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<第十八話:午後、事務所にて>

 あの日からずっと、化学物質に汚染された灰色の雨が降り続けていた。


 プリムラとの対面から三日が経過していた。私はあの日のことをなるべく思い出さないようにしながら、たいして面白くもない映像コンテンツを延々と見続けるという怠惰な日々を送っていた。


 ふいにオートロックが解錠されるわずかな電子音を耳にして、私は反応的に銃へと手を伸ばした。あまりにも迷いのない動作に自分で自分に苦笑する。きちんとカギが開いたということは間違いなくスティングが戻ってきたということだ。そうなればどちらかと言えば部外者は私だ。私は来客用のテーブルの上に銃を戻した。


 スティングは濡れた髪をポケットから取り出したハンカチで拭きながら歩いてきた。私はそこら辺に置いてあった生乾きのタオルを投げ渡す。たぶん、二日くらい前に水をこぼした時に床を拭いたまま、面倒くさくて放置してたやつだ。スティングは無言で受け取るとかぶるようにして、髪を拭いていた。雨粒を吸ったタオルはみるみるうちに化学物質で灰色に染まっていく。


「打ち合わせをするぞ」


 濡れた服を着替える前に仕事の話か。実にこの男らしい。こちらとしても聞きたいことは多いので、この切り替えの早さがありがたい。


「えぇ、色々聞きたいのだけど……」


 私はソファーに座ったまま、首だけデスクの方に向けた。質問したいことは山ほどある。


「チンピラの件はあとでいいな。先にこっちを片付けたい」


 そう言ってスティングは私に一つのファイルを転送した。興行用に作成された対戦相手のデータファイルだ。

「それが君の次の対戦相手だ」



興業名リングネーム:プリムラ>


<所属事務所:地球連邦政府軍>


<試合成績:なし>


<武装:日本刀>


<詳細:試作機 型番XXX-02>



「……新式ニュータイプ


 私は独り言のようにつぶやいた。DJが趣味で開発したレイラとは違う、地球連邦政府軍が戦後に開発した試作機。本当の意味での新式ニュータイプ。渡されたデータはほとんど閲覧制限で黒く塗りつぶされており、もはや何のためのデータかすらわからない。型番だってXXXって時点でほぼ伏せ字みたいなものだ。名前しかわからない。武器は日本刀とある。重火器を持たない仕様なのか。それにしても軽装備すぎる。以前のようにクレイモアなんて搭載されていたらたまらない。見れば見るほど警戒心が強まっていくのを感じた。


「今回の興行のルールは通常のものではなく、騎士道シィヴァルリィルールが適応される」


「……何、ソレ?」


 それなりの期間、興行に参加しているが初めて聞くレギュレーションだ。


「射程距離及び大きさが2mを超える武器の使用が禁止されるルールだ。いわゆる変則試合の一つだなキミの場合は使えるのは手斧ハンドアックスくらいか」


 スティングはそう言って試合のレギュレーションが書かれたファイルを送信する。

 私はそれに目を通す。やたらと文字数が多い上に表現が無意味なほどまわりくどい。相手に読ませることを全く考慮していないとしか思えない文章の中で、ふと『相手の殺害禁止』の一文が目についた。派手な殺し合いが売りの興行においては非常に珍しいルールだ。あくまでも今回の興行は政府命令による性能試験、新型試作機であるプリムラを壊されては困るということなのだろうか。わけがわからない。疑問だらけの相手だ。


「ルールに関しては以上だ。試合開始は明日の14時となる」


 明日とは、また随分と急な話だ。スティングは『戻り次第、興行』とは言ってたが、そんな急な日程で組む必要はあったのだろうか。


「そんなに急ぐ理由は?」


「先方の滞在可能期間がそこまでらしい」


 スティングは淡々と答える。全く動きを見せない冷徹な表情からは彼の心情をはかることは出来ない。


「なんで私なの?」


 一番気になっているのがそこだ。滞在期間に限りがあるのに、スティングを通し滞在期間ギリギリまで待って、わざわざ私を指名する理由がわからない。彼女は私の後継機だから、と言っていた。確かに型番という意味ならこの町にいるZAR-27のExタイプで興行に参加しているのは私だけだ。しかし、他の機械人形と比べた時に極端な性能差があるわけではない。正直、そのことだけでは理由になりえない。単なるデモンストレーションや性能試験ならもっと都合の付きやすい相手でいい。ましてや重火器の使えないルールなら近接格闘戦が得意ではない私を指名する必要性さえ感じない。何もかもがちぐはぐで違和感しかない。そして頭の良いスティングがその違和感に気づかないはずがない。


「さぁ? ご指名なんだから喜べばいいじゃないか。今回の試合はワリもいいしな。リスクもいつもほどではないだろう」


 そうかもしれない。スティングの説明を聞く限りでは命の危険はおそらく無いとは言え、データも足りていない上に状況を把握していない時に額面だけで喜べるならそいつは単なる死にたがりだ。死ぬかもしれないとは確かに思ってはいるが、積極的に死にたいわけではない。


 私の無言を肯定と解釈したのか、スティングはデスクから立ち上がる。


「俺はキミが起こした例の件の処理に行ってくる」


 それだけ言い残して足早に去っていった。口を開けば仕事、仕事、時々金。相変わらず慌ただしい男だ。


 私はソファーに寝転んで、窓を叩く大粒の雨音に耳を傾けながら目を閉じた。


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