第一話 秋にやってきたハルの使者(1)
本作品は、惑星ハルシリーズ vol.2です。「宙の船 流転の岸」の続編になります。
このお話からでも読めるように工夫はしたつもりですが、訳わからなかったらごめんなさい。失踪していた間の瑞樹に何があったのかは、vol.1「宙の船 流転の岸」をごらんくださると幸いです。招夏(拝)
眩しい太陽の光はちょっと苦手だ。
瑞樹は目深に被ったつばの広い帽子をぐっと引き下ろした。外に出る時はサングラスが欠かせない。こんなに空気が澄んで気持ちがいい秋の蒼穹を自分の目で直接見られないのは、かなり残念なことだと思う。
瑞樹は二年前にある事件に巻き込まれて体から大量の色素を失った。日本人ではありえない翠色になってしまった瞳は眩しい太陽の光を頑なに拒否する。光に弱い色素の薄い外国人が、しかしそれでも徐々に光に慣れて行くように、そのうち元のように生活できるようになるのだろうと瑞樹は考えていたし、医者も最初はそう言った。しかし、いつまでたっても瑞樹が太陽光に慣れることはなかった。色素を作り出すメカニズムそのものが欠落もしくは退行しているらしいと、まもなく医者は診断を変えた。まるで太陽に捨てられた孤児になった気分。ちょっとしたお遣いにさえこの重装備だ。
UVカットの長そでブラウスは仕方がないとして、手の甲をすっぽりガードする手袋と足の甲を守るための靴下は、夏の間中瑞樹を悩ませた。日焼けによる火傷を我慢するか、汗だくになることによる汗疹を我慢するか夏中悩み続けて、決着はつかないまま、夏に体力をめいっぱい吸い取られた。そして、ようやく迎えた、風さわやかな秋の昼下がりだ。
木綿でできたトートバッグの中には買い忘れていたアーモンドプードルとチョコレートパウダーが入っている。瑞樹は気持ちよさそうに息を吸いこんだ。昨日あたりから金木犀のいい匂いで町中の空気が冴えわたっていた。金木犀の匂いが町を包み込むのはほんの一週間程だ。その間だけは絶対、雨に降ってほしくないと毎年思う。降っても照っても匂いがもつのは一週間だけだからだ。降ったら匂いが薄くなってしまう。
その時、通りの先で誰かが言い争っている声が聞こえた。懐かしい異国の言葉が耳に飛び込んでくる。
ふと目線を通りに移すと、案の定、人がもめていた。瑞樹同様、周囲よりも格段に重装備をした二人と老紳士、もう一人は恰幅のいい年配の警官のようだ。
「身分証明書を見せてくれる? Would you show me your passports?」
威圧的な日本語の後にぎこちない英語が続く。
[うるさいわね、このオッサン]
張りのある若い女の声が聞こえた。女は異国の言葉をしゃべっている。瑞樹は目を見張った。
[パスポートを見せなさいと言っているんですよ、アーマルターシュ]
老紳士が穏やかな声で女にそう伝える。
「Do you speak English?」
[英語を話せるかと聞いていますよ]老紳士が訳す。
[日本語も英語も話せるけど、こんな怪しいオッサンとは話しませんって言ってやりなさいよ。何? この人、変なかっこして……]
アーマルターシュは自分のことは棚に上げて、警官の服装を胡散臭げに眺めた。
[これは警官の制服ですね。国家権力をバックにしている警備員です。怪しいことはありませんが、逆らうと面倒なことになるかもしれませんよ]
あくまでも老紳士は穏やかに異国の言葉で説明する。
[そうなの?]
アーマルターシュは肩を竦める。
[あんた、日本の社会システムのファイル見てないだろう? しかも警官の制服なんてどの国もこんなものじゃなかったか?]
今まで黙っていた背の高い男が口を挟んだ。
[疲れてんのよ、ここんとこずっと報道官として追い回されてたから。それに大脳コンタクトはめちゃくちゃ疲れるのよ]
[負け犬の言い訳だな]
男は冷たく言い放った。
[じゃあ、あんたがこの状況をなんとかして頂戴よ。大体、このミッションは私が受けたんじゃなくて、あんたがカナメから依頼されたんでしょ]
瑞樹は懐かしい名前を耳にして、心臓がぴしゃりと跳ねた気がした。
警官を全く無視してしゃべり続ける外国人三人を前に警官はじりじりしてきた様子だった。
「と、とにかく、署まで来てもらおうか」
警官は駐在所がある方を指さしながら老紳士の腕を引っ張った。瑞樹は慌てて警官に声をかける。
「あの! この人たち何かしたんでしょうか?」
「あなたは?」
警官はむっとした様子で瑞樹を睨みつけた。重装備の怪しい人間がもう一人増えたと彼の顔には書いてある。
「私は日向瑞樹です。三丁目の……」
「ああ! 日向さんちの!」
警官の目が胡散臭いものを見る目から好奇心を含んだ目に変わった。
突然失踪してから約一年後、姿をすっかり変えて戻ってきた瑞樹をほとんどの人が好奇の目で見つめた。この警官のように。
[瑞樹!]
アーマルターシュが瑞樹に嬉しそうに飛びついた。
[アーマルターシュ、どうしたの? こんな所で……道にでも迷ったの?]
瑞樹は異国ハルの言葉を流暢に話した。
[あなたに会いに来たのよ。連絡をくれってメッセージを出していたのに全然連絡をくれないんだもの。どうして連絡をくれなかったのよ?]
