第二話 常夏の島ハル共和国の光と闇(6)
大脳コンタクトによるカナメの説明は続いた。
『地球には我々ハルの本部を置く事を計画して、ハル共和国を建国した。そこまでは問題がなかったはずなのだが、今までエクソダスの為に抑えつけられていた人々の心に変化が起こってきたらしいんだ。一番動揺しているのは森の民だろう。先ほど説明したとおり、森の民は惑星ハルで政府に手厚く保護されていた。保護というよりも管理されていたという方が当てはまっているかもしれない。ハルに起こった大災害のこともジタンが末期であることも知らされずに暮らしていたからね。エクソダスは彼らにとって、まさに寝耳に水であったわけだ。
森の民には力を使えるタイプが三通りあって、それぞれオリジンタイプ、マルチタイプ、リセプタータイプと呼ばれている。オリジンタイプは植物を操る力を持っているものの自分の意志では力を出せないタイプで、植物からの要求で力は勝手に消費される、よってこのタイプはしばしば傀儡と揶揄されることがある。マルチタイプは力の源であり、なおかつ自在に自分の意志で力を使えるタイプで、リセプタータイプはオリジンタイプもしくはマルチタイプの力を被曝することによって力が使えるようになるタイプだ』
突然、宇宙の只中に六隻の大型船が浮かんでいるイメージが広がった。
『ハルを脱出する際、ハル人は一旦すべてが遺伝子情報と記憶情報のみを残して、分子レベルまで分解された。その後、必要な人間が必要なだけ再生される。君も分解再生装置のことは聞いたことがあるだろう? あれは生物に対しても使用可能なんだ。もっとも一般に使われている物とは多少設定が異なるから、ハルから貸し出されて現在地球上で使われている装置では生物再生は不可能だけどね』
正樹は信じられないと首を振る。そんなことができたら、生命のあり方が根底から覆ってしまう。命は一度きりだ、だからこそ、それに応じた社会秩序があると言うのに。カナメの声は続いた。
『しかし、どんなに設定を変えても、その再生される中に、森の民のオリジンタイプとマルチタイプは含まれていないんだ。そして今のところ、この二つのタイプが再生される予定はない。何故なら、この二つのタイプは再生できないからだ。原因はまだ解明されてないが、再生しても力を数時間で使い果たす『崩壊』という症状を発症してすぐに死んでしまう。従って力の源を失ったリセプタータイプは一般人と何ら変わりなく、結果、彼らはその存在理由を見失いつつあるわけだ。リセプタータイプに力を被曝させる方法が皆無なわけではない。でもここでは話さないよ、ハル共和国にくれば、いずれ分かることだからね。
ここまでのハル共和国の現状は呑み込んでもらえただろうか』
紅い瞳が心配そうに正樹の瞳を覗き込んだ。
一瞬、正樹は自分の体がぐらりと傾いた気がして、閉じていた目を開く。
瑞樹は、機内で渡された濃いブルーの薄い毛布にくるまって、すやすやと眠っていた。雪ん子みたいだと正樹はクスリと笑って、再び目を閉じた。目を閉じると、再びカナメは説明を開始した。一人で語っているはずなのにまるで本当に隣にいて話しているみたいだと正樹は唖然とする。
『分解再生装置の生物再生に関する情報は、ハルの最高機密だ。これを地球人に公表する意思はハル政府には全くない。君はこの情報を知ることとなったが、それを一切他言できないように、今、心理操作をかけさせてもらった。ハル国民なら誰でもそのような処置を受けている。逆にいえば、だからこそ君にハル国民になってもらう必要があったんだ。その操作を解除する方法は更に高いレベルのトップシークレットになっている。悪く思わないでくれると良いのだが……』
火星らしい惑星が大写しにされ、その軌道上にある小さな点にズームしていくと、一隻の宇宙船が現れた。
『これがナンディーだ。現在は火星軌道上を周回している』
カナメのイメージが重たそうなドアを開けて、光が溢れている部屋の中へと入っていくのが見えた。部屋の中だと思ったら、そこにはジャングルのような森が広がっていて、部屋の中に入ったのではなく、暗い部屋から出たのだと正樹は考えた。
『ここで、どうして瑞樹がトラブルに巻き込まれる可能性があるのかという問題を話しておこうか。瑞樹は二年前我々の宇宙船ナンディーに拉致された。我々ハルのエクソダスプログラムに必要な人間だとメインコンピューターナンディーが判断した為だったのだけど。その理由の一つは彼女が森の民の力を内包していたということだった』
