第◆◆話 彼の独白、彼女の慟哭②
後半です。
それから先の事は一葉は覚えていない。
未来に双葉の容態を聞いた気がするし、病院の名前も聞いた気がする。とにかく必死になって双葉の元へ走った一葉の意識が戻ったのは、双葉がいる病室の扉の前だった。
(……大丈夫だろ、双葉なら、彼女なら『運が悪かったわね』とか言いながらしれっと退院する筈だ。だから……)
止めど無くわき出る不安を心の奥底に閉じ込めて、病室の扉に手を触れさせた一葉が耳にしたのは、
『――ぅぁあああああああああッ――!!』
一葉が一度も聞いた事が無い様な、双葉の慟哭だった。
それだけで、分かる。分かってしまった。
――双葉が取り返しの付かない様な大怪我を負ったのだと。
扉に触れていた手を下ろし、棒立ちになっていた一葉の目の前にいつの間にか白衣の男が立っていた。
『君は一条さんの友人かな?』
一条って誰だっけ? と考え、双葉の名字だったなと思い至る。
(あぁ、いつの間にか名字忘れる程双葉の事名前で呼んでたのか)
『一条さんの症状は脊髄損傷による下半身麻痺。所謂下半身不随だね、トラックを避け切れなくて脊髄が損傷したんだろう』
その言葉を聞いて一葉は言い様の無い怒りがわき出る様な感覚に陥った。
(双葉がトラックを避け切れなかった? そんな訳が無い)
『峠は越えた。命に別状は無いから安心してくれ』
その言葉を聞いて一葉は言い様の無い怒りがわき出る様な感覚に陥った。
(お前はあの叫び声を聞いて安心しろと言うのか? 出来る訳が無い)
『にしてもよく生きてたね彼女。余程運が良かったんだろうね』
その言葉を聞いて一葉は――
『――そんな訳が無い!!』
彼女の事を何も知らない目の前の男に怒りを覚えた。
『双葉がトラックを避け切れない筈が無いだろう!? 双葉は、双葉なら絶対に回避出来た!! それなのに運が良かった!? じゃあ何で双葉は一生残る傷を負ったんだ!! 双葉はあんな叫び声をあげる様な奴じゃなかった!! あれを聞いて、安心しろと言うのか!? 出来る訳ないだろ!! ……安心、出来ねぇよ』
一葉の言葉は紛れも無く魂の叫びだった。
『なぁ、あんた医者だろ……? 双葉は、……治るんですか?』
その言葉に男は、
『……今は治らない』
絶望的な答えを返した。
(――双葉……)
『だが、さっきも言った様に彼女の命に別状がある訳では――』
『――双葉ッ!』
双葉を治せない奴の話を聞いている場合では無い、と一葉は病室の扉を開けた。
『……かず、は?』
ベッドから上半身を起こして一葉の名を呼ぶ彼女の声に、そして双葉の眼に力は宿っていなかった。
一葉は何も言わず双葉の元へ歩み寄る。
『……心配、かけたわね。ちょっと入院する事になっちゃって』
一葉は何も言わず双葉の元へ歩み寄る。
『未来達には謝って置いてくれないかしら。今日から何日かの予定がパーになりそうだから』
一葉は何も言わず双葉の元へ歩み寄る。
(……そんな)
『もしかして私がなんで入院したのか気になる? 実はね、信号渡ってたらトラックが突っ込んで来たのよ?』
一葉は何も言わず双葉の元へ歩み寄り、双葉の元へたどり着く。
双葉はベッドの外で立つ一葉を見上げ、何とか笑みを作り上げ、言った。
『運が悪かったわね』
瞬間一葉は激しい怒りを覚えた。
(そんな、泣き出しそうな顔で気を使うんじゃねえよ……!)
