第二話 常夏の島ハル共和国の光と闇(4)
この回は瑞樹の回想のみになっています。回想というか、ハル共和国に向かう飛行機の中で寝ぼけて見た夢というか……
今にも雨が降り出しそうな昼下り、瑞樹は自分の家の玄関の前で途方に暮れていた。さっき母親に勧められて自分の位牌が上がっている仏壇に線香をあげてきた。
春花瑞宝信女
それが瑞樹の戒名だった。
母親は瑞樹の事を瑞樹の友達だと思ったらしい。
「ありがとうね、瑞樹も喜んでると思うわ」
呆然と戒名を棒読みする瑞樹に母親は続けた。
「戒名なんてまだ早いって言ってたんだけど、あの子の病気のことを考えたら何やら業を背負ってたに違いないって檀家の和尚さんがおっしゃってね、早く弔ってやらなきゃ成仏できないぞって、それは煩く説得されてねぇ。最初はなんて失礼なってパパも怒ってたんだけど、もし三途の河で迷っているのなら、それは可哀想なことだって話し合って、やっと先月供養してもらったのよ。本当はまだあの子が生きてるって私たちは思ってるんだけどねぇ」
母親は目頭を押さえた。
「生きてるよ」
ぽつりと瑞樹が呟くと母親はうんうんと頷いた。
「みんなそう言ってくれるのよ。ありがたいことだって思ってるよ。あなたは学校のお友達? 瑞樹にこんな外国の友達がいるなんて聞いてなかったけど……」
そう言って母親は瑞樹の顔を見つめた。
「私、外国人じゃないよ……瑞樹なんだけど……」
瑞樹は母親を見つめて言った。
「あなたも瑞樹って言うの? ハーフ?」
母親の顔から笑みが引いて、少し用心するような顔になった。
「違う……私は日向瑞樹なの」
瑞樹がそう言った途端、母親は眉間に皺を寄せた。
「あなた、何を言ってるの?」
母親の尖った声が仏間の静けさに亀裂を生じさせて、瑞樹はびくりと身を引いた。
「わ……私は死んでない、私が日向瑞樹なんだってば」
上ずった声でそう言ったところで突然母親は立ち上がり、瑞樹の手首をつかむと玄関へ引っ張って行った。
「言っていい冗談と悪い冗談の区別もつかないような子は、瑞樹の友達にはいません。あなたどこの子なの?」
母親はそう言い放つと瑞樹を玄関の土間に押し出した。バランスを崩した瑞樹の足が、揃えて置いてある瑞樹の靴や母親のサンダルをメチャメチャに散乱させる。
「出てって! 出てって頂戴、二度とこないでね!」
母親は目を吊り上げて怒鳴りつけた。
「ママ……」
瑞樹は縋るような瞳で母親を見上げたが、彼女は瑞樹と目を合わせることさえしてくれない。
「何が目的か知らないけど、自分のうちに早く帰りなさい! 本当のお母さんが心配してるよ」
靴をはいた瑞樹の背中を容赦なく押して外へ出すと、母親はぴしゃりと玄関のドアを閉め、鍵を掛けた。
こうして瑞樹はしばらくの間、自宅の玄関の前で途方に暮れることになったのだった。予想していたことだとはいえ、これは相当ショックだと瑞樹は滲んでくる涙を何度も拭う。
姿がすっかり変わってしまったのだ。母親の態度を責められないのはわかっている。でもあんまりだと瑞樹はしゃくりあげる。事情も訊かないで追い出すなんて……。
「カナメ、私……どうしよ……」
泣きながら家の近くの公園の辺りをふらふらと歩き回る。
雨が降りそうな天気だと言うのに、曇り空を透かして降り注ぐ太陽の薄日が眩しくて仕方がなかった。晴れてたら私はもう終わってるなと弱弱しく考える。
警察に保護を求めたって、肝心の親がうちの子ではないと言ってしまったら私はどうなるのだろうか。嘘つきのレッテルを張られて更生施設とかに入れられてしまうんじゃないだろうか。正樹ちゃんに助けを求めてみようか、否、親に分からないものを正樹ちゃんに求めるのは間違ってる気がする。それに正樹ちゃんに変な子がいるってとっとと通報されてしまうかもしれないし……。
空腹が、悪い方へ悪い方へ考えてしまう気持ちに拍車をかける。後、思いつくのは解決策ではなく、ナンディーで助けてくれたハルの人たちのことばかり。ミント……イベリス……ムラサキさん……私、ドウシタライイ? こんな状況を知ったら冷笑しそうなアーマルターシュや厭味の一つも言いそうなニシキギでさえ懐かしい。
