<エピローグ>
薄闇色の夜の空に一筋の星が流れた。
私は事務所のバルコニーで星々の瞬きを目で追いながら、手にしたカップを傾ける。人工甘味料で可能な限り甘くした合成豆のコーヒーをくちびるですすった。甘みを打ち消すほどの圧倒的な苦味を舌が感じた。合成豆のコーヒーは天然モノと比較するとやはり風味も奥行きも何もかも足りない。あるのは苦味だけだ。
けれども文句は言えない。これがこの町で手に入る数少ない喜びの一つだ。
生きているだけで幸運と呼ばれ、明日があるなんて保証はどこにもない。だからこの町の住人は刹那的な快楽を好む。酒、タバコ、食事、女、そして賭博。まるで野蛮人だ。しかし、私たちはそうした粗野な生き方しか知らない。
「旧式、夜風はカラダに障る」
不機嫌そうなスティングの声に私は振り返った。寝起きなのだろう。見るからに良質とわかるシルクのパジャマを着たスティングはメガネを傾けながら気難しい顔を私に向けてた。
「気にしないで。風邪を引くようには出来ていないから」
戦争用の機械人形はそんなにヤワではない。寒冷地だって耐えられる仕様だ。
「……そうか」
スティングは淡々と言い残して、私の視界から消えた。戻って自室で寝直すのだろう。私は特に気にせずコーヒーカップを傾けた。中身はとっくに冷めきっていた。流し込むようにして飲み干す。
カラになったカップを床において、私は空を見上げた。
まっくろな全てを飲み込むような空。あの大気圏の向こう、何万光年と離れた場所にある星。その名は地球。
――帰りたいな。ふとそんなことを思った。私には昔の記憶がほとんどない。けれどもあの星が私の故郷だと知っている。
しかし、帰れるはずもない。私は兵器で地球にはいてはいけない存在だ。死んでいなくては行けない存在なのだ。もし、私が生きることを許される場所があるのなら、それはこの未開拓惑星だけだ。
目を閉じて、冷たい夜風を全身で知覚する。 昼は30℃を超える熱砂の町も夜になると一気に気温が下がる。ツインテールにまとめた髪が流れて揺れた。頬を撫でる切り裂くような冷気、風にのってくる砂と硝煙の香り、全てが異常であるにもかかわらずそれらを不快とは感じない。すっかりとこの世界に私は適合してしまった。
肩を軽く動かすと少しだけ重さを感じた。食べて、寝て、起きて、殺す。シンプルすぎるサイクルに身体は疲労しきっていく一方だ。
しかし、休んだところでその先にまっているのは同様の地獄だ。私は命が終わるまでこの灼熱地獄で戦い続けなければならない。すべては生きるために。
ふと、気配を感じて振り返った。マグカップを二つもったスティングが立っていた。
「もう一杯、付き合えるか?」
「えぇ」
私は短い返事をして彼が差し出したカップを受け取った。手に伝わる感触はじんわりとあたたかい。物資もエネルギーも制限されている世界であたたかい飲み物というのはそれだけでご馳走だ。まだ湯気の立つカップをふぅふぅと覚ましながら、私はカップに口をつけた。
――甘い。
スティングは普段、甘いコーヒーを飲まない。だからこれは私のために彼がわざわざ甘くしてくれたコーヒーなのだ。些細な気遣いだが、めったに無いことに驚きを隠せない。
しばらく二人で無言でコーヒーを傾けているとスティングはゆっくりと口を開いた。
「地球に帰りたいと思ったことはないか? 旧式」
唐突な問いかけに言葉を詰まらせた。今まさに思っていた。とは素直には言えない。私は少し考えるふりをして、間をおいてから答えた。
「たまには……ね、スティングは?」
私は彼の過去を何も知らない。悪人だというのは疑いようもないし、金にうるさいというのも理解している。けれども彼がなぜそうするのかは知らないし、興味も持たなかった。レイラやプリムラと出会うまではこの男にも感情があるなんていう当たり前のことさえ理解できないほど私の心は荒んでいたのだ。
「俺は帰る。何があってもな」
スティングは断言した。緑碧の瞳からは確固たる信念を込めたような強い輝きを放っている。表情だけで気概が伝わってくるような勢いがあった。
「……キミと一緒にな」
ふいに放たれた私への一言。どういう意味だろう。
「え?」
互いに言葉を失う。二人の間を風が流れた。数秒の沈黙のうちスティングは口を開いた。
「勘違いするな。用心棒としてだ。俺に戦闘能力はない。守ってくれる武器が必要なんだ」
武器。そのとおりだ。彼は私を人間として見ていない。仕方がないことだ。人の形をしていても私は人ではない。機械人形。戦争用に開発された人の脳だけを持った人型の兵器だ。嫌になるほど理解している。だからこそ言えない、たとえ口が裂けたとしても。
――抱いてほしい。なんて。愛して無くてもいいから、愛しているフリをしてほしい。なんて。
自分の甘さに吐き気がして、私は頭を軽く振った。この感情は身体を鈍らせる。“誰かに抱きしめられたい”なんて。疲れているから弱気になっているのだろうか。私はコーヒーを飲み干してまだ予熱の残るカップをスティングに乱暴に突き返した。そして勢いのまま寝床にしているベッドに転がった。スプリングがきしんで音を立てた。
疲れているときは寝るのが一番だ。目を閉じて、心を落ち着かせる。たとえどれほど穏やかな日であろうとも夜が明ければまた戦いが始まる。
自分自身も含めて誰も救えない殺し合い。弾雨の中に埋もれていくだけのデスゲーム。それが私の仕事だ。
腕に携えるは鋼の銃器、身にまとうは黒のロリータ。瞳が見据えるは機械人形、脳が下すは殺害命令。
最低な人間たちの見世物として、暴力と罵声の中で私はこれからも戦い続けるのだろう。
けれども私は1人ではない、変人だが仲間がいてそれなりに支えてくれている。だから、絶望しそうな孤独の闇の中でもまだ理性を以って戦えている。
うつらうつらと意識が遠ざかっていく。薄れ行く感覚の中で私は私に言い聞かせる。絶対に生き抜いてやる。
――旧式少女として。私の戦いは死ぬまで終わりはしない、と。
決意を胸にして私は深い眠りに落ちていった。
以上で、『旧式少女』を完結とさせて頂きます。
ここまで本作をお読み下さりありがとうございました。
みなさんが入れてくれた数字の全てが私の力になりました。感謝してもしきれません。
活動報告(8月29日付)の方に今後の活動等についての方針をまとめております。
もし興味があればそちらもご参照いただければ幸いです。
最後にもう一度だけ、本当にありがとうございました。