その怒りは、この期に及んで“いつも通りの双葉”を演じて心配を掛けまいとする双葉に、そして――
『……ごめん』
そんな状態であっても双葉が気を使わざるを得ない原因となった、憔悴し切った一葉自身に向けての怒りだった。
一葉は双葉を抱き締めた。
『か、一葉?』
狼狽える双葉だったが小さな声で『ごめん……』と呟く一葉に気付いて動きを止める。
(双葉を助けられなかった……)
一葉には双葉を助ける事はそもそも不可能だっただろう。
仮に双葉と共に通学していたとして、こちらに急スピードで突進して来るトラックを相手にたった一人の人間に一体何が出来ると言うのか。
(それでも、その場にいれば何か出来たかもしれない)
『急にごめんって、どうしたのよ一葉』
『その場にいれば、助けられたかもしれないのに』
『……その場には私しかいなかったのだから助けられなくて当然じゃない、これは私の自業自得だわ』
『……双葉は、何でそんなに強いんだ』
『弱いわよ……。強くあろうと、してるだけよ。……強くなんか……』
無いわよ。
言葉にすらならなかった双葉の声はしかし一葉の耳に届いた。
(強くあろうとする、か……)
病室の中、双葉の周辺に血やガラス片が飛散している。
恐らく双葉が手近な花瓶などを叩き割ったのだろう、注意深く観察すれば双葉の指先から微量の血液が流れている事が分かる。
『本当に……』
抱き締められた双葉はそれを苦に思う事も無く、一葉の胸元に顔を埋め、静かに涙を流した。
◇◇◇◇◇
双葉との面会を終え、一葉が緩やかに病院から帰ろうとした所で彼に声を掛ける人物がいた。
『随分と思い切った真似をするのね』
香坂未来だった。
彼女は何かの紙を持ち、一葉に話し掛けて来た。
ニヤニヤ笑いながら、だが。
『盗み見か?』
『双葉ネットワークの集める情報に不備があってはいけないものねぇ』
盗み見は否定しなかった。
『その情報を持ち帰って何をしようと、明日辺りから一部の女子グループに暗殺され掛けようと、割りとどうでもいいんだけどさ』
どうせ拡散するんだろうなぁ、という諦めを声に滲ませつつも一葉は何とか口にする。
『人一人だけでも救える力が欲しいよ』
その呟きを耳にした未来はニイィと口角を吊り上げた。
(あ、何か嫌な予感が――)
『汝、大いなる力を欲するか?』
『……はぁ?』
割りとガチトーンの声が出た。
髪をかき上げ、左手を顔に添わせ、紙を持つ右手でこちらを指差す未来に呆然とした。
天下の往来で何やってんだこの女。
『欲するならば紙を取れ』
『……何でそんな急に中二――』
『紙を取れ』
『あっはい』
釈然としないまますごすごと紙を受け取る一葉であった。
『え、てか未来ってそんなキャラだったっけ……?』
『ふっふっふ、諜報官は複数の顔を持つものなのよ。ほら、さっさと目を通しなさい』
『学生が何言ってんだか……』
言われた通り受け取った紙に目を通すと次の様な事が書かれていた。
《VRMMORPG“シード・オブ・ユグドラシル”βテスト招待状:夕霧一葉様》
……と。
『……何これ?』
『あるVRMMORPGの先行プレイのお誘いよ。一目瞭然でしょ?』
一葉が聞きたいのは何故急にこんな物を渡して来たのかと言う疑問であってそんな事では無いのだが。
『何で渡したかって顔してるわね』
『……』
顔に出していただろうか。
『簡単な事よ。それがあなたの力になるの』
『これが?』
βテスターになったからといって特に――
(待てよ? もしかして……)
『気付いた? βテストの参加者には特典で参加者用にゲーム本体とVR筐体がセットで配られる。ゲームの貢献度によってはそれがもう1セット配られるわ。……一葉君、VRバーチャル・リアリティの利点って何だったかしらね?』
そんな事、言われるまでもない。
(脳神経を読み取っての五体満足でのフルダイブ。それがあれば双葉も、また――)
未来は笑みを深めてこう言った。
『もう分かるわね? 一葉が“人一人救える力が欲しい”って言ったんだからさ、約束守りなさいよ』
『――もう一つの世界でくらい双葉を自由にしてあげて?』
その言葉を聞いて一葉は――
『――あぁ。言われるまでもねぇ』
猛々しく笑った。
その笑いを見て未来は悟られぬ様安堵の息を吐く。
『おーけー、それの開催は一年後だから間違えないでよ』
