<第四話:朝、事務所にて>
朝日が昇り少尉の店を後にした私はその足でマネージャーであるスティングの事務所に向かった。
修理の報告と次の興行の打ち合わせのためだ。
スティングの事務所は町外れにある。
即席で作られたバラック小屋が並ぶ町にはあまりにも不釣り合いな四階建てのビル。
この町において個人が所有するものとしては一番高い建物で遠くからでもよく見えた。
オートロックの玄関にある端末でパスコードを入力し、分厚い防弾ガラス製の自動ドアをくぐる。
丁寧に清掃された階段を登って二階にある事務所でまた別のパスコードを入力するとようやく鉄製の重い扉が解錠される。
彼はこの町では金持ちに分類されるせいか、よく窃盗被害を受ける。これはそのための警戒らしい。もっともこの警備を掻い潜って侵入できた人間は皆無らしいが。
「スティング、いる?」
デスクと大型端末とソファーだけの簡素な部屋。スティングの姿は無かった。大きな窓からは朝日が差し込む。
おそらくこの窓も防弾性なんだろうな。そんなことを思いながら、日光の眩しさを防ぐために私は勝手にブラインドを下ろした。
私の稼いだ分がこういう所に回されていると思うと少し複雑な気持ちになった。
私の給料は労働内容の割に安い。しかし、スティングから見れば、私で得る収入は手間の割には大きい。
これはおそらく命を賭けているか、命を賭けさせる仕組みを作る側かの差。スティングは私に関する事務手続きだけで莫大な金を動かしている。その結晶がこの事務所である。そう考えると私が生きるのに困ったら真っ先に狙いそうだと思った。
そんなことを考えていると奥にある給湯室のドアが開いて、中からコーヒーカップを持ったスティングが現れた。
整えられた清潔な金髪に銀縁の眼鏡、その奥に光る緑碧の瞳。地球製のブランド物のスーツを当たり前のように着こなす痩身。いつ見てもこの男の身だしなみに隙はない。
「あぁ、オールドか。右腕は良さそうだな」
まだ湯気のたつコーヒーカップを持ったスティングが私の腕を見て満足そうに頷く。
「おかげさまで、次の興行は?」
「よりどりみどり。選ぶほどあるな。死に急ぐ連中ばかりだ」
スティングは皮肉を張り付かせたような笑顔でディスプレイに表示されたリストを私に見せた。
一癖も二癖もありそうな印象の顔ぶれが揃っていた。
殺し癖が抜けないのか、それとも生きるために仕方なくか。どちらにせよ死に急いでることに違いはない。
「どうする? 希望が無ければこっちで勝手に決めるが?」
スティングはそう言って涼しい顔のままコーヒーを口に運ぶ。焙煎した豆の香りを感知した。苦いものは苦手だが、少し飲んでみたくなった。
「希望があっても勝手に決めるでしょうが、アンタの場合」
「まぁ、確かに儲かりそうなやつから始末していくな。どうせやることは大して変わらんだろう?」
言われてみればそうだ。ろくに顔を知らぬまま、或いは知らぬこそ出来ることだろうか。私は対戦相手の最低限必要な情報だけで試合に臨み、今日まで生き延びてきた。
慢心しているわけではない。最初は『お金が無いから』、それが回数を重ねるごとに『どうせ誰と当たっても運が悪ければ死ぬから』に変わっただけだ。
武器も手慣れたものしか使わない。動きもパターン化していると言ってもいい。
そんな私のデータはあちこちで分析されているだろうが、それでも私は死なない。たまたま運がいい。ただ、それだけの理由で。
「さて、どうしたものか」
即断即決が信条のスティングが珍しく考える仕草を見せる。
知性的な雰囲気は暴力的な未開地と呼んで差し支えないこの町には相応しくない雰囲気を与えるだろう。
しかしそれは彼の瞳の奥に宿る、金に飢えた獣の目付きに気づかなければの話だ。そのことを知っている私にはもはや彼は金に飢えた一匹の怪異にしか見えない。彼もまたここでしか生きられない人間なのだ。
