<第十四話:昼、事務所にて>
試合後、DJの工房で補充と修理を終えた私はその足でスティングの事務所に向かった。
工房での整備中に次の興行の打ち合わせがしたいと連絡が入ったからだ。終わってすぐにまた次の試合とは随分と慌ただしい。
私に挑みたいという相手が増えているのだとスティングは説明していたが、まったく腑に落ちない。相手がどうであれこちらが早く試合を消化する必要性はないからだ。私としては休んでいた間に無くなった資金を少しでも補充したいので問題ないのだが、もう少しスパンは開けて欲しいというのが本音だった。久しぶりの興行ということもあって、身体はともかく頭が疲れていた。
事務所につくとスティングは端末に向かって話しかけていた。『時間のムダだ』と言って音声通話を嫌がるこの男がわざわざ通話に出るということはそれなりに立場にある人物との話なのかもしれない。携帯端末のテキストプログラムが進化し、秘書用の機械人形を使えば脳内通信が使える世の中でわざわざ音声での通話を選ぶ人間は相当な変わり者かいまだに音声での会話に慣れている年配層かどちらかしかいない。
私はそんなことを考えながら、勝手に給湯室に入り備え付けの冷蔵庫を開く。水とゼリー飲料と数種類の簡易食品しか入ってない簡素な冷蔵庫。スティングも私と同様に食というものにあまり関心は無いようだ。水のボトルとゼリー型の携帯食料を拝借する。試合終わりでお腹が空いていた。何か食べてくれば良かった。若干後悔しながら携帯食料を食べつつ応接用のソファーに座ってスティングの電話が終わるのを待つ。
スティングの事務所はシンプルだ。来客用のソファーとデスク、スティング自身の仕事用のデスクと椅子くらいしかない。給湯室にも冷蔵庫と電子加熱器具、あとはコーヒー用の機械くらいしかない。
流し込むようにして携帯食料を食べ終え、水のボトルを9割近く飲み終わったころになってスティングは戻ってきた。
「……食った分はお前の給料から引いておくぞ」
私が食べた携帯食料の空き箱を見るなり彼はそう言った。正直、それなりに人気選手なのだからもう少し配慮の言葉があっても良いのではないだろうか。機械に対する態度だからと言ってしまえばそれまでなのだが。
「まぁ、いい。調子は良さそうだな」
「まぁね」
先程の試合のことを言っているのだろう。内容はともかく、私自身の動きは決して悪くなかった。少なくとも入院時のブランクを感じさせなかったし、むしろ入院前より状態としては良いかもしれないとさえ思えた。静養にあたって全てのパーツを思い切ってリフレッシュをしたのが良かったのだろう。以前と比べると身体の動きが格段に軽い。
「で、次の試合なんだが」
例によって選手の写真が並べられる。皆、一様に美しい顔をしており、同時に戦士としての風格も備えていた。
正直、どの選手とやっても違いがないように思える。それに私がどう言ったところで最終決定を下すのはスティングだ。わざわざこうして並べる意味がわからない。
「どうした? 不服なら俺が選ぶが?」
スティングがそういった瞬間、デスクに置いてるスティングの携帯端末が着信を受けて震えた。スティングは私に向かって『ちょっと待て』と言わんばかりに手で制する。
私はため息をついて、デスクの上に並べられた写真を見る。皆、形式や経歴は違うが同じ機械人形だ。どうして殺し合わなくてはならないのだろうか、そんな感傷を抱いてしまうこともある。だが、申し訳なくても私は明日を生きていたい。可能な限り共存したいとは思うが、どちらかしか生き延びれないのならそれは私でありたい。なんという傲慢だろう。
では逆に。私の思考は転換する。
私が負ける立場だったらどうするのだろう、誇り高く戦って死ぬのか、それとも惨めに芋虫のように這いつくばって生を望むのか。愚問だな。自分で自分に誓ったばかりだ。
――私は生き伸びる。命令ではなく自分の意志で。一秒でも長く。この世界で生き続ける。そう誓った。
通話を終えたスティングが神妙な顔で戻ってくる。デスクに座るとため息をつき、完全に冷めきったコーヒーカップに手を伸ばし、少しだけ口にすると苦い顔をしてカップを置いた。
「旧式」
「何?」
「試合の件は取り消しだ。他に優先することが出来た」
また急な話である。
「俺はちょっと打ち合わせに行ってくる」
スティングはそう言って立ち上がり、手早く荷物を高そうな革のカバンにまとめる。ちょっと、という割には結構な量の荷物を慌ただしくカバンに押し込んでいた。
「ちょっとって、どれくらい?」
「さぁな。その間、留守を頼む」
スティングはそう言って端末を操作すると即座にデスクの横にある3Dプリンタが動作し、排出口からカード状の物体を吐き出した。取ってそのまま確かめもせず私に手渡した。
「事務所の即席錠だ。悪さするなよ」
失礼な言い方である。私を子猫かなにかだと思っているような言い草だ。
「別にこんなの無くてもいいんだけど?」
私はインスタントキーを手の中で弄ぶ。古いアパートだが一応シャワーとトイレのついた自室はある。物もないしカギもかけないので愛着は全くないが、さすがに退院してから一回も帰っていないので気にはなっている。掃除くらいはしたい。
「無いと住処に困るだろう、君の部屋、入院中に無くなってるんだから」
スティングは淡々とした口調であまりにも衝撃的なセリフを口にした。
「はぁ!?」
私は大きな声を出した。部屋が無くなっているという単語の衝撃が強すぎたからだ。
「じゃ、俺は急ぐから」
驚く私を尻目に淡々と言い残して、スティングは足早に出かけていった。私はしばらく呆然として水が少しだけ残っていたボトルを飲み干すと、設置してあるゴミ箱に投げ捨てた。プラスチック同士がぶつかる軽い音がした。




