああ、ごめん、俺は正樹って名前だ。一般人って言っていいんだと思うけど、俺も瑞樹も地球人だ」
「地球人?」
レンは珍しい果物の名前でも呼ぶようにその言葉を口にした。
「ねぇ、レン、ここは少し手入れが必要だって思うよ。雑草抜いたり、落ちた実を拾ったり、そう言う事を小まめにすることが森を元気に保つことになるんだよ?」
瑞樹がレンの目を覗き込んで真剣に言う。
「でも、大人はああだし……」
少し拗ねた顔で目を逸らす。
「ねぇ、子供たちでやらない? みんなで力を合わせれば子供だけだってできるよ。他の子に声を掛けてみたら、手伝ってくれないかな?」
瑞樹は嬉しくなって、はしゃいでしまう。私にできること、あるじゃん。
植物の手入れは瑞樹の大得意だ。夢はガーデナーだった。そう、ハルにかかわる前までは。今は太陽光の下に長時間いられないので、諦めた夢だった。
「う……ん、ま、一応声を掛けてみるけど……」
「うん、頼むね。私は鋏とかカゴとか探してみるよ」
それから小一時間ほど、集まった子供たちで力を合わせて、草取りや枯葉取りや花がら摘みに汗を流した。最初はニシキギも正樹もぶつぶつ文句を言っていたが、次第に子供たちも懐いてきて、和やかな雰囲気の中、第二エリアEは少し秩序を回復してきたように見えた。
子供たちの騒がしい声に何事かと出てきた長老が目を見張る。
「これは、これは……お前たちがやったのかい?」
白髪交じりの茶髪に覆われた頭と、髭をたくわえた荒削りな顔、がっしりした体型の男が子供たちに話しかけた。、長老と呼ばれるには少々年若に見える。
「瑞樹がみんなでやろうって言ったんだ。瑞樹と正樹はね地球人なんだって!〉
まるで自分の手柄でもあるかのようにレンやその周りの子供たちが口々に説明する。
「地球人だって?」
長老は目を細めた。
「初めまして、いきなりやってきて、勝手なことをして申し訳ありませんでした。正樹と言います。地球の日本と言う国から来ました」
正樹が長老に握手を求める。
「あなたがそうですか。地球人が来ているとは噂で聞いていましたが……」
長老も手を差し出して握手をした。その時、後ろでどよめきが起こった。皆が一斉にそちらを注目する。
そこでは瑞樹が森の民の女の子を後ろから抱きかかえるようにして立っていて、瑞樹はその子の手首を下から握って支えていた。女の子の指先には少ししなびた雰囲気のポモナの小木があったが、女の子が触れた途端に葉を瑞々しく膨らませて小さな蕾をつけた。
「彼女は?」
長老が慌てたように正樹を見つめる。
「あれが瑞樹です。あんな力を持っていたなんて……今まで信じてなかった」
正樹も呆然としている。
「あなたは、今、何をしたのかな?」
長老は慌てて駆け寄って瑞樹に問いかけた。瑞樹は突然の長老の出現に少し驚いたようだった。
「何って……この子、力を使った事がないって言うから、使い方を説明して、少し補助を……」
しどろもどろに説明する瑞樹の手首を長老がぐいっと掴んだ。
「な、何をするんですか? 痛い!」
驚いて手を引っ込めようとする瑞樹の手首をさらに強い力で掴み、長老は目を閉じた。
「本当だ……力が流れ込んでくる。タイプオリジンだ!」
「おい! やめろ!」
ニシキギが瑞樹の手首を長老から引きはがす。離れたと同時に瑞樹はニシキギの後ろに隠れた。びっくりして心臓がドキドキしている。手首の痛みだけでなく、何か頭の中に小さな空洞ができたような気がして、体がぐらりと傾く。
「おいっ! 瑞樹しっかりしろよ」
正樹が瑞樹を支えた。
長老は意に介する様子も無く、先ほど蕾をつけたポモナの木に手を触れた。蕾はあっという間に花をほころばせ、見る間にビー玉程の小さな実を結んだ。
「力が使える……。ソーマなどに頼らずとも力が使える」
長老は恍惚とした表情で天を仰いだ。
ニシキギの後ろに隠れている瑞樹の元に子供達が群がって来た。瑞樹に触れようとする小さな手が四方八方から伸びて来る。瑞樹は驚いてピクンと小さく飛び上がった。
「おい、お前ら一度に瑞樹に触れるなよ、並べ!」
正樹が号令を掛ける。
「おい、もう連れて帰った方がいいんじゃないのか?」
ニシキギが正樹を制止する。
「連れて帰れる雰囲気じゃないぞ?」
正樹は眉を顰める。
「しかし……」
ニシキギは不安になる。森の民の力は命を削るのだ。
「レン、お前は並ぶな」
正樹が顔を顰める。
「なんでさ」
レンが思いきり不満そうな顔を向ける。
「お前、今までさんざん瑞樹にべたべたひっついていただろ? 力使ってみろ。使えなかったら並べ」
「そっか」
レンは力を試しに行く。そして歓声が上がった。
「使える! 使えるよ。僕生まれて初めて力を使った」
レンの嬉しそうな声が響く。
「お前らも使えるかどうか試してみて、使えなかったやつだけ並べ」
ニシキギが怒鳴ると蜘蛛の子を散らしたように子供たちは散っていった。半数くらいの子供たちが並んだ。その一人一人と握手をしていく。
何人もと握手しているうちに、握手する時の力の出方が人によって多少異なることに瑞樹は気づいた。
何も感じない者、ぐらりとする程何かが抜け出すのを感じる者、その中間の者。何も感じない者は力が出せないのじゃないかと思って観察していると、別に問題なく力を使えているようで瑞樹はほっと安心する。みんなが力を使えるようになった時に、一人だけ使えないというのは可哀想な気がしたのだ。
そう考えて、ふとニシキギが気になった。
彼は一人だけ使えなかったのだ。そしてアール・ダーを追われた。それは途轍もなく切なく辛いことに思えた。