『あぁ、一ね――一年後!? それまだ公式に通知発表されてないだろ!? ……一体どこで手に入れたんだ?』
その言葉に未来は、クルリと一葉に背を向けながら言った。
『言ったじゃん。諜報官は複数の顔を持つものよ、って』
ヒラヒラと手を振りながら歩いて行く未来に一葉は心の中で感謝の言葉を告げた。
(……ありがとう)
◇◇◇◇◇
自身を人一人救えない臆病な男と認識していた彼は、彼女のいる病院に足繁く通う一方で、電脳世界にて“シェイカー”を名乗り対人戦最強と呼ばれる事になる。
ただ一人の人間を、彼にとって大切な彼女を救う為に。
余談ではあるが。
彼が時たま、香坂未来が働くキャバクラにアドバイスを貰いに行っている事を双葉に中途半端な形で知られて若干白い眼で見られるのは、また別の話。
「――おい、団長殿。準備は万全か?」
ノービスが辿り着いた王都ゴーファイブの遥か彼方。
第二十四の街の“氷海”フィールド、そのボスエリア一歩手前のセーフティーエリアにて夕霧一葉――シェイカーは夢想を終えた。
彼が昔の事を思い出したのは、ゲームの中とは言え双葉の健康な姿を見られたからだろう。
(久し振りに双葉が歩いてる所見たけど、やっぱり天才っているもんなんだなぁ)
ゲームの中での双葉――ノービスと始めて出会った時、シェイカーは驚愕した。
(――全く違和感無く歩けてんだもんなぁ)
そもそも彼女は二年間も病院で過ごしていたのだ。
症状は下半身不随、文字通り足をピクリとも動かせない状態で二年も過ごそうものなら、力の入れ方や足の運び方など、歩き方を体が忘れてしまっても仕方が無かった、それなのに彼女は歩けていた。
双葉のステータス構成が幸運極振りである以上身体能力は全て現実の物と同一だと言うのに。
「ふふ」
「どうした団長、急に笑い出して」
思わず込み上げた笑い声を聞いて、ハルバードを持つミタマが怪訝そうに見ていた。
実は彼女の身体能力の高さは既にシェイカー、いや、一葉は知っている。
当日は運悪くインフルエンザに罹り参加できなかった双葉の身体測定では、後日測定し直した際にシャトルランを全走破している。
双葉がいつぞや話した事によると、落下して来た鉄骨を走って躱したこともあるらしい。
要するに、双葉は身体能力に関して言えば他者の追随を許さない程の天才なのだ。彼女の武勇伝を思い返す度にどうしてそんな事が出来たのにトラックが避けれなかったのかと聞きたい。
とは言え、双葉はそれを余り望んでいなかった様に思えた。彼女が入院した翌日教師陣から『何で怪我をした』と言いたげな空気を体感した事がある一葉としてはそれも当然かもしれないと思ってしまうのだが。
彼女は恐らく“普通”になりたいのだ。
双葉の類い稀なる才能も、双葉を下半身不随に追いやった悪運も、全て投げ捨ててただ“普通”の人間でありたかったのだろう。
(だからこそ、“ノービス”って名前にしたのかな)
普通でありたいと願う彼女は、この世界で普通であれるのだろうか?
シェイカーにしてみれば無理だろうなと思わなくも無い。
出来ない事は無いのではないかと思わせる才能に加えてあのスキルである。正直、控え目に言って異常と言わざるを得ない。
しかし、そんな彼女にも弱みはあるのだなと先日双葉から受けた相談で痛感した。
簡単に答えを出す事が出来ない相談だったが、いつかは答えを返さなくてはならない。
それまでの間にシェイカーのヴァルハラのギルドメンバーにもノービスを紹介しておきたい。
取りあえずは次の大型アップデートで実装される“バトルコロシアム”にでも誘ってみるのも良いかも知れない。
そんな取り留めも無い事を考えながらシェイカーは辺りを見渡す。
自分を含めて八人の少数パーティーだが、全員が何かしらの二つ名を持つ者達だ。
このパーティーのリーダーである“灰燼”を筆頭に“静寂”“流麗”“荒天”“妖狐”“魔人”“鳳凰”“霸獄”の八人は正真正銘ギルド“ヴァルハラ”の最高戦力であった。
「“ヴァルハラ”に光あれ。行くぞ」
シェイカーの言葉に七人は思い思いの言葉を返す。
ボスエリアに踏み込む間際、シェイカーは己の二つ名である“灰燼”の代名詞とも言える自身の大剣をそっと撫でた。
「行こうか、“スカーレット”」
真紅の名で呼ばれたシェイカーの大剣はその言葉に呼応するかの様に淡く光り輝き、彼らは敵地へと赴いた。
次回、王都。




