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孵化する懐古

 子供の頃の話だ。

 俺達は海と川に囲まれた小さな町にいた。

 その町の各所に1から6の番号を付けてノートに書く。

 そしたら、中心のあいつがポケットから大きなプラスチックのサイコロを出して、無駄に天高く投げるんだ。

 出た目と同じ番号の場所へ自転車で向かう。

 みんなで自転車を一生懸命に漕いでサイコロの示した場所へ向かう。

 たどり着いたら、少し遊んで、またサイコロを投げる、天高く。

 サイコロは太陽と重なって煌めいて、そして、地面に叩きつけられてボロボロに汚れながら俺達を次の場所へ導くんだ。

 そうやって俺達は遊んできた。

 サイコロに振り回されて俺達は笑ってしまうほどの無駄を楽しんだ。

 そうやって俺達は進んできた。


 いつしか、サイコロは無くしてしまった。

 決断力、計画性、優柔不断、自主性、他人からの批評に俺のサイコロは埋められてしまった。

 中心のあいつはどうだったのだろうか。


 訃報が届いてからしばらくして俺は新幹線に揺られる。

 俺達の町ではなく、遠方の祖父母の家にあいつの墓はあるらしい。

 遠い日の夏休み、俺達はその家に泊めてもらった事がある。家庭に恵まれず、里帰りの経験がない俺達をあいつの祖父母は招いてくれた。

 あの日と同じ蝉が喚き立てる炎天下の道を歩く。


「俺が死んだらさ、みんな俺の骨を一欠片ずつ取って持っててね。」


 あの夜、手持ち花火ではしゃぎながらあいつは言った。

 もしも自分が死んだら、なんて何の変哲もない会話の一言。深い意味もない、無垢な戯れ言。友情の証とかそんなつもりだったんだろう。


 あいつの墓がある屋敷の前、予期せぬ懐かしい顔がこちらを見ている。


「お前、誰だ。」


 わかっている、小鳥遊だ。

 記憶にある小鳥遊から人間らしさを拭い取ったようなソレは何も言わず薄く微笑んだ。

 小さな屋敷の広い庭を小鳥遊は歩く。

 思い出の小鳥遊は、誰よりも一生懸命で必死に自転車を漕いで、最後尾を楽しそうに付いてきていた。

 華奢なやつではあったが、こんなにどこかに消えてしまいそうな奴ではなかった。

 それは、あいつも同じだ。あいつも消えてしまうような奴ではなかった。


「皆も同じ事言ってたよ。」


 その言葉に我に返る。


「お前、誰だって。」


「他の三人も皆来たのか。」


「来たというか、呼ばれたんでしょ?」


 小鳥遊は、意味ありげな言葉を残すとさらに庭の奥へ進んでいく。


「小鳥遊、お前はどうしてここにいるんだ。」


「調べ事と、皆の為かな。この屋敷、もう誰もいないからさ。」


 怪訝な俺の表情を察して小鳥遊が補足する。


「大丈夫だよ、訃報はあいつ自身が生前に書いたものみたいだから。」


 疑問は増える。


「日時指定で送ってたみたいだね。皆が一度に集まらないように。」


 疑問は増える。


「僕がここに滞在するのも見越してたんだね。それでバラバラに来る君達の世話掛りをしながら調べ事してる。わかる?」


「わからん。」


 こいつは昔から壊滅的に説明が下手だった。聞けば聞くほど聞くことが増える。長年の経験が告げる。こいつには何も聞かない。黙って墓前へ向かう。


 あいつの墓は庭の角にひっそりと在った。まるでペットの墓のように小さい。

 こんなところに収まるほどあいつは小さくなってしまったのか。

 何をそんなに悩んでいた。なぜ何も言わなかった。


 夢だった。疎遠になっても、年月が立てば皆で集り、あの頃を懐かしみながらも変わらぬ友情に浸れる日が来ると。

 それは、叶わぬ夢になってしまった。

 俺達の思い出を糧にして生きてきたのは、俺だけじゃないはずだ。

 いつも中心にいたお前は、なぜ俺達を、俺を、頼ってくれなかった。

