第四話 冴えた緑陰の下での胎動(2)
地上では、それぞれのビーチまでのタウンバスが運行されている。
瑞樹はタウンバスに乗ることを希望したがトウキに却下された。誰が乗っているかわからないし、突然のハプニングに対応できないという理由だ。トウキが運転する電気自動車に乗り込む。
車は森の中を軽快に駆け抜けてゆく。時々右手に木々の切れ間からハンサビーチの砂浜が広がっているのが見えた。ゆるい風が少しだけ開けた窓から吹き込んでくるが、潮の匂いはあまりしない。この辺りの海は塩分濃度が高いため、逆に潮の匂いがしないのだとトウキが説明してくれた。
「風が気持ちいい」
ひとりでに声が出てしまう。トウキが隣で微笑む気配がする。
「地下都市は退屈ですか?」
「ん、そう言う訳じゃないんだけど……」
最初は大人しく大脳コンタクトで勉強していたが、三日でくたくたになった。だからと言って、他にすることもない。学校のみんなは受験勉強してるのだろうか、そう思うと気ばかり焦ってしまう。しかし勉強したって受験できるかどうかわからないのだ。先の見えないトンネルの中にいるような気がしてしまう、先が見えないから早く出たいのだ、早く出たいから時間がなかなか進まない。たった二週間しかたっていないのにもう二か月もたったような気がしていた。
サンセットビーチは昼下がりを過ごす人でかなり混んでいた。
「おねーさん、ビーチに行くならパラソル必要ね」
突然声をかけられた。かけて来たのは濃い茶色の肌にクリクリの人懐こい柴犬みたいな黒い瞳。ちょっと太り気味で派手なアロハシャツを着たおじさんだった。
「おねーさん、ハルの人ね。パラソルいるね。ここで買えるね」
たどたどしいハル語で話しかけてくる。にんまり笑った顔は育ち過ぎたちびくろサンボみたいだ。
「お金持ってないんだけど……」
瑞樹は困った様に微笑み返す。
「ハルの人クレジットでオーケーね。今確認するね」
サンボはレジの値段読み取り機のようなものを瑞樹の脚に向けた。
「まいどありね!」
サンボは青緑の地に白い花の絵が描かれたパラソルを瑞樹に渡した。
「へ?」
何それ? 渡されたパラソルをさしたまま瑞樹はぼんやりと立ちつくす。
「瑞樹、行きましょう」
トウキが言った。
「お兄さんもパラソルいるね?」
そう言うサンボに
「僕は必要ないんだ、ありがとう」
トウキは、そう言うと瑞樹の手を引っ張った。
「ここで働いている人は元々この島の原住民が多いんです。とても親切で世話を焼くのが大好きな人たちなんです。人柄をかって、地上では彼らを雇ってるんですよ」
トウキは微笑みながら説明してくれた。サンボが少し心配そうな顔をしているのを振り返って見ながら瑞樹は頷いた。
「ねぇ、なんで脚でクレジットが払えたことになるの?」
「カナメがあなたに情報を書き込んだでしょう?」
「うん、あの、すっごく痛かったやつね」
「その時に身分証明書にもなると説明があったはずですが」
「そんなこと言ってたかな」
ほとんど無理やり書き込まれたから、カナメの説明はほとんど聞いてなかった。
「それを使えば自分のクレジットが使えるんです」
「なんで私がハルのクレジットを持ってるの?」
「何も聞いていないんですか?」
少し呆れたようにトウキが訊く。
「何もって何を?」
「今回、あなたは捜査協力の為にハルに雇われたことになっています。だからそれに応じたクレジットが支払われているのです。つまり給料が支払われている訳です」
「へぇぇぇぇ、知らなかった」
瑞樹は心底驚いた。給料もらって、一日何するわけでなくぶらぶらしていていいんだろうかと急に不安になる。
「いいんですよ。あなたはここに居て、安全に過ごすこと、それがあなたの仕事なんですから」
トウキは瑞樹の不安を読み取って穏やかに微笑んだ。
「ねぇ、ちょっと待ってて」
瑞樹はトウキに言うと、踵を返してサンボの方に走って行った。
「あの……もう一本パラソルもらえる?」
瑞樹がそう言うとサンボは満面の笑みを湛えた。
「あのお兄さんのか?」
「うん。プレゼントするの」
瑞樹も満面の笑みを湛える。
サンボは青い生地に白いイルカが描かれたパラソルを選んでくれた。
「はい! これトウキの」
瑞樹はパラソルをトウキに渡す。
「私は必要ないんですよ?」
呆れた顔でトウキが言った。
「プレゼント。トウキはハル人そっくりなんだし、パラソル使ってないと不自然でしょ? サンボも心配させなくて済むし。それに私、ずっとトウキにお礼したかったんだ。随分お世話になったからね。これからもよろしくお願いします」
瑞樹は頭を下げる。やはりこういう場合は日本式の仕草が一番心情にあっている。
「ありがとうございます。承知しました」
トウキは少し驚いた顔をした後、笑顔で答えた。
「ところで、サンボとは?」
トウキは怪訝そうな顔をする。
「さっきのパラソル売りの人。勝手に名前つけちゃった。子供のころに読んだ童話に出て来る主人公に似てたから」
パラソルをさして浜辺を歩く。幾重にもズボンの裾を折り返して靴を脱ぎ捨てた。素足に白い砂が纏わり付く。
「裸足になっていると火傷をしますよ」
トウキが注意する。
「砂浜で靴はないでしょ? すぐに戻るから」
そう言うと波打ち際まで小走りで歩く。足の裏が熱くてゆっくり歩けないのだ。水に浸れば火傷もしないだろうと考えたのが甘かった。波打ち際に辿り着くまでに砂の熱で火傷しそうだ。水はひんやりしていて気持ちがいい。波が引くときに足裏の砂がさわさわと抉られていく感触がくすぐったい。パラソルを持ち直して日差しを遮る。水平線は遥か遠く、青い空に真白な雲がにょきにょきと盛り上がっていた。
地球という水球の上にいる。
海に来て水平線を初めて見たときに思ったことだ。何度見てもそう思う。
ちっぽけな自分を痛いほど感じて、何故だかわからないけど、穏やかな気持ちになる。自分がした過ちなんて、実は大した事ないかもしれない。私が怒ってようが泣いてようが……例え……そう、死んだとしても、海はこうやって広がっているのだ、打ち寄せては引いているのだ。大丈夫。何事も大したことない……。
「瑞樹、そろそろ木陰に入ってください。足の甲が赤くなってきていますよ」
トウキに言われて足元を見てがっくりと項垂れる。
「あーあ、もうこんなに赤くなってるぅ」
何事も大したことないと今思ったばっかりだけど、撤回だ! 一大事だ! ヒリヒリするぅ。
「だから裸足はやめてくださいと言ったのに……」
トウキは顔を顰めると瑞樹を抱きあげて木陰まで運んだ。
「ごめんね。こんなすぐに赤くなるとは思ってなかったよ」
「ここは日本よりも日差しが強いと先ほど注意したはずですが……」
「そだったね」
瑞樹は弱弱しく頷く。
「今、薬を持ってきますから、ここで待っていてください」
「ありがと」
木陰のカフェテリアに一人残されて、瑞樹は溜息をついてサングラスを胸ポケットにしまった。