「出来れば、新人相手じゃない仕事のほうがいいんだけど」
一応、希望は述べておく。この間みたいなイレギュラーはごめんだ。いつ死ぬかわからない仕事とは言っても、多少は長生き出来る道を選びたい。死にたいわけではないのだから。
「この間の杭打機のことか? あれは確かにミスだった。ルーキーでいきなりDJを知ってるヤツがいるとは思わなかったんだよ」
「スティング、アレがどれだけの戦場を駆け巡ったと思ってるの? 少なくともあなたよりは現場に近い人間よ」
私を含めて、DJが関わっていない機械人形というのはおそらくもっと早死していると思う。
誰も思いつかない発想をベースに誰よりも先進的な技術を誰も追いつかない程の速さで行う機械人形技術者。
技術も理論も発想も全てが優れ過ぎて誰も付いていけなかった。孤高の天才。
生まれる時代を間違えれば、ただの猟奇犯罪者で終わっただろうが、生まれる時代を間違えなかったがためにDJという存在はあまりにも巨大な影響を私たちに与えている。
「なるほど。しかし、そうなると余計に選定に迷うな。アレが関わらない保証なんてどこにもないだろ?」
「まぁね。墓場からでも平気で拾ってきて改造するのが趣味の変態だから」
脳さえ無事ならなんとでもなるが信条だ。しかも最近は実の娘にまで手をかけた。
誰に手を出していても不意義ではない。
「となると……こいつなんかどうだ?」
スティングはそう言うと一人のデータをピックアップする。
<興業名:夜男爵>
<所属事務所:江戸川興業>
<試合成績:4勝0敗>
<武装:西洋剣>
<詳細:素行及び経歴不明>
添付された登録用写真でまず目を引いたのは白の仮面。
三日月型に笑う目と不気味につり上がった口が特徴的だった。
服装は全身黒ずくめ。黒の燕尾服にマント、頭にはご丁寧に黒のシルクハットまで添えられている。昔、部隊の仲間から教えてもらった古い怪奇小説の話に出てくる怪人のことを思い出した。
「……設定作りすぎじゃない?」
とりあえず、率直な感想を述べておく。
「お前が言えた口か、旧式少女」
確かに。前大戦を駆け抜けた黒の淑女――私のキャッチコピーも寒気がする。しかし、それを考えたのはスティングだ。私が批難される言われはない。
「誰も正体を知らない白仮面とその舞踏会に招かれた黒の淑女、良い構図と思わないか? 何しろ誰も正体を知らないって触れ込みの仮面男だからな。試合中に仮面を剥いでしまえば、客も盛り上がる」
本音を言えば、別に相手が誰でも構わない。ただ、一つだけ訂正しておきたいことがあった。
「挑むのは向こうよスティング。私の処刑場に黒ずくめの変質者が紛れ込むっていうのが筋ってものじゃない?」
それを聞いてスティングは肩をすくめて笑った。
「確かに。確かに、だ。お前が物語の主役だよ、旧式」
スティングは仰々しく手を叩いて笑った。眼鏡の奥にある瞳が鋭く光る。
「えぇ、仮面の素顔。無様に暴いてやりましょう」
「そうなると、早速マッチングの打ち合わせをしておくとしよう……来るか?」
スティングは革製の鞄を持って立ち上がる。私は首を横に振った。
「冗談。なんで私がわざわざ殺す相手の顔なんか見なきゃいけないのよ。死に顔だけで十分」
「OK、じゃ、行ってくる」
スティングはそう言い残して出かけていった。
鍵はオートロックだから、私が後で出ていっても問題ないと判断したのだろう。
時間にすればまだ短い付き合いだが、それなりに信頼してくれてると言うことなのかも知れない。
私はスティングがデスクに置きっぱなしにしていたコーヒーカップを手に取る。
まだ温かい。一口だけコーヒーを頂いた。
「マズッ!」
思わず大声を上げてしまうほど苦かった。私は苦いものは好きではないが、この苦味は尋常ではない。一体、どういう味覚をしてるのだろう。
彼の謎がまた一つ増えてしまった。