アーマルターシュは憮然とする。
[あれ、連絡をくれって意味だったの?]
瑞樹は眉間に皺を寄せる。
[ああ、あなたが鈍感なことはわかっていたんだけど、他に方法がなかったのよ]
アーマルターシュは瑞樹をぐっと抱きしめた。
「日向さん? 日向さん!」
警官が何度も瑞樹に話しかけているのにやっと気づいた瑞樹は警官に目を向けた。
「ああ、この人たちは怪しい人たちじゃないんですよ。最近ニュースでよく見てるでしょ? ハル共和国の人たちなんです。あまり日本のことをよく知らないらしくって……」
次にアーマルターシュに向かって瑞樹は訊く
[パスポートは持ってないの?]
[持ってるわよ]
アーマルターシュは投げ出すようにパスポートを瑞樹に渡した。
[持ってるんなら、すぐに見せれば良かったじゃないの]
瑞樹は呆れて言った。
[だって、このオッサンが偉そうで嫌だったんだもの]
アーマルターシュは子供みたいにぷくっと頬を膨らませた。瑞樹は溜息をつく。
ハル共和国は太平洋に浮かぶ小島にある国で、人口一千万人の小さな国だ。最近国として建国宣言をしたばかりなくせに、やたらに世界中にあらゆる提案を発していて、その為に今世界中で一番注目を浴びている国なのだ。
[だからぁ、火を使ってゴミ? だったかしら……を燃やす事を止めなさいって言ってんでしょう? 何の為の分解再生装置だと思ってんのよ。今度そのゴミとやらを燃やしたら、もうあんたの国には貸さないからね!]
瑞樹が初めて聞いたハルの報道官の言葉はこうだった。驚いてテレビのニュースに釘付になる。アーマルターシュは美しい金色の髪をうず高く結い上げて飴色のフレームの眼鏡を掛けて不快感を露わにして叫んでいる。
「我が国と致しましては、この分解再生装置を貸し出すにあたって、不要物の焼却を行わないと言うことを条件としておりました。この条件を呑んでもらえないのであれば、大変遺憾ながら、当装置の貸し出しをお断りせねばならないと考えております」
穏やかそうなお兄さんが微笑みながらアーマルターシュの荒っぽいハル語を穏やかな言葉に訳していく。瑞樹は唖然としてテレビの中のアーマルターシュを見つめる。アーマルターシュが着ている淡いラベンダー色のスーツの胸には報道官にしては奇妙なほど大きめな名札のようなプレートが付けられていた。
ヒュウガミズキの黄色い花の絵が描かれたその下に『以下の番号に電話しなさい』とハル語で書かれていて、更にその下に電話番号らしき数字が書かれていた。
「まさかね」
呟いた瑞樹に父が話しかけた。
「何がまさかなんだ? しっかし、このハルの報道官ってえらい別嬪さんだよなぁ。こんなに怒ってなかったら、さぞかしもてるだろうに。綺麗な薔薇には棘があるって言うことかいなぁ」
父は風呂上りの髪の毛をバスタオルで拭きながらニュース番組を他の局に変えた。そこにもアーマルターシュの怒った顔が大写しされていて、瑞樹は顔を顰める。
「どこ見てもこの顔じゃない」
瑞樹は呆然と呟く。
「おまえ、ちっとはニュースも見とけよ。ここ一月ほどハル共和国のニュースばかり流れてるぞ」
「ふうん…で? アーマルターシュはいっつもこんなに怒ってるの?」
「そ、有名人だぞ。おまえ、今、友達みたいに名前呼んだなぁ」
父は大らかな声で大笑いした。
父による情報では、ハル共和国と言うのは環境問題にとてもうるさいのだそうだ。ハルで開発された分解再生装置とやらを有料で借りて使用するか、自国で生じたゴミを無料でハル共和国まで運ぶかしなければ、一切の国交を断絶するとすべての国に呼びかけたらしい。当然歴史ある他の国は、何を建国したての国がえらそうにと反発した。ならば結構とそう言う国を本当に一切排除して、国交を開始したものだから、世界中がハルの意向と本来の狙いを探るべく報道官を追い回すことになっているのだという。
ハル共和国がここまで強行に世界に打って出たのには訳があった。ハル共和国が、現存している科学技術力が遠く及ばない、異質で最先端の科学技術という宝刀を持っていたからだ。異質な科学技術……それは今まで世界に存在していた科学技術と明らかに系統を異にしているとしか言いようがない独特の科学技術をハル共和国は持っていた。
しかしながら、この国が特殊なのはそう言った瑣末な事柄なのではなかった。このことは世界中の誰もが知らないことなのだが、ハル人はすべてハルという惑星から逃げてきた宇宙人であるということなのだ。
惑星ハルは中心の恒星ジタンの終焉により崩壊した。
失踪していた約一年間、瑞樹はこのハルの宇宙船に拉致されていた。帰国当初は根掘り葉掘り訊く周囲の人たちに本当のことを話していた瑞樹だったが、誰一人として瑞樹の言を信じるものはなく、結局の落とし所として失踪していた間の記憶が定かでないと言うところに落ち着かざるを得なかった。それなのに、一年近くたった今になってハル共和国の突然の建国だ。
瑞樹としては、周囲に胡散臭げな目で見られた苦い経験から、今さらハルに関わるということは極力避けたかったし、ハルの方でも瑞樹になど用事があるわけがないと思っていたので、アーマルターシュの名札の件はあっという間に瑞樹の意識から零れ落ちたのだった。