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第四話 冴えた緑陰の下での胎動(5)

「トウキ、ご苦労だったな。後は俺が引き受けよう」

 ニシキギは訳知り顔な様子で言った。

「私も部屋まで送ります」

 トウキは瑞樹の手を離そうとしない。ニシキギは怪訝そうな顔でトウキを見つめた。

「トウキ、しばらく瑞樹から離れていて欲しいんだ。君がいると……瑞樹は考えることができない」

 ニシキギは思考を止めているような無表情の瑞樹を見ながらそう言った。トウキは一瞬はっとした顔をして瑞樹を見てから、哀しそうな表情になって、そっと手を離した。

「わかりました。後をお願いします。それからこれ……」

 トウキはニシキギに火傷の薬を手渡す。

「ビーチで日焼けさせてしまったので」

 そう言うと、トウキは瑞樹の方を見ずに立ち去った。


「私……トウキに酷いことしてしまったみたいだね」

 瑞樹は小さく呻いて項垂れた。

「前にも言ったことだがな、あれはアンドロイドだ。人間と同じように感じてる訳じゃないぜ?」

 ニシキギは少し呆れたように瑞樹に返す。

「そうかな……あんな表情されたら人間と同じだよ。絶対私、トウキに酷いことしたんだって思うよ」

「おい、ぶつぶつ言ってないで行くぞ」

 ニシキギはさっさと地下都市へ向かうエレベーターに向かった。瑞樹がとぼとぼとそれについて行く。

「あれ? 部屋へ行くんじゃないの?」

 てっきり273号室に連れて行かれて、事情を訊かれるんだと思っていた。どう説明したらいいのか分からなくて途方に暮れていた気持ちが、少し肩すかしを食らった気分になる。

「あんた退屈していたんだろ? あんな部屋に戻ったら気が滅入るだけだぜ?」

「でも、じゃあ、どこに行くの?」

 ニシキギはそれには答えずにカフェテリアにずんずんと進んで行った。ニシキギは迷うことなくカウンター席に座って、飲み物をオーダーする。

「トム、ナイトビーチをアルコール少なめにして作ってくれ。俺にはメムシンをロックで」

「はい」

 トムと呼ばれたバーテンダーらしき人は正確な動きで注文の品を作り始めた。

「私、未成年だよ、アルコールは飲めない」

「十八歳だろ?」

「日本ではアルコールは二十歳からだもん」

「ハルでは十八歳からOKだぜ?」

「だって私、日本人だし……」

「お前はハル人でもある」

 ニシキギの返事に瑞樹は目を見開いた。

「私がハル人?」

「まだ聞いていなかったか?」

「聞いてないよ」

 瑞樹は呆然と答える。

「ハル共和国の施設に入れるのはハル国民だけだ。それ以外は入れないように規制している」

 瑞樹はハンサビーチにいたターウの言葉を思い出す。彼の言う事が正しかったのだ。

「じゃあ、正樹ちゃんは?正樹ちゃんもハル国民なの? 正樹ちゃんも何も知らない間にハル国民にされてしまったの?」

 もしそうなら、私のせいだ。

「彼は自分でそうなることを決めた。あんたとは事情が違う」

 初めてこの施設に入った時の訳知り顔の正樹の顔を思い出した。そっか、正樹ちゃんはちゃんと知っていてここに来たんだ。

 私だけか。何も知らないで、何も知らされないで、ここで何をしたらいいのかもわからないまま過ごしてるのは、私だけなんだろうな。ずぶずぶと気持ちが沈みこんで行く。


「おい、どこを火傷したんだ?」

 ニシキギの言葉に瑞樹はノロノロと顔を上げる。

「自分で塗る」

 瑞樹はニシキギから薬を受け取ると、足の甲に塗りこんだ。甲は真っ赤になって熱を持っている。

「まさかビーチを裸足で歩いたのか?」

 顔を顰めるニシキギを不思議な気持ちで見上げる。

「ビーチはサンダルか裸足で歩くに決まってるでしょ?」

「ふぅん」

 ニシキギは府に落ちない顔で首を傾げた。

「これから裸足でビーチを歩くときは夕方か夜にするんだな。砂浜は照り返しがきつい。俺は近づきたくもない」

「ふぅん、そんなもんかな。だけど夜の砂浜はあんまり裸足で歩きたくないな。何か嫌なものを踏んづけてしまいそうだし……」

「何か嫌なもの?」

 ニシキギは怪訝そうだ。

「クラゲの死骸とか魚の死骸とか人の死骸とか……」

「うう、なんて気持ち悪いものばかり想像してるんだ? 死骸ばかりじゃないか……」

 ニシキギは思いっきり顔を顰める。

「そんなのなら昼間だって落ちてるかもしれないだろう?」

「そうだね、でも、なんでだろう。昼間なら、太陽が出ている間なら大丈夫って気がするんだよね。そういうものって昼間は悪さをしないって気がするからかな。昼間ならただ気持ち悪いで済む物が、夜だと夜そのもの、闇そのものを踏んづけてしまった気がするからなのかもしれないな」