 視界が滲む。息が詰まる。


「骨、持ってく?」


 耳を疑った。縁側に腰掛ける小鳥遊は無垢な表情でこちらの返答を待っている。

 あいつの何気ない会話を小鳥遊も覚えていたこと。

 その表情から俺を慮って良心で言ってくれていること。

 その二点に俺は驚いた。


「まさか。持っていくわけないだろ。」


「皆は持っていったよ。」


 さも当たり前のように小鳥遊はそう告げた。

 平行世界に迷い込んでしまったような錯覚を覚え、猛暑の中背筋が凍る。

 いま目の前にいる小鳥遊も、小鳥遊の話すあいつらも、墓の中のあいつも俺の思い出の中にはいない。

 俺の中の皆が少しずつ形を変えていってしまう。


 小鳥遊に招かれて異様な部屋に上がる。

 真夏だというのにクーラーはコンセントから抜かれ、扇風機は何故かプロペラが外されている。


「粗茶だよ」

 小鳥遊は淹れたての熱いお茶を出す。


「小鳥遊、暑くないのか」


「今日は暑いのかな。じゃあ扇風機のプロペラつけるよ。クーラーはさ、部屋用意したからそっちでお願い。」


「お前、クーラーダメなやつだったか」


「まぁ、もう今シーズン分は浴びたかな。」


「なぁ、小鳥遊。」


 不安で仕方なかった。皆、あまりに歪んでしまっていて、俺の愛した思い出は妄想だったような気がしてくる。

 あの日々と俺達は嘘じゃないと、共有させてくれ。

 俺はまるで告白のように絞り出した。


「サイコロ、楽しかったな。」


「サイコロ?」


「サイコロ振って、目が示した所に向かってバカみたいに自転車漕いだろ。」


「そうだっけ。」


 小鳥遊は申し訳なさそうに微笑するだけだった。その顔が酷く胸を締め付ける。

 俺は用意された部屋に逃げ込んだ。クーラーの電源をつけて最低温度に設定する。汗と冷や汗を沈めたかった。


 俺達のサイコロは何処に行ってしまった。皆、何処に行ってしまったんだ。


 サイコロを振る俺達は自由だった。サイコロの示す方へ転がっていくだけ。

 でも、何処に行っても俺達なら大丈夫だと信じていた。ずっと一緒にいられると信じていた。ずっと自由なんだと信じていた。


 それが、いつしか、自由は埋め立てられ、高層の計画表が建設された。

 俺は目の前の計画表しか見えなくなって、その向こうは何も見えなくなって、見えない所であいつは死んでいて、小鳥遊達も様子が変わってしまっていた。


「サイコロ無くすんじゃなかったな」


 少し目を閉じて、夢を見た。

 馬鹿みたいに笑うんだ。

 あいつも、小鳥遊も、皆。

 そして、中心のあいつが嬉しそうに大きなサイコロをポケットから出して、馬鹿みたいに天高くサイコロを投げるんだ。

 そして、地面に叩きつけられる。

 でも、その日は違った。

 サイコロは屋根の上に乗ってしまう。

 少年達は絶叫する。

 虫取網も届かないような場所へサイコロは転がり込んでしまったんだ。

「どうすんだよ!」

 少年達は困りながらもそのアクシデントを全身で楽しんだ。転がり回ってはしゃいで喚き散らした。「おい、どうすんだよ!」と。


 夕凪に揺すられた襖の音で白昼夢から目を覚ます。

 微睡みながら懐かしさの余韻を味わう。

 胸にこみ上げた熱が瞼に伝わってくる。

 俺の思い出は間違いなく本物だ。

 耳の奥では子供たちがまだはしゃいでいる。「おい、どうすんだよ」


 布団から跳ね上がり、夕餉の支度をしている小鳥遊を台所から引き剥がして、梯子を探させる。

「一品減るよ」

 そんなこと言っているがきっと小鳥遊も満更ではないはずなんだ。

 俺は思い出の中の小鳥遊を信じる。

 変わってしまったなら、戻ればいいだけだ。遠くに行ってしまっても、そのまま一週すれば戻ってこられるんだ。


 サイコロには細工をしよう。

 遠くへ行ってもいいように。

 早く一週して戻ってこられるように細工をしよう。