ぽつりぽつりと雨が降り出して、瑞樹は傘も無いまま当てもなく歩き回った。涙なのか雨なのかわからなくなるくらいびしょ濡れになった頃、観念して再び自宅へと足を向けた。
* * *
鍵を開けて入ってくる音に瑞樹の母親はびくりとして玄関に飛び出した。
「どうした? 血相変えて……」
父親は少しびっくりしたように母親を見つめる。
「なんだ、あなただったの。今日昼間に変な女の子が来たもんで、ちょっと気になってて……」
「変な女の子? この子のことか?」
父親は玄関の外に向かって「ほら、入りなさい」と言った。瑞樹は文字通り濡れ鼠で栗色の髪が青白い顔に張り付いている。
「あなた! まだいたの? 帰りなさいって言ったでしょう!」
母親は瑞樹を睨みつけた。
「おいおい、事情は訊いたのか? こんなびしょ濡れになってるのに、ちょっと拭いてやれよ」
母親の厳しい言葉には耐えられたのに、父親の優しい言葉に涙が溢れて止まらなくなった。玄関口で震えながら泣きだした瑞樹に、両親は困ったように目を合わせた。
「ママ、とにかくタオル持って来てくれよ。俺もびしょ濡れだからな、傘も役に立たないほど降ってるんだよ」
母親は、ぱたぱたと奥から二人分のタオルを持って来てくれた。
「……」
瑞樹の説明に両親は黙り込む。
しし座流星群が流れたあの夜、瑞樹は惑星ハルからやってきていた宇宙船ナンディーに拉致されたのだ。そこで腫瘍の治療を受けた。ハルの医療は進んでいて、腫瘍はなくなったが、原因不明の医療トラブルで瑞樹は見かけが別人のようになってしまったのだ。色素の薄いハル人にそっくりになってしまった。
「君が日向瑞樹って言う証拠はあるのかい?」
父が静かに問う。
「証拠?」
瑞樹は考える。指紋とか歯型とかでよく遺体確認をしたりするけど、私はそれさえも変わってしまっているかもしれない……。だとすると、証明する為の証拠は記憶しかないんだろうか。しかし、その肝心の記憶も日向瑞樹とハル人のディモルフォセカ・オーランティアカの記憶が混在している状態だ。自分が日向瑞樹だと言い張る事が極めて困難であるということに思い当たる。
「証拠なんて分からないよ……」
瑞樹は力なく俯いた。
「両親の名前は?」
父親は言った。
「パパは日向夏樹、ママは日向瑞穂」
「そんなの表札に書いてあったでしょ」
母親が突き放すように言う。
そこで瑞樹は、自分の生年月日や両親の生年月日や昔飼っていた犬の名前や隣の正樹ちゃんちの家族の名前や、親が知っているだろうと思われる瑞樹の学校の友達の名前を次々とあげていった。自分が罹った病気などの昔の記憶を話していくうちに、両親の瑞樹を見る目が変わっていった。
「パパ……この子……」
母親は動揺して父親の上着を引っ張った。
とりあえずはと瑞樹の部屋で眠る事を許可されて次の日、雨に打たれたせいか熱を出してしまった瑞樹を母親が看病してくれた。
「何か食べたい物ある? 病気になった時、家では何を食べてたの?」
「ミルク粥が食べたい」
具合が悪くて何も喉を通らなくなったとき、母親がよく作ってくれたものだ。あまりにも食が進まない瑞樹を心配してあちこちに訊き回って作ってくれた病人食で、瑞樹は唯一これを少しだけ口にすることができたのだった。コンソメで煮込んでからミルクで仕上げる。しょうがを少々いれて白髪ねぎをトッピングすると風邪の時には体が温まる。小さい頃はアツアツのを目の前でふうふう冷ましながら食べさせてくれた。
母親は無言のまま台所に消えるといつものようにミルク粥を作ってくれた。
指紋と歯型が一致した。
父親が警察に相談して調べてもらったらしい。父親はそう言うところに何かつてがあるらしかった。指紋はほぼ完璧に一致した。小学校でとった手形が卒業アルバムにあったので、それは簡単に調べることができた。歯型は行きつけだった歯医者で調べてもらった。歯型もほぼ一致したが、治療痕が全く無くなっていることをすごく指摘された。瑞樹は治療痕が無くなった理由を知ってはいたが、正直に話しても信じてもらえないことがそろそろ身にしみてきていたので、よく分からないと答えておいた。
瑞樹はハルの技術で再生したのだ。一度死んで、分解されて、再生した。こんな事を言っても誰も信じてくれないことだけがはっきりしていた。