第一話 秋にやってきたハルの使者(2)
今、正樹は都内にある大学の近くで一人暮らしをしている。だからいつもは瑞樹の家の隣の実家にはいなかったが、今日は正樹の誕生日なので久しぶりに帰ってくることになっていた。
正樹と瑞樹は幼馴染だ。瑞樹の家と正樹の家は隣同士であるだけでなく、父親同士が友人であった為、正樹の妹の皐月も含めてほとんど兄弟のように育ってきた。だからそれぞれの子供たちの誕生日を二家族そろってお祝いをするのは恒例の行事になっている。今日は正樹の家で夕方からバースデーパーティーをする予定だ。
瑞樹の家では、母親が朝から台所を占領していたので、瑞樹のクッキー作りは昼過ぎにずれ込んでいた。いざ、作ろうとしたら材料不足だ。
「あなたは昔からドロナワ式ねぇ、少しも進歩しないわねぇ」
母から散々嫌味を聞かされて遮光用の重装備に身を包み外に出かければ、帰りは怪しげな外国人三名を拾って帰る事態に陥る。
「なんか、今日はついてないかも……」
瑞樹は一人ごちた。
警官は、結局瑞樹の家の前まで付いてきて母親とひとしきりおしゃべりをしてから、にこやかに帰って行った。
三人が持っていたパスポートは実に物々しいものだった。ラークスパーがハル国家主席補佐官兼通訳、アーマルターシュが報道官、そしてニシキギが特別補佐官の肩書を持っていた為、警官は顔を引きつらせながら、自ら目的地までの護衛を買ってでたという訳だった。
[ねぇ、ハルの国家主席って誰?]
瑞樹は、アーマルターシュとラークスパーの後を仏頂面でついていくニシキギに問いかけた。アーマルターシュは急に腰が低くなった警官に気を取り直して賑やかにおしゃべりを始め、ラークスパーはそれを日本語に訳しながら穏やかな笑みを浮かべ付いて行く。
一年前、ナンディーにいた時の、アーマルターシュとラークスパーの立場が逆転しているような気がする。肩書からするとラークスパーの方が偉そうだけど……。
[そんなこと訊いてどうする?]
ニシキギはぼつりと呟くように問い返した。
[別にどうもしないけど……訊いちゃいけないの?]
瑞樹は怪訝そうにニシキギを見上げる。遮光服を着てサングラスをかけているのでニシキギの表情はよく分からない。特に会えて嬉しいとか、久し振りで積もる話があるとかいう相手ではないけど、もう少し柔らかい雰囲気で会話できないものかと瑞樹は心の中で溜息をつく。
[あんたは知る必要がない。余計なことだ。どうせ色々無駄なことを考えて、無駄なことをするに決まっている。それに今、議会は会期中ではない。厳密な意味での国家主席はいない]
ニシキギは言葉少なに返事をすると黙りこんだ。
[なにそれ……さっぱり分かんない]
瑞樹は溜息をついた。訊いた相手が悪かったのだと心の中で自分をなだめる。
しかしニシキギは遮光服の中で穏やかに微笑んでいた。こんな風にしっかり顔を見て瑞樹と会話をするのは一年ぶりだ。だけど、ニシキギはすぐに視線をそらしてしまう。
遮光用のサングラスの奥に沈んだ瞳のエメラルド。会ったばかりの瑞樹は漆黒の瞳を持っていた。その二色がニシキギの中の何かを揺り起こそうとしているようで、すぐに落ち着かなくなってしまうからだ。
瑞樹は、ニシキギが無言で通りの家々や木々や空や太陽や近くを流れる水路などを眺めているのを見つめる。初めてカナメに大脳コンタクトでこの通りの記憶映像を見せた時、彼も同じような反応をしたのを思い出す。
カナメ……甘やかで温かいものがじんわりと胸に込み上げてきた。
[……カナメは元気にしてるのかな? ナンディーにいるの?]
大した事を訊いている訳ではないのに頬が上気して熱くなるのを感じる。
ナンディーというのはハルの宇宙船だ。彼らはこの船でエクソダスを果たしたのだ。着陸できない構造の大型船で、一年前は火星の軌道を回っていた。
[カナメは地球に来ている]
ニシキギは不機嫌そうに瑞樹の顔を見つめて言った。
[地球に?]
瑞樹は目を見張る。彼が、地球にいつ行くかわからないと言っていたのは一年前のことだ。
瑞樹の家には南側にさして広くない庭があって、そこには瑞樹の名前の元にもなったヒュウガミズキの低木がこんもりと葉を茂らせている。
[ねぇ、ヒュウガミズキの木ってどれなの?]
庭に踏み込んだアーマルターシュの視線が比較的大きめな木々を薙いでいく。
[これだけど……]
瑞樹が指した低木を見て、アーマルターシュは明らかにがっかりした表情をした。
[こんなに小さいの?]
[小さくちゃいけないの?]
瑞樹は不思議そうにアーマルターシュを見つめた。
[いけなくはないわよ、いけなくはね。この木を少し分けて欲しいのよ]
更にテンションを落としてアーマルターシュは微笑んだ。
[それはかまわないけど……なんで?]
瑞樹は不思議そうにアーマルターシュを見つめる。
[そもそも、あなたがすぐに連絡をくれなかったからいけなかったのよ!]
再びアーマルターシュのテンションが上がってきた。
[あんなに大きくて不格好な名札を付けてテレビに出てたんだから、ふつー気づくでしょ? あなたはハル語がわかるんだし……なのに連絡がないから何度も何度もあれを付けて出るはめになって、記者が気づいちゃったのよ。それはなんですかって]
[……なんであんなものを付けてたの?]
瑞樹は恐る恐る問いかける。
[あなたに連絡を取りたかったからに決まってるでしょ!]
アーマルターシュは瑞樹を睨みつけた。
[それで仕方がないから、この花はハルの国花です。この番号は代表電話番号です。何か質問等あったらここに連絡くださいって言うしかなかったのよ。あの番号はパンクしちゃったわ。で、ここまであなたに会いに来ることになっちゃったのよ。どうしてくれるの?]
アーマルターシュの目が怖い。
[だって、アーマルターシュが私に連絡欲しいなんて思わないし……]
瑞樹は身を縮めて呟いた。
[国花と言っちゃったのに、ハル共和国にヒュウガミズキが一本もないなんてのはまずいでしょ?]
アーマルターシュは腰に手を当てて溜息をついた。
そんな事情で国花を決めてしまう方がまずいんじゃないだろうかと瑞樹も溜息をついた。