 俺達は大人になった。ズルもする。


 見つけた梯子を屋根に掛ける。朽ちて段飛ばしになった梯子を踏みしめながら登ると、案外近くにソレはあった。

 夕陽と重なってソレはあの日のまま煌めいていた。


「どう?」

 小鳥遊の声がする。


「小鳥遊、3だ。」


「よかったね。」


 小鳥遊と食卓を囲んで、冷房の効きすぎた部屋へ戻る。

 サイコロの記憶が美化されていたとしても俺自身は変わっていない。俺が変わらずにいれば、あいつらもいつか一週して帰ってくるんだ。


「もう、無くさない。」


 あいつの残したサイコロを撫でると、サイコロにつなぎ目があることに気が付いた。

 子供の頃は気が付かなかったが、このサイコロは入れ物になっていた。

 きっと、お菓子でも入っていたのだろう。

 俺は悪戯心が擽くすぐられた。あいつが何を入れていたのか気になった。

 友達のラブレターを盗み見るような無邪気な悪意でサイコロの蓋を開いた。


 ラブレターは、俺宛だった。


 伊織へ、そう書かれたメッセージカードがねじ込まれている。

 16℃の部屋の中、冷や汗が流れる。

 どうしてここに俺の名前が書かれた紙がある。


 メッセージカードを拡げる。


『おめでとう。さようなら。伊織は新しい世界には行けない。』


 俺の身体は硬直した。

 10分か、4時間か、認識できない時間が過ぎる。


「お前、誰だ。」

 先程まで信じていた皆の憧憬はもう現れない。

 皆が、あいつが得体の知れない何かになってしまった。

 あいつらはもう何処かへ行ってしまったんだ。

 遠くへ、遠くへ、遠くへ。


 気が付いた時、俺はあいつの墓から骨壺を取り出していた。

 そして、あいつを一欠片取り出した。


「骨、持ってくの?」


 手のひらの石ころみたいなあいつを眺めていると小鳥遊の声がした。振り返るも、声が出ない。

 小鳥遊はゆっくりとこちらへ歩いてくる。

 俺は、小鳥遊を見つめたまま、震える手でその一欠片を口に運ぶ。

 小鳥遊は立ち止まり、こちらをただ見つめる。

 昼間のざわめきが嘘のような恐ろしい程の静寂の中、小鳥遊が俺を見据える。

 俺の知らない小鳥遊の目を見つめたまま、俺は口の中のあいつを飲み込んだ。

 もうここに思い出の人物は一人もいない。


「もう行くよ。」

 やっと出た言葉がそれだった。


「僕も明日帰るよ。今日は遅いから明日にしよう。」


「じゃあ、散歩にする。」


 俺は自分が何を言っているのか、これから何をしてしまうのか、もうわからなかった。


「小鳥遊、俺はまたサイコロを振るよ」


 地面に俺達六人の名前を書く。

 一が小鳥遊、二が俺、.........そして、六はあいつ。

 俺は崖底に落とすように小さくサイコロを投げる。

 少しだけ転がって、俺の行く末は示された。


「どう?」

 小鳥遊の声がする。


「小鳥遊、6だ。」


 俺の足がサイコロに導かれてどこかへ向かう。


「ねぇ、伊織、死ぬことだけはやめたほうがいいと思うよ」


 俺にはもう何もわからないが、恐らくこの足は死には向かっていないだろう。サイコロの示した目的地へ向かうだけ。俺にできることはもうそこへ向かうだけなんだ。

 サイコロの示したあいつのもとへ。


 墓から離れた伊織は夜に霞んで見えなくなった。


 小鳥遊は骨壺を拾い上げて墓に戻すと、足元に転がるサイコロを拾い上げて目を疑った。

 サイコロの目は全ての面が6に上書きされている。

 伊織は散歩から帰ってこなかった。

 一晩探しても、伊織はもうどこにもいなかった。


 寝不足の頭で身支度を済ませた小鳥遊は墓にサイコロを供えた。

「化け物」

 そう吐き捨てて小鳥遊は新幹線に向かった。

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