第三話 それぞれの心に刻まれた風紋(4)
カナメに言われたことは以下の通りだった。
(1) 一人でハル共和国内を歩き回らない。コール0で誰かに付いてきてもらうようにすること
(2) 医療センターと第二エリアEに行く時は二人以上の護衛をつけること
(3) 当然、ハル共和国内から勝手に出国しない
(4) 自分の部屋または273号室以外から自宅に連絡をしない
(5) 何か異常を感じたら273号室に逃げ込んで救援を待つこと
(6) 部屋以外、特に人前で、仕事中のカナメに話しかけない
「なんでカナメに話しかけたらいけないの?」
瑞樹はちらりと正樹の背中を見つめてから質問した。
部屋には正樹もいたが、彼はさっきから部屋の隅の端末の前に座っていて、大脳コンタクトの器械を頭にはめて瑞樹を見ようともしない。
「僕と接点があると思われない方がいい。僕は次の議会の議長をすることになっていて、何かと目立つことが多い。議会が始まるのは一月後だ。今、君に注目を向けたくない」
「……」
瑞樹は絶句する。
議会の議長、それって……。絶句する瑞樹には気もとめず、カナメは続けた。
「正樹と違って、君はハル共和国では目立たないはずだから、それを最大限利用しよう。安全第一だ」
実際、黒髪のハル人はいない。一度でも分解再生の洗礼を受けると、色素が抜けて黒髪ではいられないのだ。黒髪の正樹はどうしても人目を引いてしまう。
「安全第一って……」
工事現場じゃあるまいし……。瑞樹は心の中で溜息をつく。ビジネスライクのカナメは、ニシキギに輪をかけたように雰囲気が冷徹で表情が薄い。
「第二エリアEって何ですか?」
なんとなく言葉が改まってしまう。議長って……。カナメと自分の間の距離を感じてしまう。
「現在、地球の地下都市でだけエリアEが分裂している。第一エリアEはファームの民が管理していて、第二エリアEは森の民が管理している」
カナメは小さく溜息をついた。
「彼らは今微妙に反目しあっていて、どちらがエリアEの守人に相応しいかを競っている。さっきは、第二エリアEに行く時は二人以上の護衛でと言ったけど、第一に行く時もそうした方がいいかもしれない。君が力を持っていると知れば、彼らはあまりいい顔をしないと思うからね」
「コブやミントは、来てないんですか?」
「来ていない。今ミントは妊娠していて、コブは片時も離れないくらい心配している。あいつは祖父馬鹿だからな」
コブの名前が出てカナメの顔が少し和らぐ。
「えええー? ミント、ママになるの?」
改まった言葉使いはあっという間に吹っ飛んだ。
「そうだけど?」
カナメは怪訝そうに首を傾げた。
「ミントって、私と同じくらいの年だよね。早っ! ……くないですか?」
「だって、もう十九だろ? 普通だと思うけど」
それを聞いて瑞樹は眩暈を覚えた。
そうか、そうだった。ディモルフォセカが結婚させられそうになったのだって、それよりは何歳か下くらいの時だったのだ。恐るべし、ハル政府。てゆーか、世界的に見たら、日本が晩婚化が進んでいて変なのかなと思い当たる。
あれ? 突然湧き上がる喪失感。私、何か大事なことを忘れてないだろうか。ふと目線をあげてカナメの視線とぶつかる。
「どうかした?」
「ううん、なんでもない……」
カナメには否定したけど、とても強い不安を感じる。きっと忘れると悪い事が起こるからだと直感する。ソーマ……心の中にキーワードのように浮かび上がる。でもそれがどうしたというのか、瑞樹には説明できない、だから口を噤んだ。
「私は、普段は何をしていたらいいんですか? あれはするなこれはするなってのは分かったけど、これじゃ、何をしてればいいのかさっぱり分からないよ?」
「君は高校生なんだよね。だったらすることは一つだろ?」
「高校生がすること……」
高校に行くこと、これは無理だ。友達としゃべること、これも無理っぽい。ミントがいてくれてたら良かったんだけど。学校帰りに寄り道すること、不可能だ。ショッピング……ハル共和国には店自体がなさそうだ。必要なものは何でも再生装置で手に入れられる。食べ物でも服でも本でも……。考えたら、楽しみの無い国だよなぁ。楽しみと言えば……。
「昼寝?」
瑞樹の間抜けた答えに、カナメはがっくりと項垂れた。
「瑞樹……勉強を忘れてるよ」
「ああ、そう言うのがあったよね」
努めて考えないようにしていた項目だ。
「ここのも使えるけど、君の部屋の端末も勉強に使えるようにしている。数学、化学、物理、生物、歴史、地理……君が高校で習う程度のものは、すべて学べるように設定している。アーマルターシュが調整してくれたからね」
「アーマルターシュが……」
瑞樹は呻いた。一年前、ナンディーから帰して貰うときアーマルターシュが地球まで送ってくれた。その間、地球上にある国の地理や政治をみっちり叩き込まれた。お陰で地理と政治のテストは楽勝だったけど……。
「それって大脳コンタクトで、勉強するってことなんだよねぇ」
あれは疲れるのだ。脳味噌が筋肉痛……脳に筋肉はないらしいけど、らしきものになるのだ。
「君のペースでやればいいから」
カナメは心得たように微笑んだ。