「なんだそれ?」

 ニシキギは不気味なものを見るように瑞樹を見つめてから溜息をついた。


 トムが夜空の色をしたカクテルを瑞樹の前に、夕焼けの色をした飲み物をニシキギの前に置いた。

「飲めよ」

「ナイトビーチか、夜空の色をしてるね。ニシキギのは夕焼けの色だ」

 瑞樹はしげしげとグラスを見つめた。

「俺のはジタンの水という意味の酒だ。地球では太陽の水だな。これはかなり強い」

「ふぅん」

 瑞樹は夜空色のカクテルをそっと啜った。甘い味と芳醇な香りが口いっぱいに広がる。瑞樹は一口飲んだ瞬間に呆然としてしまう。


 この味を……知っていた。

 初めて飲んだこの味を瑞樹は知っていた。さっきまで封印をしていた記憶が膨れ上がって、心の蓋をこじ開ける。涙が溢れて止められなくなった。嗚咽を堪えるので精一杯だ。

 そんな瑞樹の様子をニシキギは横目でちらりと見て、でも何も言わずに座っていた。バーテンダーのトムも何も言わない。


「……あいつが恋しくて泣いているのか? それとも嫉妬の涙か?」

 瑞樹が落ち着いてきたところでニシキギが静かに問う。瑞樹は驚いてニシキギを見上げる。

「ディモルフォセカの記憶で泣いているんじゃないのか?」

 瑞樹は悟る。

 この人は事情を聞いてあそこにいたんだ。教えたのはカナメだろうか、アーマルターシュだろうか。たぶんカナメだ。あの時目があったのはカナメだったから。カナメはディモルフォセカを心配しているんだと瑞樹は確信した。

「私は……このカクテルの味を知ってる。初めて飲んだのに知ってる。星ぶどうを使ってるんでしょ? 星ぶどうなんて見たことも食べたこともないのに、その形も色も味も知ってる。それをカナメが好きだったことも……知ってる」

 また涙が溢れて来る。

「……そうか」

「私は知らなくていいことはごちゃごちゃと色々知ってるのに、必要なことは何一つ知ってない。私は……何をやってるんだろ。相変わらず何も見えてない」

 言葉は続かず、できることと言えば、泣く事だけ……。相変わらず役にたたないと考えて、また悲しくなった。


「カナメとディモルフォセカはどんなだった? どんな風に愛し合って、どんな風に暮らしてた?」

 スパンと何の躊躇いもなしに踏み込んだ質問をするニシキギに、驚いて、瑞樹は顔を上げた。どんな風に……。記憶は、まるでストローの先から出てくるシャボン玉のように次から次へと湧き出してくる。瑞樹のものではない、幸せで、切なくて、甘やかな記憶……。

「……そんなこと……私が言える訳ないじゃん……。私のことじゃないんだし……」

 瑞樹の言葉に、しかしニシキギは安心したように頷いた。

「お前にしては上出来な答えだ。お前は日向瑞樹だ。ディモルフォセカではない。ペラペラしゃべるようなら釘をさしておこうと思っていた」

 ニシキギは小さく笑んだ。

「何それ……」

 ばっちり釘さしてるじゃんか……。

 瑞樹は憮然として、ナイトビーチをぐいっとあおった。



 *  *  *


 

「ニシキギ、頼みがあるんだ」

 さっきのカナメの声をニシキギは思い出していた。


「今から瑞樹が外から帰って来るはずだ。ちょっとしたハプニングがあったんだが、恐らくトウキがちゃんとキャッチしてくれているだろうから大丈夫だと思う。でも逆にトウキがいることで、瑞樹は心を開放できないかもしれない。君が引き取って、そうだな、できれば話を聞いてやって欲しいんだけど……。それが無理ならとにかく君が部屋まで送ってやってくれないか?」

 カナメの声はいつになく焦っているようだった。受信機からカナメの躊躇ためらいや迷いまでが伝わって来る。

「何があったんだ?」

「瑞樹がビーチに来ていたんだ。僕とアーマルターシュも例の件の下調べでビーチに行った……。僕らはそんな場所で瑞樹に接触したくなかったんだ。だから……」

 カナメは黙り込んだ。

「瑞樹を追い払うためにアーマルターシュがあんたにキスでもしたか?」

 ニシキギが冗談めかして言うと重い沈黙が返って来た。図星らしい。

「アーマルターシュはあんたに惚れてるからな。そんなチャンスは逃さなかったんだろうよ」

「こんな時に冗談はよしてくれ」

 ニシキギの言葉にカナメは真面目な声で反論する。

 アーマルターシュも報われないなとニシキギは気の毒に思う。

「とにかく瑞樹を頼む」

「なんで俺に頼むんだ? あの幼馴染の彼に頼まなくてもいいのか?」

「……彼は、ディモルフォセカを知らない」

 そう言うとカナメは黙り込んだ。

「あんたさぁ、自分で追いかけなかったことを後悔するかもしれないぜ? いいのか?」

「……じゃあ、頼んだから」

 そう言って通信は途絶えた。



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