第四話 冴えた緑陰の下での胎動(1)
「」はハル語、[]は日本語の設定になっています
二週間が何事も無く無事に過ぎた。
イベリスの所には二日おきくらいにお見舞いに行っているけど、最初に行った時のような劇的な変化は見られなかった。二人以上を伴う必要があると言われているので、イベリスのお見舞いにも付き合わせた後で、エリアEにも行って欲しいと、瑞樹はなかなか言い出せないでいた。ニシキギは忙しそうだし、正樹ちゃんもなんだかいつも大脳コンタクトで端末に張り付いているし……。頼みにくいのだ。カナメやアーマルターシュに至っては、その姿さえほとんど見かけない。
忙しいんだろうな。議長……だもんね。
トウキがいつもは一緒にいてくれるので、娯楽施設が入っているエリアへは何度か連れて行ってもらった。娯楽施設といっても、体を鍛えるためのフィットネス施設みたいなところで、黙々と一人で体を鍛えることが好きな人には向いているのかもしれないが、瑞樹には向いていなかった。
唯一、大脳コンタクトを使ってできるハイキングは気に入って、いくつかコースを歩いたり、雪山スキーをしたりしたが、トウキは人間用の大脳コンタクトに侵入できないらしく、一人でするハイキングは、より孤独を感じる結果になってしまうのだった。
[はぁ、私、ここで何をしてるんだろ]
自然と溜息が出てしまう。今頃、パパやママは何をしているだろうか。今年は誰がクリスマスツリーを出したんだろうか。クリスマスはすっとばされて、お正月準備をしてるかもしれないなーと思う。赤道に近いここでは新年を迎えるという気分にはならないが、そう言う時節なのだとふと気づく。
「瑞樹、部屋へ戻りますか?」
トウキが訊いてきた。
「外の空気が吸いたいな。外へ出たら駄目なのかな。カナメには何も言われてないと思うんだけど」
瑞樹の言葉に、トウキはしばらく思案顔で確認していたが、
「確かに、それは禁止されていませんね」と答えた。
「行ってもいいの?」
少し気分が上向きになって来る。
開放的な空間が恋しいのだと瑞樹はふと気付いた。そして、瑞樹たち地球人が、開放的な空間……水平線や山の稜線や限りなく広がる空に浮かぶ雲を見た時に感じるような開放感を、ハルの人たちは同じように感じられるのだろうかと疑問に思う。そんな中にいると逆に心細くなったり、不安で滅入ったりしてしまうのだろうか。そんな時には地下都市の、まるで母の胎内にいるような安らぎを求めて、あの閉鎖された空間を恋しく思うのだろうか。
アール・ダーで暮らしていた森の民はどうだろうか。ディモルフォセカの記憶を探る。アール・ダー村にさえ、地球の風景ほどの開放された景色はなかったのだと思い当たる。
ハル人と地球人の違い。他にも、たくさんあるに違いないたくさんの溝を埋められる日は来るのかと考えて、また少し気分が盛り下がった。
地上に出るのは入る時よりもずっと簡単だ。遊園地の出口によくあるような不可逆性のゲートのバーを押して出て行くだけだ。二週間ぶりの外はやけに眩しくて、扉を開けて出たとたん目が眩んでよろけてしまった。
「瑞樹、サングラスを」
トウキにサングラスをかけるように注意される。
「日差しが凄く強いねぇ」
予め遮光服は着ていたので問題はなかったが、サングラスを頭に上げたまま忘れていた。
この国の日差しは強くて、日本の真夏の光に似ている。目的が定まった時の子供の視線みたいだ。押しが強くて、有無を言わせない……。痛いほどのその強さ。その強い日差しを、和らげているのが海から吹く爽やかな風だ。爽やかな風と強い光。
この国を取り巻いている空気は、性質の悪い詐欺師みたいだ。その爽やかさに騙されて、うかつに光の中に出ようものなら痛い目にあう。
「日本よりも、ずっと赤道に近いですからね。ハル人だと直接太陽を見て視力を失う危険があります」
トウキが恐ろしい事をさらりと言った。サングラスを掛けると眩しい日差しは和らぐが、残念なことに青い空が青くなくなってしまう。
青い空を見上げたのは、いつのことだっただろうか。色素を失ってしまったと同時に、青空まで失ってしまった気がする。
* * *
「この男よ、見覚えある?」
アーマルターシュが指し示した写真の男は、褐色の瞳と青い瞳を持っていた。身長は180cm程、長身で痩せぎすだ。褐色の短い髪。色素定着は中程度か。それ程再生を繰り返しているようには見えない。分解再生をすると原因ははっきりしていないのだが、色素が抜けてしまう。カナメは、今でこそ銀色の髪に緋色の瞳になってしまったが、元々は黒髪に褐色の瞳を持っていた。
「いや知らないな。元々オッドアイ?」
「そうよ、元々はオッドアイなんだけど、時によってはブラウンアイにして変装するらしいわ」
「この男が黒幕って訳?」
「そうじゃないかって公安は考えてる。大脳コンタクトを利用することに長けているらしいの。最初は、別荘を買いにきた金持ちの外国人だと思っていたらしいわ。ハンサビーチに別荘を購入しているの。どうやって手に入れたのかは知らないけれど、外貨で即金だったそうよ。公安の情報によると、そこに出入りする森の民が、たびたび見かけられているらしいわ」
「ハンサビーチか……ちょっと厄介だな。あそこは外貨獲得のお得意様ばかりだから、公安も大っぴらに動けないんだろう」
カナメは苦笑する。
「今からサンセットビーチに行ってみない? 彼はハンサビーチに森の民が頻繁に出入りしていることを気づかれるのを恐れて、そっちでも活動しているらしいから」
「そうだね」
そう言ってから、カナメはふと、瑞樹にビーチに行くことを禁止していなかったことに気づいた。地下都市生活が長かったせいか、なかなか地上にまで気が回らない。カナメは心の中で舌打ちする。
「正樹、瑞樹はどこにいるか知らないか? さっきからトウキに連絡をとっているんだけど、応答がないんだ。自分の部屋にもいないようだし……」
273号室で大脳コンタクトをしている正樹にカナメが声をかける。
「トウキとエリアFに行くって言ってたけど……」
正樹が器具を取り外しながら、心配そうな顔をする。
「エリアFか」
イメージハイクの大脳コンタクトブースに入ってしまえば、連絡がとれないかもしれない。
「俺、エリアFに行ってみようか?」
「そうだね、瑞樹にあったら、しばらくビーチにも近寄らないように伝えてくれるかい?」
「ビーチで何かあったんか?」
「GAの拠点が、ハンサビーチにあるらしいという情報があったんだ。ハンサだけでなくサンセットビーチも利用しているらしいから、どちらにも近寄らないようにと伝えてくれ」
「GA?」
正樹は怪訝そうに問い返した。
「今回イベリスの事件を起こした者たちのバックにいると思われている組織の呼名だ。GAという記号を好んで使っているので、そう呼んでいる」
「へぇ」
「じゃあ、頼んだ」
カナメは慌ただしく部屋を出て行った。