カナメは明るい森の中をゆっくりと歩きながら言葉を続ける。
森の民の力……。帰ってきた瑞樹からその話は聞いたことがあった。しかし瑞樹がその力を植物に使ったところは見ていない。種は発芽しなかったし、植物は一ミリだってその姿を変えることはなかった。ただそれに類することと言えば、瑞樹が彼女の祖父と一緒に植物を育てるのを趣味にしていたことくらいだ。
植物がして欲しいことがわかるのだと幼い瑞樹が言っていたこともある。もちろん正樹は馬鹿にして本気にしていなかったが……。
『ハルの森の民とは厳密には同一ではないかもしれないけど、彼女が宇宙船ナンディーでとった行動の内容から考えると、彼女は森の民マルチタイプに属していると考えられる。ここまで話せば、彼女の立場がわかってもらえるだろうか? この先、新たな命がその力を授かることはあるかもしれない。しかし今現在、彼女は唯一の力の保持者だということになる』
しかし、そう言われても……と正樹は思う、そんな力が瑞樹にあるとはとても信じられない。正樹の心を見透かすようにカナメの説明が続く。
『森の民の力がハルの植物にしか働かないと分かったのはつい最近のことだ。我々ハル人は地下都市での生活が長かったため色素を作り出す機能が損なわれているものが多く、太陽光に対する耐性がない。それは人のみならず植物も同様の状態だ。そこで地球にも地下都市を造る事を決め、バイオラングを地下に作った。最初は地球の植物をそこで栽培するつもりだった、しかし森の民の力は地球の植物には使えなかった。しかも、地球の植物は地下都市ではバイオラングの機能を果たすことはおろか、繁殖さえままならぬ状態だったんだ。そこで我々は地球の地下にもハルの植物を植え、足りない分は地上の空気を取り込むことで地下都市の空気を維持することにした。
地球上で酸素を作り出すことはそれほど重要なことではないからね。しかし、重要なことではないという事が彼ら森の民にとっては深刻な事だった。存在意義の喪失という訳だ。しかもリセプタータイプしか再生されない状況で、その力を自分達で確保する事ができないことも、さらに彼らを追い詰めてしまったのかもしれない。何故なら、力を被曝するもう一つの方法には限りがあるからだ。その方法が尽きれば森の民は消滅するかもしれない、彼らはそれをとても恐れている』
カナメは森が一望できる場所で立ち止まった。
『既に気づいただろうか? ここは宇宙船ナンディーのバイオラングなんだ。我々はエリアEと呼んでいる』
カナメは振り返って正樹を見つめた。正樹は息を飲む。屋外に出たのだと思っていたこの場所が、宇宙船の中だと言うのか? しかし、どこと明確に指摘することはできないが、地球の植物とは違う、太陽の光とも違う、その微かな違いが、正樹にも分かる気がして、やがて正樹は静かに納得した。
『エリアEは、その酸素供給能力が落ちるたびに森の民の力で修復されてきた。ところが、瑞樹がナンディーに来てから今に至るまで、僕たちは森の民の力を使っていない、なのに酸素供給能力は落ちるどころか上がっている。それほどまでに彼女の施した力が強大だったと言えるのだろう。ところが瑞樹の存在を知らなかった森の民が、その理由をイベリス・センパービレンスという少年のせいではないかと考えた。
彼は特殊なケースで、森の民であるにもかかわらず、随分早くから目覚めさせられてナンディーで働いていたんだ。しかし彼もまたリセプタータイプの森の民だ。彼のせいではなかったと気づいた彼らはその理由を知るためにイベリスを拉致監禁した。彼が何か知っているはずだと考えたからだ。イベリスは最終的には解放されたけれど、体と心に重大な傷を負って、事件の全容を未だ語ることなく治療を受けている。
彼らが睨んだとおり、確かにイベリスは瑞樹の存在を知っていた。ただ、彼らがイベリスから瑞樹の情報をどの程度訊き出せたのかどうかは、確認できていない。この事件に関わったのが森の民だけの問題ならば、瑞樹にとってもさして危険はないと思われたんだけど、イベリスが施された心理的操作が明らかになるにつれ、森の民の背後に何か別の意図を持った何者かが存在するらしいという思わしくない事実が判明した。日本にいても危険は回避できないかもしれないという判断で、瑞樹を、そしてできれば君をハル共和国に連れてきたいと僕は考えた』
そこから先は、言葉をある程度話せるようになっておいた方がいいというカナメの勧めでハル語会話の情報が延々と入っていた。




