第四話 冴えた緑陰の下での胎動(3)
サンセットビーチに来るのは初めてだ。ここのところずっと地球上を飛び回っていて、ハル共和国にいる時間がなかった。
アーマルターシュはタウンバスに初めて乗って南国の雰囲気を満喫していた。
隣に座っている人が、もうちょっと柔らかい表情で恋人らしく振舞ってくれていたらいいんだけど……。ちらりとカナメを見る。カナメはサングラスで表情が見えにくいにも関わらず仏頂面をしているのが分かった。
「ねぇ、カナメ、もう少し楽しげな表情をすることはできないの?」
「……なんで?」
カナメは仏頂面のままアーマルターシュを見つめた。
「恋人同士っていう設定なのよ。何の為にお揃いのシャツにしたと思っているの?」
「そうだったっけ?」
カナメは溜息をついた。
ビーチに偵察に行くことに同意したのは確かだが、恋人同士に変装して行くなんて聞いていなかった。
「その方が怪しまれないでしょ? なんたってビーチなのよ。カップルだらけよ。木は森に隠せって言うでしょ?」
「ビーチで働くウェイトレスとウェイターって設定に変えない?」
カナメが身を乗り出して提案する。
「却下、それじゃあ、店でしか偵察できないじゃないの」
アーマルターシュはカナメを睨みつけた。
サンセットビーチは島の最西端に位置している為、なんと言ってもその見せ場はその名が示すとおり日没だ。日没までにはまだ間がある。昼下がりの気だるい雰囲気がビーチにもカフェアリアにも満ち溢れている。恋人たちは木陰で横になり、甘い時間を過ごしているのかもしれない。ビーチではしゃいでいるのはもっぱら、良く日に焼けた日差しに耐性のある外国の子供たちばかりだ。
このビーチは遠浅な海がかなり遠くまで広がっていて、波は穏やかで澄んでいる。海岸線にそってアーマルターシュと寄り添って歩く。さっき売りつけられたパラソルをカナメが支える。腰に手を廻せと命令されたので、両手が塞がった状態で、カナメは深いため息をついた。
ビーチにも、さっき覗いた棟内のレストランにも目的の人物はいなかった。残るは外にあるカフェテリアだ。そこを覗いたら引き上げようとそちらに足を向けた。カフェテリアには何組かのカップルと家族と、まばらに独り本を読んでいる人がいた。その中に、しょんぼりと座って、溜息とともにサングラスを外した女性に目がとまる。カナメがその女性に気づいたと同時にその女性もカナメに気付いた様子だった。カナメは固まってしまう。どうしてここに? 咄嗟に浮かんだ言葉はそれだけで、思考が止まってしまう。
「どうしたのカナメ?」
まだ気づいていないアーマルターシュがカナメの腕に腕を絡める。
「ここは駄目だ。引き上げよう」
「なに? どうしたの?」
アーマルターシュがカナメの視線を辿る。そこには少し戸惑った様子の瑞樹がいた。
「なんで瑞樹がこんな所にいるの? トウキは?」
アーマルターシュは素早く辺りに目を走らせる。
「瑞樹と接触したくない。帰ろう」
カナメが引き上げようとするのをアーマルターシュが引きとめる。
「瑞樹にはあなたに近寄らないようにと言ってあるんでしょ?」
「君に近寄るなとは言っていない」
「じゃあ、近寄れないようにしましょ?」
アーマルターシュは艶やかに微笑むとカナメの首に手を廻し、口づけをした。
その瞬間、カナメはアーマルターシュの肩越しに、瑞樹の表情がスローモーションのように変化するのを見ていた。
驚愕、放心……次に見せた表情は何だったのか……カナメには判断ができなかった。
カナメは呆然と、瑞樹が走り去っていく後姿を目で追った。
間もなくして瑞樹がいなくなっていることに気づいたトウキと目が合う。
『トウキ! 瑞樹を追いかけてくれ。今彼女はタウンバスに乗り込んだ』
トウキに心を読ませる為に心のシールドを解除する。トウキは頷くと素早くビーチの出口へ向かった。
後年、カナメはこのシーンを何度も繰り返し思い出すことになる。あの時、アーマルターシュの思いつきに乗って、はっきりと瑞樹を拒絶していれば、もしかしたら瑞樹をあんな辛い目に遭わせずに済んだのではなかったかと……。僅か二年弱しか一緒にいられなかった最愛の妻の顔を持つ瑞樹。そんな彼女と会話をすることが楽しくない訳はなかった。別人なんだと何度も自分に言い聞かせ、距離を置くことに細心の注意をはらった。
そして、それは瑞樹にとっても、そうだったのだと認識した瞬間だった。